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ライトノベルが好きだ!

たまにラノベを読む。僕は妹属性なので妹モノを好んで読む。

近所の古本屋でラノベの福袋があって、どれどれと買ってみたら妹モノは無かったッ!!でもラブコメはあったから良しとしよう。というより、30冊入って480円なので何が入ってても文句は言えない。

というわけで今現在ショーペンハウアー『意志と表象としての世界』とラブコメのラノベ(タイトル忘れた)を併読してる。

ところで、ふと思ったんだけど、ラノベってなにをもって「ラノベ」なのか。

「ライト」というくらいだからもちろん読みやすい。そしてわかりやすい。でもわざわざ「へえ、こちとらライトノベルでやってるもんで」なんて言う必要あるのか?と思った。

確かにラノベは文章が荒い。説明が過ぎる。表現がわざとらしい。でも設定崩壊してるラノベではない、大衆文芸も多々ある。それだけではない。仮にラノベが「キャラ小説」だとしたらいまの大衆文芸は「設定小説」だと思う。そして設定だけでいえばラノベのほうがレンジが広いし凝っている。逆に大衆文芸のキャラは人間らしさは感じられる。とはいえラノベが「アニメ」だとしたら大衆文芸は「テレビドラマ」という感じではあるけれど。

僕が言いたいのはラノベしか読まない人もいるだろうし、むしろそういう人に言いたいのは、自分を卑下する必要はないということ。読書の話にたまになったときに「いやあ、自分はラノベしか読まないんで……」って申し訳無さそうに言う人、結構いた。

純文学と大衆文芸の垣根が無くなってるのもそうだけど、いまやラノベと大衆文芸もほとんど変わらないんじゃないかとさえ思ってる。

が、

実際にラノベを読むとそれは違うことに気づく。

ラノベはもはやラノベとして独自の発展を遂げている。そして巻き戻る。なにをもって「ラノベ」なのか。読めばわかるけど、僕には言語化はできない。誰かに教えてもらいたい。

僕が考えるに、安部公房の言葉に「小説は消しゴムで書くものだ」というのがあって、要は推敲するときは徹底的に無駄を省きなさいということだと認識している。それが純文学だと思う。大衆文芸は「プロットを徹底的に組む」ことから始まる小説だと思う。そしてラノベは「登場人物の設定を徹底的に組む」ものだと思う。これはあくまで憶測に過ぎないのだけれど。


……まあ、ふと思っただけでそこまで真剣に考えてはないけど。だって面白ければいいじゃん。ベクトルの違いはあるにせよ、そこに優劣は無いと思ってる。趣味の範囲でならね。

これがデキるビジネスパーソンになるためにインプットするんだ!って息巻いてる人たちの話になってくるとややこしくなるから(これはこれで新しい読書の方法だとは思うけど)、その話はしないでおく。

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