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Jリーグの過度なソーシャルディスタンスの意味について考えた

Jリーグが再開され、この週末にはJ2の第2節、J3の第1節が各地で開催されました。リモートマッチ(無観客試合)での開催とあり、多くのサッカーファンはDAZNを介してサッカーのある週末を楽しんだことと思います。

私も再開後の試合をリアルタイムで観ていました。試合結果に一喜一憂したり、偉そうに論評したり、順位表を穴が開くまで眺めたりと日常的だった行為をする度に安心感を得ています。

再開されたJリーグではいくつかの特殊ルールの元で行われました。競技に影響しうるところでは、交代枠が元々の3人から5人に増えています。これは過密日程で試合消化をしていくための配慮です。

競技に直接関係しないところでも普段とは異なる光景を目にしました。いくつかある中で気になったのが過度な社会距離確保(ソーシャルディスタンス)です。

Jリーグでは再開後の試合進行において、接触を回避するためのガイドラインを細かく定めています。代表的な光景としては、試合前の集合写真撮影です。今まで選手は肩を組んだ密集状態で撮られていましたが、今は各選手が1〜2mの距離を確保して並んでいます。これはガイドラインに『チームの集合写真撮影は認められる。但し、社会的距離(できるだけ 2m、最低 1m)を保つこと』と定められている通りです。

過度に距離の撮られた集合写真を見て疑問に思いました。同チームの選手は普段から練習を共にしている濃厚接触状態です。撮影の時だけ距離を確保する意味はあるのでしょうか。

最初にこの集合写真を見た時は不思議ではありましたが、考えてみた結果、全く意味のない行為でもないとは思いました。それはプロスポーツ選手だからです。

プロスポーツ選手は、健康で健全な生活を送るリーダーとしての社会的役割があると私は思っています。Jリーグの選手が社会的距離を過度に取ることが「社会的距離をとって感染症拡大を阻止しよう」という広告になります。

同様に試合前には医療従事者へ感謝の意を込めた拍手を贈るセレモニーが行われていました。この手を叩く行為も感染症拡大を防ぐためには直接的には全く意味のない行為です。ただし、この選手らの様子を通じて、その瞬間だけでも私達が医療従事者への感謝の気持ちを抱いたのならば十分に意味があります。

似たような例として、私はフェアプレー宣言に疑問をいだいたことがありました。日本でのプロスポーツは「基本的には」フェアプレーに満ちていると思います。それでなおフェアプレーを宣言する意味は有るのかと疑問を抱き、表面的で無意味なセレモニーだと思っていました。このセレモニーも、その場に居合わせた人達がその瞬間だけでもフェアプレーについて考える機会になれば意味はあります。

Jリーグの定める感染症拡大予防策は納得できるものもそうでないものも入り混じっています。中には本当に意味があるのかと疑いたくなるものもあります。そんな疑いを向けるような対策でも、社会的な役割を考えると価値があるのもあるようです。

一方で気をつけたいのは、自分らにJリーグが定める対策を強要しすぎないことです。いわゆる自粛警察やマスク警察みたいな行為です。感染症を正しく恐れるスタンスは変わりません。思考が感染症拡大防止に振り切りすぎるゼロイチ主義に陥るのも危険です。

Jリーグは再開しましたが、スタジアムでの観戦が日常だった方々にとってはもう少し耐え難い日々が続きます。サッカーファンにとって本当の意味での日常が戻るのはまだ先になりそうです。まずは多大なる尽力でJリーグの試合開催にこぎ着けた関係者の皆さんに大いなる感謝をしたい所存です。そしてJリーグを通じて感染症拡大を防止する決意を改められたらと思います。


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