房総各線の運行本数変遷

はじめに

千葉市を中心としたバス路線網は、2024年の現在では市境をまたぐものは少なくなってしまい東金市、四街道市、八千代市にごくわずかに残るのみとなってしまった。
しかし、1980年頃の路線図を確認すると大多喜、茂原、姉崎(市原市)、佐倉などにも路線があり、しかもかなりの本数が確保されていたようである。時刻表が完全に揃っているわけではないが、始発は6時台、終発も路線によっては21時頃までといった形である。
これは、従来国鉄(JR)が不便だったことが原因ではないかと考察している。手元に1972年(昭和47年)、1982年(昭和57年)、1988年(昭和63年)の時刻表復刻版があり、さらに2016年2024年の時刻表もあるので各方面の時刻を確認してみた。

考え方

千葉駅を中心として、各方面の始発・終発、始着・終着、運行本数をカウントしている。

総武快速線

まず総武快速線の運行本数を確認する。東京方面の本数をカウントし、途中津田沼止まりはカウントしていない。

総武快速線の津田沼開業が1972年7月のため、1972年3月の情報は総武緩行線である。時刻表にも全列車記載がないため本数は不明とさせていただいた。1982年時点での総武快速線は50本程度であったのに対し、JR発足1年後の1988年には80本、2010年代には110本オーバーとなっている。1982年時点での千葉発は5時であったが現在は4時45分の始発となって15分程度早くなっているが、それに対して千葉駅到着は0時40分前後と40年前からおおむね変化がない。時間帯に変化がないのにも関わらず本数が2倍になっているということは、運行間隔が半分になって高頻度運転になっていることがわかる。

内房線(房総西線)

内房線は1972年7月まで房総西線と呼ばれていた。最も古いデータは1972年3月なので併記させていただく。

内房線は1988年までは始発が4時台前半と極めて早くなっている。所要時間の都合などでこのように早いものが出ていると見受けられるが、本数は40年の時を経て約2倍になっている。終電についても23時前だったものが現在は0時09分木更津行きと1時間程度遅くなっている。気になるのは2024年3月時点で、なんと本数減となってしまっている。日中の運行本数が4本から3本に減便されてしまったことがこの本数に影響しているのであろう。

外房線(房総東線)

外房線も1972年7月までは房総東線と呼ばれておりその後外房線と改称されている。


外房線も内房線と同じ傾向で、始発が遅くなり終電が22時台から23時台後半(最終大網行きは23時59分)に遅くなっている。運行本数も2倍以上に増加しているが、2024年での減便はなくかなりの本数が走っている。1982年時点の1日36本という本数は、1時間に2本程度の運転ということになる。しかも一部は東金線直通のためこの本数が維持できているのは大網までの区間となり、それ以遠はさらに本数が減少する。これを考えると、茂原行きや大多喜行きのバスが成立するのはある意味当然のことかもしれない。

総武本線(成東方面)

総武本線成東方面であるが、千葉駅から最も本数の少ない方面になる。

1972年時点ではなんとたったの19本である。1時間に1本程度しかなかったことになる。多い時間でも1時間に2本で成東方面はかなり不便であったことが予想される。成東行きは今でも各停便11本、特急便16本の27本が1日に走っているが、当時はもっと本数が多かったと予想できる。現在でも佐倉以遠まで行く列車が1日39本、特急を合わせても50本程度と決して多数の列車が走っているとはいいがたい。

成田線

最後に成田線である。成田行き若しくはそれより遠方まで走る列車をカウントしている。

成田線も1972年では21本で1時間に1~2本といった状況で、京成に惨敗だったのではないかと想像する。JR化後は1日48本と1時間に2~3本の陣容となるが、内房、外房線に比べると寂しい印象はある。成田空港支線が開通した後も本数はほとんど変わることなく50本前後となっている。ただ特筆すべきは2024年3月の千葉駅終着列車0時23分である。これは、成田空港23時42分発という快速が増便されたためできたもので、成田空港のLCCや深夜着の便に合わせたものとなっている。この列車のおかげで千葉市内在住の方は成田空港に遅く着く便を選択することができる。

まとめ

1982年時点だけをピックアップすると房総半島方面は1日50本程度、総武・成田方面は20~40本程度となっている。拠点性の高そうなエリアの1日当たり本数は以下の通りとなる。
佐倉 57本(1時間に3~4本)
成田 38本(1時間に2~3本)
成東 19本(1時間に1~2本)
木更津 46本(1時間に2~3本)
蘇我 82本(1時間に4~5本)
茂原 31本(1時間に2~3本)
現在はこの本数が概ね2倍になっていることを考えると、きめ細やかにエリアを回る路線バスに一定の需要があることがわかるであろう。
1982年時点では、確認できただけで大多喜、茂原、姉崎(以上小湊)、成東、佐倉、八街(以上京成)へのバスが走っており、運行時間もかなり長い。この中で小湊バスが走らせていた各行先は既に廃止となっているか路線分断されており、唯一残る成東が子会社のちばフラワーバスに移管となっているもののそれなりの本数が確保されているといった状況だ。
交通モードとしては途中の拠点までは鉄道でそこからフィーダー路線としての路線バスのほうが効率がよく、仕方のないことだとは思うが路線バスの衰退の歴史とも重なり若干残念に思う部分もある。
引き続き路線バスや千葉県内鉄道についての考察を行っていきたい。

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