12. 決断に迷走す

 今度の診察で希望の再建方法を伝える。
 いよいよ先生に質問できるチャンスも最後になる。

 リンパ浮腫にならないか気掛かりだった。
 乳癌手術では、転移の有無を調べるために、術中、乳管内から癌細胞が最初に辿り着くとされる腋下のセンチネル(見張り)リンパ節を切り取る生検が行われる。転移がなければ手術続行、転移が認められた場合はその場でリンパ節を廓清、となる。
 余計な廓清を防ぎ体への負担を減らす、という患者からするとありがたく素晴らしい検査なのだが、後にリンパ浮腫が起こる可能性がない訳ではないらしい。
 リンパ浮腫は知るほどに恐ろしい。普通の浮腫みとは全く違う。一度なったら治らない。腕全体が腫れあがり、巨大化する。北斎の浮世絵に描かれていた象皮病の脚を思い起こし身震いした。
 この生検で、少なからずともそのリスクを負うことになる。
(※象皮病はフィラリア感染からくる後遺症の一つで、リンパ節廓清で起きるリンパ浮腫とは違いますが、あれだけでっかくなるという、あくまで私の中のイメージです。)


 この日の乳腺外科の診察は午後だった。職業訓練校は休んでしまおうとも考えたが、パソコン系の講義はスケジュールが詰まっていて、一日のスキップは命取りだ。午前の授業は出席することにした。
 
 7月10日、15:30外科受付、16:00診察。

 希望の再建方法を、広背筋皮弁と伝える。
 続けて、まとめてきた質問を投げかける。

Q. ASMの術例は?
A. 今まで10人以上、50人以下。
 だから局所再発はT先生曰く、
「実際のリスクは、5年とか10年経たないと分からないわな。」
 乳癌治療は進化を続けている。新しい術式のデータが出てくるのはこれからだ。

Q. 皮膚の部分壊死が起きた場合はどうなる?
A. 最悪はお腹か太腿前面から皮膚移植。やってみないとわからない。

 そんなの嫌っっ!!
 だが先生は、
 「そこまで考えてない!」
 質問自体が不毛とでも言うように、私のグダグダした悩みをバッサリ切り捨てていく。

Q. 胸の切除はどのようにする?
A. サイドか下側から。体を横にしたりして様子を見て決める。
 切除範囲を訊くと、紙に描いてくれた。乳腺と脂肪をデコルテあたりから丸ごとごっそり取り除く。
 センチネルリンパ節生検で転移が見つかってリンパ節を廓清する場合は、血流を確保するために、胸の傷から腋まで繋げて切るそうだ。
 「でも、見つけたら取っちゃうからね!」
と、相変わらずオモロイ言い方…。

 リンパ浮腫については、
「生検でもなる人はいる、些細なことでもなる、何もしなくてもなる、なったら治らない。」
と一息で、絶望的な答えが返ってきた。やはり。
 確率は低くても、なる時はなるんだ。


 「非浸潤癌は、手術したら終わり?」

 前の医師に言われた言葉が心に残っていた。
 そう問うと、T先生は口を尖らせちょっと困ったように

 「え、半年後にも診させてもらうけど…」

 と呟いた。そんなぁ、という口ぶりだ。
 あはは。ここに転院してよかった。


Q. 浸潤が見つかった場合は?
A. 小さい(2~3mm)場合は何もしない。大きい場合はホルモン剤。
 パソコンをパチパチ入力しながら答える。無駄な説明はない。

 細々した私の質問に区切りをつけようとしたのか、くるりと体をこちらに向け声をかけた。

 「(ステージ)0でも1でもいいけど!」
 「!!」
 「よくないけど!」

 いや、1でもいいんかい!

