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東京ヴェルディJ1昇格で私が見えた景色

このnoteも塩漬けかと思ってましたが、書きたいことが出てきたらぼちぼち書いていけばいいのかと思いまして。相変わらずノージャンルで気の赴くままに書いていこうと思います。

東京ヴェルディが16年ぶりのJ1昇格を果たしました。ずっと応援してきたクラブの歴史的な節目を目の当たりにして言葉にならない感動を得ました。おそらく一生の語り草になる出来事だったと思います。それならば今の気持ちや思考は書き留めておかなければと、謎の使命感を抱いて筆を走らせています。考察にあたる部分は私がサポーターの視点で見て感じてるものになります。それ以上の取材はしてないので的外れな部分はあると思いますが、ご容赦ください。

私とヴェルディ

私がどの程度の熱量をもったサポーターかというお伝えするために、私のヴェルディとの関わりを軽く記します。(軽くと書きましたが、書いてたら長くなってしまいました。興味がなければ読み飛ばしてください。)

私のヴェルディとの出会いは1994年です。当時は岐阜市に住む小学校3年生でした。当時から流行に疎い性分なのでJリーグ開幕の盛り上がりは全く興味がありませんでした。そんな少年でしたが、たまたまテレビで流れてたJリーグの中継に釘付けになってしまったのです。あの時の吸い込まれるような感覚は未だに覚えてます。中継されてた試合はヴェルディ川崎と横浜フリューゲルスだったと思います。ヴェルディが3ー2だったかで勝ったような気がします。詳細は曖昧ですが、ヴェルディが勝った試合だったのは確かです。私はブラウン管を通じて目撃した、たったこれだけでサッカーという競技に魅了され、人生の主軸に「サッカー」が加えられました。ヴェルディは私のサッカー好き人生における「父親」のような存在です。岐阜では名古屋グランパスエイトとの試合がメモリアル(長良川競技場)でも組まれてたので、よく見に連れて行ってもらいました。

私が「サポーター」として活動を始めたのは2005年です。ヴェルディの試合をたくさん見れるように首都圏の大学に進学しました。前年は天皇杯を優勝していたので、やっと「強いヴェルディ」を見れると喜びました。そこからはご存知の通りです。日立台のゴール裏で見た、GK高木義成選手の背後にボールが落ちる無情な様子は一生忘れません。

J2ではしばらくはバイト代を工面して遠征に行ったりと、熱心に応援をしました。ボランティアでクラブを支えようと関わった時期もありました。途中で地域リーグやFリーグに興味をもって軸足をそっちに移した時期もありますが、常に結果は追って一喜一憂していました。2018年のプレーオフ2戦もまた現地で久しぶりに熱狂できたいい思い出です。

ヴェルディは私の人生に不可欠な存在です。趣味を聞かれても決して「ヴェルディの応援」とは答えません。なぜなら生活の一部だからです。趣味を聞かれて「歯磨きです」と答える人はいませんよね?

J1昇格プレーオフ決勝

やっと主題です。前文を読んでくださった方、ありがとうございます。飛ばしてここまで来てくださった方、余計な操作をさせてしまい失礼しました。

J1昇格プレーオフ決勝は清水エスパルスを国立競技場に迎えて行われました。試合は後半にPKを献上して先制を許しますが、後半アディショナルタイムに得たPKで同点に追いついて引き分けました。レギュレーションにより、リーグ戦上位の東京ヴェルディがJ1昇格を勝ち取りました。染野選手のPKが決まった瞬間に涙が溢れて、試合終了と同時に顔を皺くちゃにして泣きました。色んな出来事を思い出してしまい、感情を抑えきれませんでした。

劇的な展開でJ1昇格を勝ち取ったわけですが、試合終了時の感覚を改めて言葉で表すとすれば「肩の荷が降りた」だと思います。何となく背負ってしまってたんだと思います。私がサポーター活動を始めた時から始まった長いトンネルでしたから。

