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学生スポーツで高校野球だけが話題になるのはダメなのか

緊急事態宣言が解除されて、プロ野球の開幕が6月19日に決まりました。スポーツ界のリーダーであるプロ野球が再開するとあり、いよいよスポーツ界も新しい日常を迎えるのだという感慨深さがあります。

プロ野球が開幕する一方で、気になる話題があります。それは全国高等学校野球選手権大会、いわゆる夏の甲子園の開催中止です。プロ野球は開催するのに甲子園は中止するのかという意見が散見されました。

甲子園開催中止を巡っては、様々な意見が見られました。開催を求める署名活動も話題になりました。開催を求める声に対する反応で気になった意見があります。それは「高校総体が中止なのに野球だけ開催を求めるのか」という声です。

野球だけが特別なのか

野球の開催を求めた意見に対して、他競技を軽視していると述べる非難はあまりにも的外れに感じます。しかし高校スポーツにおいて野球だけが特別扱いされている状況は私も違和感を抱いていました。

私は高校の時に吹奏楽部の所属でした。その当時に奇妙な相関関係に気が付きました。野球部の成績と吹奏楽部の成績は反比例しているのです。野球部が予選で勝ち上がれば上がるほど、吹奏楽部の夏のコンクールの成績は落ち、その逆も起きていました。それは当然で、野球部が勝ち上がるほど吹奏楽部のコンクールに向けた練習時間が減るからです。

他にも野球部の応援は全校を上げて行うのに、サッカーやバスケなどの競技はしません。校風があるとは理解しつつも、競技による熱のいれ方の違いに不平等感がありました。当時は不平等感からくる嫌悪が、野球に対してありました。

何かが象徴にならざるをえない

高校を卒業したあとも長らく不平等感は抱いていました。しかしスポーツを広く見ていく中でその考えは変わりました。それは「何かが象徴にならざるをえない」ということです。日本のスポーツではそれが野球だったというだけの話かと思います。

そもそも甲子園というコンテンツがなければ、私達は高校生のスポーツに対してどれだけの興味を持てたでしょうか。甲子園を通じて学生スポーツの競技レベルの高さや、ドラマ性を知ることができているのだと思います。その延長として、野球だけでなく他の競技ないし文化活動においても同様であると想像を働かせられます。本来は勉学に勤しむ場である高校において文武両道として部活動に励む理解を得られているのも、甲子園における生徒一人ひとりの物語に美談として光があたっているからだと思います。

野球は日本のスポーツの象徴であり、甲子園は学生スポーツの象徴です。誰もが知っているコンテンツに光が当たるからこそ、私達は共通の話題であり共通の課題として、学生スポーツについて考え、意見を述べることができています。

野球を崇めよとは思いませんが、日本のスポーツを牽引する存在として話題の中心となるのは歓迎すべき状態と考えています。

甲子園の中止は如何か

最後に甲子園中止に関する私の意見を書いておこうと思います。私は開催すべきと考えます。それは野球に限りません。発表された当初は当時の情勢を照らし合わせて開催中止は不可避かと思っていました。今は開催すべきという立場です。

感染症における現状を加味すれば開催は問題ないと思います。生徒の中にはこの大会を競技者としての人生最大の目標と捉えて活動している選手もいるかと思います。彼らの思いを遂げさせる舞台は大人が用意してあげるべきです。これは現役選手だけでなく、スポーツの将来にとっても由々しき事態だと考えています。

心配であれば観客を入れずに開催すればよろしいかと思います。甲子園球場を利用することでコストがかかるのであれば、規模の小さい競技場を利用するなどで開催は可能です。観客を入れなければ中継を通じて観る人が増えるはずです。採算が取れる程度に放映料を高くするのは可能ではないでしょうか。

一方で感染症の第2波の心配もあります。ただしこれは緊急事態宣言解除後に2週間もすれば結果は現れます。もちろん鎖国を継続するのが条件です。それでも心配だというのは科学的根拠が必要です。科学的根拠が無いのであれば、それは大震災を心配するのと同程度の心配だと思います。第2波の傾向が観測されたら緊急事態宣言が再度発令されるでしょう。それに合わせて改めて中止を決めればよいのです。

こうして学生のスポーツについて語れるのは、その象徴としての甲子園が存在するからです。甲子園だけ議論して他の競技は無視されていると憤っている皆さん、少しは多目に見てあげましょう。その延長にはみなさんが大切にしているスポーツや文化イベントの存在もあるはずです。

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