 驚いた顔をした私を見てすぐ言い直したけど、ステージ1までは先生にとって微細な差なのだろう。いや、ホルモン剤やるかやらないかは大きな差だけど。
 それでも沢山の症例を見てきた人のこの言葉には、気張った心を解く力があった。
 

 手術の説明にリスクと書かれていると、どの位のものか全く予測がつかず、不安が募る。
 もし部分壊死や病理診断で乳輪を取らなければならなくなったとしたら、結局あんなに嫌だったパッチになってしまう。
 「うーん、それかサイズダウンして縫うとか。」
 広背筋の再建でそんなことしたら、私のサイズでは胸がほぼ無くなってしまう…。
 局所再発のリスクもあるし、ならばいっそのこと乳輪は切除して、一次インプラントで二期広背筋がいいかなって…。
 「そんな術式あるかなぁ?」
 あるの、あるの。でもそうなると、術式が変ってしまう。

 皮弁立上げでの乳頭再建も、年月が経ってもなだらかにならない人もいるんだよねー、と軽く答える。え、そうなの!?

 再建について質問があれば形成に予約して、と言うばかりで、術後の乳輪の左右位置問題については、T先生は全く考慮にない様子だった。


 「これで予約に乗せるからね。」
 じゃかじゃかとプリンターが動き、手術に向けての説明書と同意書が何枚も現れた。
 診察は今回で終了、次に先生と会うのは手術の前日。

 入院は8月上旬から2週目位、だいたい一週間前に病院から電話があるそうだ。形成に質問した分、一週予定がずれたかな。

 「お盆休みはありますか?」
 「病院にお休みはありません。」
 少し呆れたように返された。入院がお盆になることもあるかもしれない。

 インプラントでの再建なら手術時間は午前で収まるが、自家再建の場合は午後の手術室も押さえなければならないと言われていた。術式を替えることはスケジュールの大幅な変更に繋がる。少し迷いがあることは、考え過ぎだと思って伝え切れなかった。

 16:20診察終了。そのまま入院手続きの窓口へ向かう。


 明らかに考え過ぎ。
 でも、もし術後に乳輪を切除しなくちゃいけなくなったら?再建が出来上がっちゃった後で、どうなる?
 猛烈に不安になって、夜、JさんにLINEでぶちまけた。術式について羅列する。私の思いの丈を読んだJさんは、「可能性の話をするとキリがないからプロに任せておけば」と冷静な返答だ。
 確かに考え過ぎても仕方ない。最悪コースにならないことを祈るしかないか。
 そりゃ任せるしかない…。でも知っておきたい。私は自分なりに把握して納得しないと落ち着かない性格なんだ。

 壊死が怖い。リンパ浮腫も怖い。
 
 この先どうなるだろう。
 このまま0期で済むかもしれないし、病理検査で転移発覚の可能性もある。今後、健側に出来ることもある。次は0期で見つけるのは難しいだろう。
 今後どうなるか、経済的、精神的に持つだろうか…。
 乗り越えられる気、全くなし。


 「風邪ひかないようにね。」
 とT先生は言っていたが、気が緩んだか疲れが出たか、滅多に出さない熱が出た。20年振りくらいに39℃近くまで上がり、咳も止まらなくなった。
 高熱はすぐに治まったものの風邪のような症状は一週間続き、訓練校を度々休んだ。
 
 職業訓練のカリキュラムにはキャリアコンサルティングが盛り込まれていて、その日は一日中、個別面談、面接練習や履歴書の書き方など、就職にまつわる指導日となる。
 診察日がこのキャリコンの日に重なることも幾度かあり、ついでに発熱を理由に、後半はすっかり休んでしまった。
 本当は治療が終わった後の就職について相談するチャンスだった。だが、自分語りが大好きな、年下の担当女性講師には相談する気になれなかった。欠席理由として提出する病院の領収証で、病名は言わずとも明らかだ。余計なことは聞かれたくない。話せば、コイツの前できっと泣いてしまう。


