King&Princeの選択に寄せて。

こういうことを担当ではない人間が書くのはどうかと思いつつ、大前提として事務所担な自分としてはあまりにもショックで言葉にしなければどうにもできない。
わたしは、King&Princeのことを、新時代のジャニーズ事務所の旗手だと勝手に思っていた。ジャニーさんを失い、先輩グループが解散したり活動休止していくなか、合理性と即効性を求めながら目まぐるしく変わり、消費されていくスピードが桁違いに早くなっていくこの時代において、キンプリがいるから絶対大丈夫。推し文化も多様化して、国も次元も問わず魅力的なグループがたくさんあるけれど、メンバーそれぞれの個性、人間性、グループの方向性、音楽性やエンターテインメント性、表現、才能、それらもろもろで、King&Prince(ちなみにわたしとしてはSexyZONEとSixTONESも含めて3組)があたらしい時代のジャニーズの指針になってくれると信じてやまなかった。
自分の推しとはべつに、ほんとうにほんとうに、キンプリのことはジャニーズ事務所の至宝だと思っていた。絶対に守らなければいけない存在であり、絶対に失ってはいけない存在であり(他のグループを守らなくてもいいとか失ってもいいという意味じゃありません)、この先二度と現れることのない奇跡のようなグループだから、心底悲しくてやりきれない。悔しい。信じられない。Mステって幻覚だった?あの楽しそうなMステカメラってなんだった?かわいいかわいいって連呼して、永ちゃん出るならドラえもん観るわとか笑っていた2時間後にこんな…もう。

今まで、別れはたくさんあった。毎度毎度、永遠はないということを突きつけられていたのに、オタ活以外の日々にも追い立てられるうちにその輪郭はぼやけてしまい、また「当たり前はない」という事実を冷や水のように浴びせられ我に返ることを繰り返してしまう。それでも前を向いて続けていきたいと今日まで来たけれど、もう、推しを作ってオタクという存在でいるということについて、はじめてもう無理かもしれないと思った。
それぞれの人生だから、と言ってしまえばそれまでだけれど、尊重だってしたいけれど、こんなにも早くあっさりと目の前から消えてしまうのか、と誰かのオタクでいることが怖くなった。
わたしですらこれほどの衝撃、担当さんの心中を想像すると筆舌に尽くしがたい。

これは個人の感想にすぎないが、人気のあるグループがメディアに求められることは当然で、忙しくなればなるほどスケジュールに追い立てられてクリエイティブな方面へ割く時間が少なくなったり、タイアップの関係でどうしても作品の幅が限られたり、じっくりと取り組むことが難しいこともあるのかもしれない。それでもキンプリは全編英語詞のシングルをリリースしたり、ダンスの難易度をどんどんあげたり、国民的アイドルの顔を持ちつづけたまま、果敢に尖った挑戦と進化を止めない稀有なグループで、あれだけテレビというコンテンツに求められるなか、質を高めていく方向に比較的早く舵を切れたのかなという印象だった。「Magic Touch」とか「NANANA」とかダンスプラクティス動画も含めてかっこよかったし、特に今年リリースした「ichiban」はバチボコにかっこよくて衝撃だったし「Trace Trace」も、ボカロカルチャーに根差したような楽曲もハマるのか(そしてまた踊る踊る)と新境地も見せてくれたし、やばい最高じゃん敵なしじゃんって思ってたのになんで。なんで。「いつか思い出して ここにいたこと」「ここが君と僕の境界 君が知ることのない将来」 なんて、はからずも予言の書みたいになってしまったのほんとうになんで。
昭和に生まれ平成を最前線、全身全霊で駆け抜けた櫻井翔くんが「Hip Pop Boogie」で「悪いが俺先急ぐぞ」と時代を牽引、鼓舞するかのごとく歌っていたのに対し、「ichiban」で”時代のニーズとか誰かの期待通りとか一旦放置したり、予想や想像通りのストーリーsorry強引にぶっちぎったり、これで勝ち確定とか言われても可能性探したくて探してる”くせに「離れ離れ無し 全員連れてく」と歌うキンプリのその強くて優しいスタイルはまさに令和を象徴していて、キンプリがこれ言うの強すぎてもうお手上げだなつまり最高…って思っていたのにほんとうに悲しい。

なんでの答えはきっと一生見つからない。最近までの発言や雰囲気を考えると辻褄あわないことがあるのが仄見えるのは明確だとしても、憶測や深読みをやめて本人たちの言葉を真正面から受け止めるなら、このさき描く活動方針にズレがあること、それが最後まで擦り合わせられなかったこと、平野くん、岸くん、神宮寺くんにとっては今この場所からは世界を目指せない、ジャニーズにいたらできないことがあるのだろう。だれも人生の選択を縛れない。人生は彼ら自身のものであるべきだ。ただ、誰かが人生を選ぶということはまた、その選択が誰かの、そしてときには多くのひとの人生を変えてしまう。交わっていたはずの道は離れ、べつの世界線へとそれぞれが導かれていく。個の選択に正誤はないはずなのに、ないからこそ、そのどうしようもなさに空虚や無常を抱えてしまう。
今いる場所から離れてあたらしい世界に踏み出す覚悟も、今いる場所で変化を受け止めて続けることを選ぶ覚悟も、どちらにも価値があり、自分で出した答えならそれが最良であると思う。思いたい。だけどやっぱりどうしようもなくさみしい。
それでも時間は刻々と過ぎていってしまうから、5月22日まで全力で駆け抜け、くらむほどの閃光を放ち続けるであろう5人のことを目に焼き付けようと思っている。



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