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【自分歴史】高校生編②

部活動の引退までを全うしましたが、最後の最後までチームメイトとは理解しあうことのないまま高校生活を終えました。ここでもとんとん拍子な出来事があり、自分で想像していなかった方向へ進みます。

高校3年の夏手前、最後の大会が終わり見事に成績を残せぬまま、一滴の涙もなく部活動は終了しました。サッサと終わってよかったな、くらいの気持ちです。やれやれ。

※恥ずかしい余談ですが、身長170センチだった私は部活引退後に一気に気が緩んで、体重がマックス77キロまで増加したため、クラスでのあだ名が番長になってました。

高校卒業後は就職しようと思っていましたが、ここも縁があってか、県内の大学からバレー部推薦の話があり、さすがに私立学校にを続けて進学は親にも申し訳ないな、とも思ったので2年間の短大へ進むことにしました。正直、もうバレーボールは部活でする必要もないな、と考えていましたが、短大生という自分が想像もつかなかった乙女ワードに心惹かれたことと、興味のあったデザイン学科がある、ということだったので、親にもお願いをして、奨学金で進学させてもらいました。

高校の卒業式には、安定の先生からの評価の良さで何か立派な表彰をされたらしいですが、全く覚えていません。それほど高校生活は私の中で重要度の低い時期でした。

この表彰も、中学時代からあった「依頼されたことは、とりあえずやってみる」を繰り返した結果だと思います。頼まれたことや、やってみた方がいいぞ、ということについては、結果は一旦どうあれ、やってみる、という行動が重要になります。ここではスピード感の重要さを痛感しました。

結果として、世間一般的な「高校生活の部活動で得た最高の仲間」というものはありませんでしたが、同族意識に支配されている人との関わりは極力減らして、自分で別のコミュニティを探した方がいいんだな、ということを、中学~高校の部活動や学校生活を経て気づきました。

こういった学生生活を過ごしたおかげで、

1.依頼されたことはとりあえずやってみる

2.同族意識に支配されている人には何も相談しない(無意味)

3.個人の力があっても、組織としての結果はイコールではない

4.リーダーがいないと、周りの個性も活かせない

5.恐怖支配では何も得ることはできない

といったことを、今思い返せば体系的に学べたことは、これから成人、社会人と進んでいく中で、ひとつ大きなベースになっています。

次回は「あの時の焦燥感はどこへ?部活が楽しくて仕方ない!」編とも言える短大時代を振り返ります。

ではまた!

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