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生きている、わたし

今年はじめて、彼岸花を見た。去年の今頃は入院していた父が家に戻り、在宅介護が始まってあまり記憶がない。ただ、何があっても季節をまちがえずに、ニョキッと首を出して咲く彼岸花に「アンタってえらいね。」と思ったことは覚えてる。

夫の仕事で、ドイツに行った卒業生からの葉書にはいつも植物や花のことが書かれていた。異国で言葉が通じない中、彼女はそこに在る自然と親しむことでその国に根付いて行った。新参者の生物としてそこにある自然のリズムに馴染んでいったのだろう。

先日、急に思い出したことがある。
夏休みは毎年、従兄弟たちと伊豆へ行って海で泳いだ。私はそのとき中学生で、母に生理になると泳げないからと、旅行の何日か前から薬を飲まされた。あの頃の生理用品は大きかった。母が、私の生理になった日と終わる日を気にかけることができたのは、使用済みのナプキンを片付けていたからだ。自分の身体と同じように、や、自分のこと以上に私のケアをしていた、とその錠剤を飲む時の夏の台所を思い出して、参った。

7月に台所を訪問した石田さん(79歳)は、娘さんをアフリカで亡くしている。私より1つ年下で農業用の土の研究者だったふーちゃんは37歳のとき事故で亡くなった。港まちにいる間、石田さんと港近くの公園で朝のラジオ体操をしたあと、喫茶真砂でモーニングを食べた。私は実家にいたとき12歳で初潮があったことを石田さんに話した。娘が生理になるサイクルを母はどのように受け止めていたのか聞きたかった。石田さんは「よかった、今月もぶじに来たな。そういった気持ちで、特に何にも特別なことはなかった」と言った。娘のいない私には想像ができない答えだったし、人間のサイクル、そのことについて考えが及んでいなかった。

リトルブーツは通常、日替わりで草花を活けてもらい、ポットラックビル2階の展示会場に置いてます。古橋くんは「植物を見ながら、ブーツの事ばかり考えてて笑えてくる。」と言いつつ、「今日はみずひき草にしました!」とか「パゴスブリザードはどうかな?」と写真を送ってくれる。目を向ければ、まちにはたくさん植物が生きている。そういえば、このプロジェクトの始まりに冒頭の卒業生の話をしたら、古橋くんが「花器は、暮らしの中に自然を取り入れるためのツールですが、自ずから根付くという生き方に気づかせてくれるためのデバイスにもなるのかも」と返信をくれた。

石田さんちの台所で、ご主人(ふーちゃんのお父さん)を看取った話になった。

石田:お医者さんが玄関でてくときにね「まぁ二日ばかりのことだから」って言われた日の夜だったもんな。わかるんだね。不思議だけど。
本原:私も父を家で看取って。だんだんと父がね…「こんなに綺麗な顔だったっけ」って顔で…。
石田:主人が苦しまなかっただけで良かったもん。ホスピスなんかいれると、自分じゃわからんじゃん。そうすると、もう悔いが残っちゃうじゃん。だけど、自分の目で見れると…。
本原:そう、自分の目でね。
石田:だから、「ありがとう」も言えたしっていうのが一番感謝だね。まぁ、何がいいかわからんけどね。
本原:お医者さんが、最後まで耳は聞こえるよっていうから、父が好きだった民謡をずっと歌ってた…。家で看取ることはいいことなんじゃないかな。
石田:今は施設とか病院で亡くなる方がほとんどじゃないですか。家で看る方が珍しいぐらい。でも、自分の親や旦那さんを観るのは看るのは不思議じゃないじゃんって。わたしは学問がないけど、そこはわかる。お父さんが亡くなるとき、「救急車を呼んで欲しいなら私の手を握って」と手を添えたのな。死ぬ時は救急車には乗らないって言ってたからな、その通りに握り返してこなかった。でも「寿弥(息子)に会いたいか」って聞いたら、すごい精一杯握ったんですよ。その時に、あぁこれなんだなぁと。言葉に出せなくても、手で握ってくれるんですよ。これが今忘れられていることじゃないかなぁと思うんです。最近、生と死っていうのに考えさせられるっていうのかな。自分の死に様をどうあるべきか。どうなるんだろう?どうしたいんだろう?って、すっごく考えちゃう。また相談乗ってな(笑)
古橋:また、みんなでご飯食べんといかんね。

ー片付けながらー
石田:今日はほんと楽しかったね。自分でもおもいがけんようなことをしゃべったなぁ。
古橋:ふふふ、石田さん、これは本になるでね〜
石田:いやいやいや(笑)
本原:ここ載しちゃいかんってとこは言ってね。
石田:そこカットてか(笑)
本原:そうそうそこカット(笑)
石田:まぁだけど、死はさ、いつでも誰でも来るんだけどさ。考える時ってのがあるんだよな。
本原:英語でね。It’s a nice day to die ! って言うんだよ。今日は死ぬのにいい日だって。
古橋:アラスカにもあったな。今日は死ぬのにもってこいの日って。
本原:ね。うん。つまり、いつ死んでもいいよって生きてこって話なんだけどね。nice day to dieってのを、うちの母に教えたら、なんか頼むとIt’s a nice day to die ! ってあんたが言ったじゃん。私は今日映画見に行きたいから、それはできないって(笑)
石田:ははは(笑)
本原:用事が頼めなくなった。

石田さんは、エンディングノートを鉛筆で書いていて、思い立つとアップデートしている。

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石田さんがお姑さんのためにやわらかめに作ってた、にんじん明太子バター

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あとで石田さんに「何を話したか覚えてる?」と聞くと、「よう、笑った。わたしってこんなに笑えるんだ!と思った。あと、娘のこと話しちゃいかんと思ってたんよ。時間て、すごいな。」と言った。

石田_食卓

画像5台所の廊下から見える、石田さんちの玄関。

【写真:村上将城】
*白い曼珠沙華は、本原撮影。

◎これまで伺ったお宅での定番ごはんのメニューなどをまとめたグラフィックや、会場で配布しているA5のチラシを特設サイトからダウンロードできます。
【Webサイトデザイン:大西未来、倉田果奈(港まちづくり協議会)】





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