診断書に「労働能力無し」と書かれた件
今年は障害年金やら手帳やら自立支援医療やらアパートやら、なにかと更新の多い年でなかなかに面倒だった。
で、障害年金の更新に診断書が必要で、それに書かれていたのがタイトルにもあるように「労働能力無し」、と。
主治医にも「仕事しない人生もある」と毎回言われてるけど、やっぱり仕事がしたい。それは別に生活保護が嫌だとかそういうことではなく、単純に仕事が好きだから。
とはいえじゃあ働けるのかと言われれば、無理だ、と答えざるを得ない。先月、行きつけの酒場で手伝いをしたけど、もう、3時間でへばっちゃった。週2日だったんだけど、それでもフルタイムで働いてたときくらいの疲労感。
そこではマスターも僕の病気や事情を知ってるから、体調が悪かったら来なくていいし、早く帰ってもいい、手が空いたらいつでも煙草吸っていい、という高待遇(だからお賃金は出ない)のうえ、常連さんは顔見知りだしで、だから働けたのはある。いまからハローワーク行って仕事見つけてくださいなんてのとはわけが違うわけで、非常に恵まれた状況でリハビリができた。
手伝いをしてるときは日常にもハリが出て、自然と体調も良くなってきてる。このまま雇ってくれないかなあと、ふと思ったりもしたけど、またいつ体調崩すかわからないからなあ。
診断書の話に戻すと、統合失調症の症状のところに「自閉」というのがあった。
なんだこれはと調べてみたら、要は「自分の考えたことにとらわれすぎている状態」とでも言えばいいのかな。殻に閉じこもってるというか。
それは自分自身で自覚は無くて、書かれてるのを見て「ああ、そういうことか」と思った。思い返せばあれもそうだし、これもそうだしと。
僕の場合はショーペンハウアーを武器にして自分を正当化してきた。社交や恋愛、結婚、金を稼ぐことに躍起になること等々、全部、心の貧しい人間のやることだと思っていた。そんな奴らとは違って僕は寂しくなんかないし、ひとりで家で過ごすことを何よりも幸せだと思っている、と考えていた。
だから先月よりも前からマスターに手伝ってと言われた日に店に行くと、もう、バカの集いだと思っていた。
でもその診断書を見て、バカは僕の方だったことに気がついた。働けない悔しさを、そう思うことでどうにか消そうとしていた。
なんでそこまで働きたいのか。世の中を見渡せば、僕は恵まれた環境にいるとは思っている。働かなくてもお金はもらえるし、手帳を見せればバス代が半額になったり美術館なんかは無料で入れるし、交通費も年間1万円まで負担してくれる。なのになんで働きたいのか。
それは、人間は「生きているだけで丸儲け」なんかじゃないということ。生きているだけでいいなんてのは動物で、人間はもっと、人間たらしめる「何か」が無いと生きていけないと思うから。
その「何か」が僕にとっては仕事なんだと思う。小説だとばかり思っていたけど、この3年間、なぐり書きのショートショートしか書いてない。小説を書くためにも仕事をしたい。皮肉なことに働いてたときのほうがアイデアも浮かんだし、筆も進んだ。
とはいえ現実を見れば「労働能力無し」の自分がいる。実際に週2の3時間労働でへばっている自分がいる。
でもまあ、それで踏ん切りがついたというか、無理をしないで生きていこうと思えるようになった。人に対しても見え方が変わったし、両親のことも理解できるようになった。
僕が病気になったのは両親のせいだと思っていたから、本当に親としても人間としても徹底的に否定した。ここには書けないくらいひどいことを言った。当時は僕の言葉で殺してやろうと思っていたから。
いまは和解して関係は良好だから、謝って許してくれた(というより「お前が気にすることじゃない」と言ってくれた)のには感謝しかない。
いまは電車にも乗れるようになったし、人混みはやっぱり疲れるけどパニックになったりすることはなくなった。視線も気にならなくなった。
むつかしい本読んで自分が正しいとばかり思ってたけど、なんかねー、「うるせえ、いいから外に出ろ!」と言いたい。
まあ、でも、調子悪いと外に出られないんだよねえ……。だからエアロバイク買ったんだし……。だからどうしても内に内にこもっちゃうんだよねえ。悪循環。
どうにか断ち切れたのはマスターと先生の診断書のおかげだから、感謝感謝。本当に。
あとは今後、僕がどう生きていくか。
それはゆっくり考えよう。なんせ時間だけはたくさんあるから。
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