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その返信は本当に必要?個人を正論で叩く文化を無くしたい

「廃棄前提おじさん」という単語がヤフーリアルタイム検索のトレンド1位に入っているのを見て頭を抱えました。

ツイッターでとあるユーザが「高級な旅館の料理は多すぎる。廃棄が前提になっているのではないか。旅館選びに大失敗した。」という旨の投稿を、料理の写真付きで行ったのが発端です。ところが料理の写真を見る限りだとごく一般的な旅館の食事でした。

旅館やホテルの食事というのは一般的に多いものです。今回は和食でしたが、洋食のコース料理も食べ切れないほど出てきます。私も初めてホテルの料理を食べたときは、前菜とスープで満腹になり、メインが出てきた頃には苦しい思いをしたのを思い出します。

このユーザの投稿は正論で叩きやすい内容でした。旅館の常識と照らし合わせれば「多すぎる」のは間違いであり、廃棄が前提という指摘は誤っているからです。指摘しやすい内容は食事量だけではありません。旅館が特に高級でもなかったという指摘も目にしました。俗に言う「ツッコミどころの多い」内容だったのです。

多くの人が同じ内容で言葉を変えながら誤りに対して意見をしていました。正義の鉄槌を食らわす「快感を得る」には都合の良い内容だったのでしょう。

幸いにして投稿主は誹謗中傷は法的対処を検討すると発言しており、炎上に対する抵抗力はあるようです。しかし人によっては心的外傷を与えられても不思議ではありません。私もたまに発言を叩かれることがありますが、内容がまともであっても断続的に意見が来る状態は疲れます。時には生活に支障が出ることもあります。

SNSでの攻撃的な投稿が元となってプロレスラーの木村花さんが亡くなられたのは記憶に新しいはずです。あのときは言葉は刃だからSNSでの発言は気をつけようという趣旨の内容が多く出回っていたかと思います。もうそれすら忘れてしまったようで悲しくなります。

批判的な投稿で正義の鉄槌を下した気分になるのは快感です。私もこの記事のように批判的な内容を書くので気持ちはわかります。しかし、一人に対して僅か1撃の鉄槌を1000人が行えば、受ける側は1000回の攻撃を受けることになります。まともな内容の批判であっても反論しきれません。

ツイッターは返信可能な相手を制限する機能を実装しました。脊髄反射的な攻撃は自己防衛である程度は避けられるでしょう。それはそれで結構ですが、個人を正論で「叩く」文化は無くならないものかと頭を抱えます。

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