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徒然なるままに…働き方とACとPTSDと境界と(変化は痛いが変わりたい)

年末に自分を振り返るきっかけがあって、なんとなくオンラインでの人とのつながりに疲れてしまったように感じていて、あまり自分に刺激を与えない様にしていました。それがやっと落ち着いた感じです。ほっ。

私の思う私に合った働き方考察

年末年始に夫と一緒にこれまでを振り返ったりして、一緒にこれからの目標を立てたり、どんなことを習慣化していきたいか考えたりしてた。私自身は仕事辞める問題で揺らいでいて、かといってこのコロナ禍の中、ハローワークの求人なんかを見ても、去年の同じ時期からすると私がいいなと思っていた種類の求人は減っていて、ちょっとどう動いていいかわからないなって感じていたり。

私自身としては、まだ余裕のあるうちに自分でやってみたいことを少しずつ試してみて、修正をかけて・・・と、トライアンドエラーをやっていけたらいいなと思っているけど、いまだに不安定な自分の状態を考えてみると「自分でやっていく」という状態を保てるのかどうかがとても不安。やっぱり勤め先に戻って少しずつフェードアウトしていくのが最善なのではないかと思ったり。でも、諸事情により戻ると自分のやりたいことを試すという選択肢は一旦据え置きになってしまう。これは会社の事情によるものなので、私の力が及ぶことではないから、どうにも変えることは出来ない。

だからって何もせずにいるのは違うって、それは今までと変わったところで。自分のサイトを作ってみようかと考えたりもしていて、自分の作品を作ったり見てもらったりする「アトリエ兼ギャラリー」みたいなものを、実店舗ではなく(それを作るお金はないのでw)、オンラインに作って自分の色々を整理していこうかとも思ったり。noteがその役割を果たしてくれるとも言えるけど、自分で自分のためのサイトを作るのとnoteを活用することとにどういう違いがあるのかなっていうのも少し知りたいところではある。

断捨離は自己肯定と境界の強化なのか?

年末年始に断捨離も少しやって、ついこの間自分の部屋もまた模様替えした。自分だけのために誰の意見も入れずに自分の好きなようにレイアウトしてみて、何だか自分の中の何かが「これでいい、これでいこう」みたいにいってくれているような気分になれた。多分私にとっては断捨離も、一生懸命自分の境界を強化するためのものに過ぎないのかもしれない。

歓びを人と共有したい

また、年末には知り合いがカードリーディングしてほしいということで、わざわざうちに来てくれて。図らずもアロマアナリーゼとカードアナライズを組み合わせた形の一つのセッションが完成したのと、それによってカードとアロマの使い方がまた少し広がったりして。自分がこれまで自分を癒すためにやってきたことが、大切な人たちに広がって役に立って求められる喜びが何物にも代えがたい自分の癒しになって返ってくることも知った。そして、人と関わることによって自分のやってきたことが大きくなり形を変えていくことも。本当に涙が出るくらいに嬉しかった。この歓びを仕事に出来たらどれだけいいかと思うのは、私としては当然で。副業でも、頼まれたときだけでも、どんな形でもいいから続けたいと思っている。

ただ。今の仕事に就いていたらそれすら叶わないこと。とても厳しい規制が会社にあるし、それ以上に今後もなかなか変わってくれる組織でもないと認識している。となるとやっぱりメインの仕事を変わるか、複業という考え方に移行してそれを実行できるように働き方を変えていくしかない。

少し恨み言を言わせてもらえるなら、就職氷河期を経験した上に、また新たなる時代の変化に対応していくとなると、元気な時ですら体力を消耗するのに、メンタルダウンから這い上がってる途中にまた何やら岩が落ちてきているようなそんな気分になってしまっている。

苦しいからこそ自分の足で

ただ、この試練の連続をただただやり過ごすのは勿体ないし、どうせ考えなきゃいけない乗り越えなきゃいけないなら、今度こそACあるあるの「自分の中に残る親の思考や嗜好のままに決断する」のではなく「自分のために自分の幸せを考えて決断する」という乗り越え方をしていきたいと心から思う。
あぁ・・・私が「自分で編み出した自分のやり方にこだわる」のは、ずっと自分でない何かに自分の人生をゆだねてきていたように感じていたからなんだなって、今はっきり自覚した。

私は今自分の人生を自分のやり方で歩きたいと心から望んでいるんだ。

そして、そういう大事な時期にいるからなのか、今は誰かと相容れる余裕が私にはない。
毎日の生活を夫とともに相互理解を図りながら歩いていくのが、他者と関わる精一杯なのかもしれない。そしてそれによって作られていく境界が、多分人と関わる時の境界にもなってくれるような気がする。他人に入ってほしくないこころの境界線。程よい距離感の礎を築いてくれる大事な大事な境界線。

