見出し画像

往復書簡|お墨付きやみつき

拝啓 すがこさま

こちら信州では、一気に秋めいてきたどころの騒ぎじゃありません。
クローゼット内のノースリーブワンピを見ただけでお腹PPになりそうなくらいの気温の変化に、おコタを出す出さないで緊急家族会議が開かれたほどです。(まだヒザ掛けで耐え忍ぶという結論に至りましたが)

でも、困ったことばっかじゃないんです。もうちょっとで、アテンドでお迎えした超お気に入りのニット達を着られるので(*´ω`)
すがこさんも、こけら落とし待ちの逸品☆、あるんじゃないですか?


さて、前回のお返事

では、脳内BGMが流れる前に、目から鼻から液体が流れ出てしまいました…
しかも、食卓を囲んでいた家族の前で…

前回、5224字も費やしてしまいながらも、あの時の自分の正直な思いを書いたつもりだったけれど、
その後、今まで同様に

「これを読んで不快な想いをする人もいるんじゃないのか?」
「いい歳こいて傷つきましたもなかろうが!」

と、「脳内裁判」開廷&検察側の冒頭陳述スタート…
いやぁ~どんだけ沁みついてんだってくらいに根強いパターン)

その陳述に耳を貸さないようにしつつも、グラつきつつある中で目にしたすがこさんの返信

子どもの頃に受け取ったものを「愛」と定義するためには、
傷つくことは許されなかった。
少なくともおりょうさんは、その痛みに気づかないフリをするしか、生きていくすべを持たなかったのだと思うのです。
「傷ついた」に、証拠は不要です。
根拠も、誰かに証明してもらう必要もありません。
だから、「被害妄想」「自作自演乙」なんて言わないであげてください。
もし言われたら、怒っていいんです。
誰にもその痛みがわかる筈はないのです。

ねぇ、でもおりょうさん。
痛みや悲しみ、怒りだけを自分の内側に閉じ込めて、
「おもろいこと」だけを歌い上げるって、なんかちょっとつまんなくないですか?
それは、ほんとうにおりょうさんが表現したいものですか?
おりょうさんとバディになったときに、メッセンジャーで送ったと思いますが、
わたしたち、隣り合った2個の細胞のようなものだと思っています。
まったく違う個性を持っているけれども、
とおくから見たら、だいたい同じ感じの2個の細胞です。
どちらかが傷ついたら、もうひとつも無事ではいられません。
だから「わし、傷ついた」って思ったら、
心の中で呟くんじゃなくって、言ってください。世界に向けて。

これらの言葉達にどれほど勇気づけられたことか…
わたしが私のまま生きることを「えぇんやで」って後押ししてもらえたような…

それを語りつくそうとすると今度は6000字行きかねないのでこらえるけど、
突如現れた「弁護人すがこ」により、不毛な自分弾劾裁判を休廷できました。

ま、本当は自分が「自分の弁護人」になってあげにゃ、あかんのですよね。
その為にも、「わし、傷ついた」運動⁈がんばってみますね。



そしてもう一つ、「わたしたち、隣り合った2個の細胞のようなもの」について。

メッセンジャーですがこさんが書いていた

わたしが涼子さんの魅力を言語化しているとき わたしはそのことで、自分のエネルギーが循環しているのを感じられます。 誰かとつながって、そのすばらしさを伝えられるって ひとりぼっちだったらできないことですよね。


この前向きな作用にも感動したけれど、今回の

どちらかが傷ついたら、もうひとつも無事ではいられません。

これもとても印象的だったし、考えさせられました。

「すがこさんがそこまで真剣に受け止めてくれてるんだ」と感動した後で
急に「母や姉達の細胞」に思いを馳せたくなったんです。

今でも列挙できるほど「あの時あぁ言われたこう言われた」は沁みついているし、辛かった気持ちやどこか恨みがましい気持ちも残っている。

けれど、私が受けていた傷って、彼女たちに傷つけられた傷だけじゃなくって、先に彼女たち自身が深く深く傷ついていたからこそ、私も無事ではいられなかったんだなぁ。
具体的に何かされたorされないとか、そんなつもりがあったor無かったとか、そういう次元じゃないところでも起きてたことだったんだなぁ。


今までも、「姉たちはもっと厳しく躾けられて、体罰もあったりしてもっと辛かった。」とか、「お母さんが一番辛かったんだ。苦しかったんだ。」と、「理解」「納得」してるつもりだったけど、
そういう理屈じゃない部分ではじめてわかった感じがしてるんです。


そして、すがこさんの唱えた「隣り合った2つの細胞のようなもの」説を採択することによって、ある仮説も浮上してきました。

何か具体的な行動を直接相手にしなくても、自分自身の状態で相手にダメージを与えてしまうこともあれば、

逆に
何か具体的な行動を直接相手にしなくても、自分自身の状態で相手の傷を回復させたり元気にさせることも可能な部分があるんじゃないかと。

これまた「今までも理屈では理解してるつもり」案件なんですが、
違うとこでわかった感じなんです。

でね、すがこさん、この仮説がどうしてこんなに嬉しいかというと、

今までは、
自分の状態が「以前より上向いたかな♪」「成長したかな♪」と感じても、

「具体的な結果を残せるところまで行けてないじゃん!」
「そんなの気のせいだ!自惚れんな!」で即却下…

特に、ここ最近の娘との関係性の変化や、娘自身の変化に当てはめかけては引っ込めて…を自分の中で繰り返してました。

でも、

「傷ついた」に、証拠は不要です。
根拠も、誰かに証明してもらう必要もありません。

と、あるように、
その逆もまた「証明してもらう必要」はないんですよね!

自分自身の内側で起きていることなのに、
「傷ついた」「傷が癒えた」証拠や根拠を
「ちゃんとした誰か」に証明してもらおうと躍起になる 
「皇室御用達」的な万能な「お墨付き」を
求めずにはいられなかった私は根強く残っていそう。

でも、それに気づいたら、
「自分で認めりゃよくない?」「認めてみるってもんでしょ??」
って言ってみるつもりです。

お墨付きを他人から貰うことに必死になるんじゃなく
お墨付きを自分で自分に与えるプレイを楽しむっくらいに
なってみようかなw


ちなみに今回のタイトルは懐メロではなく、
脳内に「ジョイマン」が降臨

「なななな~ なななな~ お墨付きやみつき」 でしたwww                             

あか~ん! もう2600字目前…
取っ散らかったまんまですが今日はここまで。

すがこさんは、「お墨付きを貰おうとしてきた相手」っていましたか?

おりょう


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?