 相変わらず乳頭再建について、気持ちが落ち着かずにいる。
 漠然と二期再建で作るのもいいかとも思ったが、よくよく手順を思い浮かべてみた。乳頭をくり抜いた後そこを縫い合わせるとなると、穴の開いた約1cm分の径を潰すことになる。つまり、他に埋め合わせるものが無い限り、その1cm分、乳輪が変形するということだ。皮膚に余裕を作らない限り、勝手に元の形に戻ることはない。
 またもネット検索すると、センチネルリンパ節生検の際、腋の傷口から皮膚を取り、乳頭再建に充てるという施術を目にした。二期再建までの間、採取した肋軟骨を腋に保存しておくこともあるらしい。

 完成してしまってからでは遅い。そんな傷が目立たない方法があるなんて!
事前に伝えておかなかったら間に合わない。このまま手術に臨むのではモヤモヤが残りそうだ。
 また散々悩んだ末、Z病院へ電話してみることにした。

 19日。総合受付に電話する。担当医を聞かれお待ちくださいと言われた後、E先生が出た。あわわ、一発で直接先生に繋げるの!?

 「あぁ、Rさん。何?」
 「あの、乳頭再建について気になることがあって…。」

 ネットで見かけた情報を伝えると、E先生は、広背筋操作のために切り取った背中の皮膚から乳頭を作り、乳輪に開いた穴から引き出して縫い合わせる方法を挙げてくれた。そ、それは、余計な傷が出来なくてものすごくいい方法じゃない?

 「他に何かあるかな?」
 「あ、あと2~3、質問があって…。」
 「じゃあ外来の予約取ってもらおうかな。じゃ31日。待つかも。僕の外来混むから。」

 ほぉぉ、よぉ言うたのぉ。T先生より混むってか。

 「(もちろん)時間はご都合に合わせます。」
 「じゃあ9時。ところで入院の日にち知ってる?8月第3週。」
 あれ、また一週後ろに倒れた。正にお盆じゃん。

 やっぱり訊いてみなきゃ分からなかった。そんな方法があるなんて。逡巡していたが、胸のつかえが一気に下りた。

 それにしてもまたも手術日が倒れた。となると、生理と重なるんじゃないだろうか。もし手術日に生理が当たったらどうなるんだろう。

 昨年末から年頭にかけて突然生理不順に陥り、大出血が続いた。いつ止まるか様子をみているうちに頭がぼわーっと真っ白になり、階段を数段上がるだけで激しい息切れがするようになった。何もしなくてもふくらはぎがキュウッと収縮しはじめ、やっと貧血かもと思い立って婦人科を受診した。
 あの時みたいな大出血がまた来たらどうしよう。手術中ナプキン当てるの?尿管入れるのに?じゃあタンポン?8時間もある手術中タンポンでも1回じゃ持たない。手術中、血の海?それとも入れ替えるの?手術中に手を止めて?ひぇぇぇ…生き恥晒す…!!
 入院中、せめて手術日に生理が当たらないようにするにはどうすればいいか。
 ピル使って止めておくのは?早く決めないと間に合わない!
 急いで検索。手術前のピルの使用はよくないらしい?それに、ハッと気付く。乳癌にホルモンを補充する薬って使っていいの?
 焦りに勢いがついた。もう、また病院に電話しよう。

 翌20日、学校の休み時間、総合受付へ電話。またお待ちくださいと、T先生に直接繋げようとする。長いコール音、いや、先生に訊くような内容じゃないし!この時間、手術中なんじゃ?もう授業始まっちゃう。
 実際手術室まで電話が回ったんじゃないかと思うくらい待たされた後、乳腺外科の受付に繋がった。勢い余ってピルについても口にしたからか、私たちでは何も言えないので受診して欲しいと言われてしまった。
 こんなことで。ただ手術の時の生理の対処を知りたいだけなのに…病棟の看護師さんとかに訊ければ済むことなのに…。
 ただ、31日に形成外科の診察があることを告げると、早く呼ばれた方から受診すればいいからと、無駄のないよう同日同時刻に乳腺外科の予約も入れてくれた。

 もう一度気持ちを整理して、先生に訊いてみよう。


(2018年7月10日~20日)

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