ヴェルディは2007年に一度昇格を果たしています。しかし今回の昇格は2007年の時と比べて意義が異なります。2007年はまだ日テレやサイバーエージェントといった強力な資金源(=あえてこう書きます)が付いており、得点王となったフッキ選手を始めとした規格外の戦力を揃える余裕がありました。それこそ決勝の対戦相手である清水エスパルスのように。当時のJ2のレベルからしたら「昇格できて当然」だったんです。今回は違います。クラブ存続危機を経て(ほぼ)ゼロベースで作られ、困難から這い上がった新興クラブとして掴んだJ1昇格だからです。積もりに積もった15年分の感情は多様で、複雑で、全ての感情を丁寧に並べたら1冊の本が出来上がるでしょう。(誰か作ってください。)

それでもJ1昇格は「達成した」というより、「やっとスタートラインに立てた」というのが最も近い感覚です。試合後の城福監督のスピーチを聞いて気付かされました。ヴェルディにとって求めるものは「栄光」なんです。それも『新しいヴェルディ』で掴む栄光です。そうすることでやっと「過去の栄光」からの呪縛から解放されて、リブランドされた新しいヴェルディが完成するんだと考えています。(リブランディングってそういうことよな?)

次のステップは資金力

長いJ2生活で、紆余曲折ありながらもゼビオさんに拾っていただき、ようやく屋台骨が安定しました。リブランディングを掲げる事で皆が過去の栄光にとらわれない「新しいヴェルディを作ろう」というベクトルを持つ事ができ、大きな力を作り出せました。その象徴が城福監督の招聘であり、その結果がJ1昇格だと思います。

先ほど「スタートラインに立てた」と書きました。しかし当然ですが、J1に一度上がったからと言って順風満帆に事が運ぶとは思えません。2024年のJ1では最弱のポジションからのスタートです。降格候補筆頭でしょう。「エレベータークラブにはさせない」と城福監督は意気込んでおられるので、心情的には信じて託したいと思います。ただ、客観的に厳しい戦いを強いられるのは変わりありません。

なぜ厳しい戦いになると思うのかというと資金が無いと予想されてるからです。資金が無ければ戦力を整えられません。J1で戦うには人件費だけで最低限として10億円は必要なようですが、2023年のヴェルディは遠く及ばない人件費で運営されてたと聞きます。もちろんカネをかければ勝てるかと言えば、そうとは限りません。J2でも中位の予算でJ1昇格を決めた私たちが何よりの証拠です。ただ、特異な例であると認識しておいた方が無難です。新しいヴェルディに足らない次のパーツは「資金」です。

鍵となるのはプレーオフ決勝の観客数だと思います。プレーオフ決勝は5万3千人が見届けました。清水エスパルスのサポーターも多く来場されてましたが、写真を見る限りはヴェルディの応援で来られた観客が多数です。今年は平均入場者数が近年では最多となる7千人台となりました。J1ではさらに増えるでしょう。この新しいサポーターの心を掴んで絶対に放さないのが重要になります。どんなに負けが続いても、例えJ2降格が決まってもです。それは難しいミッションだと思います。

多くのサポーターが付いていれば、単純に興行収入が増えますし、パートナー企業も離れにくいと思います。そこが資金源になって、降格しても数年で上がる体力を擁したクラブになるはずです。もちろん、降格しないのが第一です。そして、2023年のように安定した経営基盤があり、素晴らしい指揮官の元で、皆が同じベクトルで戦えている状態なのが最低条件です。(この最低条件は継続可能だと信じてます。)

心のどこかで諦めてました。私が応援するヴェルディはJリーグバブルに作られた不人気な亡霊なのだと。でも5万人が逆に私を勇気づけてもくれました。支えてくれる人も、応援してくれている人も、まだまだ沢山います。外野は何かと過去と対比をつくって煽ります。でも私たちは新しい仲間達とブレずに新しいヴェルディの新しい歴史を作っていかなければなりません。どんな難題に直面したとしても、絶対に乗り越えられると信じて。求めるものは新しい栄光のため。

結びとして、カズこと三浦知良選手が日経新聞に寄稿された記事を紹介します。有料記事なので引用はしませんが、興味があればご一読いただくのをお勧めします。「栄光はすがるべきものじゃない(三浦知良)」この記事ではヴェルディの現状と方向性を、三浦知良選手の言葉で記されてます。私はこの記事に強く共感しました。一読いただけると、私たちがどういうマインドで新しいヴェルディを作っていくべきかを考えるきっかけになると思います。

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