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失った声のメロディ

ばんちゃっす、ロカです。

ショーペンハウアー全集をまた1から読み直し始めるなど。こんなの、何度読んだっていいからね。なにがいいって、何度読んでもわからないところ。それでも前よりはほんの少し収穫があったりする。それがいい。チャールズ・ブコウスキーの詩集を原文で読んでるところでもあるんだけど、これもやっぱりわからないからいい。わかんないなりにわかろうと頑張る。でも結局わかったのかわからないままなのか、それすらもわからない。それがいい。

とはいえ、僕には「継続」というのが非常に難しい。習慣化させるには3週間継続する必要があるそうだけど、そのうちに体調が崩れて途切れることもあるし、仮に3週間やれたとしてもそのあとにやはり体調を崩してすべてがおじゃんになる。体調が崩れないことはありえないからせめて調子の良いうちに始めて、途切れたとしても回復したらまた三歩下がってやり直すしかない。本当に厄介な身体になったもんだ。

こんなんでよく働けてたなと思う。ちょっとギアを上げればいまの自分ならもっとうまいことこの身体と付き合いながら働けるような気がするけど、さてはて。まあでも結局は破滅したわけだから、やっぱりというか、慎重にならざるを得ない。とはいえ臆病になりすぎても動けないからそこはいい塩梅で楽観視しつつも、って感じかな。

……って最初と話がだいぶそれたな。本の話をすると、僕は本はもっと雑に扱ってもいいんじゃないかと思ってる。ブックカバーとかで着飾るのもひとつの楽しみだとは思うけど、洋書を買ったときに思ったのが、ペーパーバックで表紙も紙だから持ち歩いてるとすぐにボロボロになる。でもそんなもんなんだと思った。大切なのは飾ることじゃなくて読むことなんだから、読めればそれでいい。

なんて言いつつショーペンハウアー全集なんかは汚したくないからブックカバーつけてるんだけどね。言いたいのは、ハードカバーって表紙を豪華にして値段吊り上げ過ぎじゃね?ってこと。ペーパーバックがもっと一般的になればいいのになあと思う。で、値段変わんなかったりしてね。笑えねぇ。

ところでこの記事、タブレットとワイヤレスキーボードで書いてるんだけど、そこまで悪くない。そりゃあパソコンが一番いいけど、どんなもんかやってみたら案外いい感じかも。スタバとかで書いたら内容もちっとはシャレたもんになるのかしら?

それじゃ、また。

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