己を知り、境界を知り、距離をとる

多分私は、なかなか人に理解してもらいにくい性質だし、これまでの人生経験で色々とこじらせているから、それこそ人との距離を人よりも長めにとる必要があるタイプなんだと思う。
でも、本当は理解してもらいたいと誰よりも思っているし、人と楽しく関われていた昔があって、出来ればまた人と温かい関りを持ちたいと思っている。そしてそれらは無邪気でいられたころの、いわゆる子供の時の記憶だから大人になった今もその感性を理解してくれる人が少ないことはわかっている。
だからこそ人と関わるために必要なのが境界線と距離。
過去の色々な出来事とそれらにおけるトラウマやPTSDのおかげで境界線と距離は私の中でうまいこと形成されなかったことを今更に知った。

自分においての「程よい」がまるっきりわからなかったんだ。

でもようやく、「ここに境界線を引こう」とか「これくらいの距離から始めてみよう」とかがやっと自分の感覚として自分に芽生え始めてきたように思う。

ちなみに書いておくと、

私の境界線は「夫との時間や空間(つまりプライベート)を阻害されない範囲」に引かれていて、プライベート=自分の考えややり方、思いを大切にできる時間や空間。これが夫との時間や空間となっているのは、夫と過ごす家が自分の考えややり方思いを大切にできる時間や空間を守ってくれていたからに他ならないと思う。

私にとって今の自宅は聖域だし、どこよりも私にとってのパワースポットだと言える。また、

これくらいの距離というのは「共有できる何かについて楽しくもしくは有意義な時間を過ごせる距離」といった感じ。

今はまだ私にとってのネガティブさに触れてしまうと、不安定さや脆さがすぐに戻ってきてしまうから、そういうものからは距離を置いておかないと結局色んなものが破綻してしまう。だから距離を置く。たとえどんなに近づきたかったとしても。
でも。他人のネガティブさが自分に向けられていると「私が感じるものでない」ならば、それは私におけるネガティブさではない。つまり、他人が悩んでいたとしてそれを共有して一緒に解決したり、気持ちに寄り添ったりすること自体は私が距離を保つことを妨げないし、私がカードを始めたのは、自分を知るためでもあるけれど、よく悩みを相談されて自分のものとして取り込んでしまうことに苦しくなってしまって・・・自分のものではないことを自覚するために「カードという媒体」を使って相手と共有してそこに留めておくための苦肉の策でもあったことを思い出した。
ある種カードが私の境界線を作るきっかけになったのかもしれない。
それを思えば、私がどうしてカードにこだわっていたのかも納得。もしかすると私の境界の門番なのかもしれないな。自分でも意識してなかった。

こんなことを書きたくなったのは・・・

ふぅ・・・。少しだけ落ち着いたなぁ・・・。
実は私の退職への決意を聞いた職場の人で一生懸命動いてくれる人たちが数人出てきていて、色々動いてくれているみたいでここ最近辞める決意が大きく揺らいでいた。辞めることが自分にとって最良の決断だと思っていたのに、冷静にある意味感情に流されずに決断したつもりでいたのに、とても大きく揺らいだ。「あなたは必要な人だ」「そんな風に扱われていい人じゃない」と言ってくれ、「つらいなら自分が壁になってもいい」とまで言ってくれる人も出てきて、少なからずとも味方になってくれる人がいたんだなぁと温かい気持ちが自分に戻った。

目をそらしたい現実

職場が怖い。それは今でも消せずに心に巣食っていて私の感情を乱す。それまでにあったことを思い出して話すと、血の気が引いて倒れそうになるし、過呼吸を起こしてしまうことだっていまだにある。いわゆる平静な状態を保てなくなってしまうのは事実だ。だからこそ一度は腹をくくった。もうあそこは無理だって。ただ、境界線と距離の測り方を知った私ならどうだろうかとも思ったりする。気にかけて見守ってくれる人も出てきたし。少しは安心して過ごせるのではないかと一瞬温かい職場を想像する。でもそれは想像だ。現実じゃない。私の今の現実はPCの前でnoteの記事を書いている。いまだに一人で行ける場所は制限されていて、買い物もウォーキングも一人で行けるのは稀で。聖域である自分の家で仕事がしたいと願っている。これが現実。あと3年頑張れないかなって自問するけど、頑張るを始めることができるだろうか・・・。そしてその頑張るはひたすら我慢することではないのか・・・。それでは結局同じことの繰り返しだ。遅かれ早かれ同じ状態になってしまう可能性が高い。

自分の心の声

だったら思い切って充実感のある世界へ飛び込もうよ!!ってもう一人の私は言うけれど、それはそれで怖くてね・・・。慣れ親しんだ苦痛に満ちた世界すら快適なものに見えてしまうんだ。今の仕事を続けて、自分の喜びはこのまま人に提供し続けるという選択もありだけど、存在意義をそこに感じてしまった以上、中途半端に諦めるようなことはしたくないなと思う・・・。

難しい決断だからこそ、自分でちゃんと考えて・・・。それを私が望んだはずだから。どんな決断にせよ、私が決めていいんだから。そしてそれが出来る環境を私は私にちゃんと準備できたんだから・・・。

まずは、深呼吸。

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