見出し画像

私が恐れていた怒りと立ち向かい方。

今回は、怒りが爆発して人間関係がうまくいかなかった私自身の色々のお話です。ほぼ私の主観なので、こんな人もいるんだなぁくらいで読んでいただけるとありがたいです。

自分の気持ちがわからない

私はずっと自分の気持ちや要望を自分で無視し続けてきたので、その場その時の自分の気持ちを即時に理解することが苦手です。それに伴ってなのか、自分をそのままに表現するのも苦手です。もしかすると、ACさんやPTSD持ちの方にもある程度共通するのかもしれないですね・・・。
このため、私自身「なんかいやだ」とか「なんかモヤモヤする」とかはわかっていても、「それがなぜなのか」はその時はわからないのです。
でも、少し時間が経ったり後で思い出したりしたときに「あの言葉に傷ついたんだな」とか「あんな風にされたくなかったんだ」とか「なんだかないがしろにされたみたいに感じてしまったんだな」とはっきりわかるのです。
そのことが起こったその時に「それって傷つくな~」とか冗談ぽく言えたらあまり後に残ったりしないのでしょうが、私にはそれができません。
こういう状況が続いていくと、ストレスが溜まっていくのは目に見えていますし、「どうしてあんなことを言われたのだろう」と悶々と一人その人のことを考えてしまったりしていました。そして最も怖いのが。

ある日突然ため込んでしまったものが爆発する という事象です。

きっとその人は忘れてしまったであろう色々が、私の中には残っていて、いつの間にかよくわからない負のセオリーに結び付いて臨戦態勢に自分が入っているのです。起きたこと一つ一つは、本当は怖かっただけなのに、傷つけてほしくなかっただけなのに、悲しかっただけなのに、相手の気持ちを傷つけるようなそんな事態になってしまって・・・。
私はいつしか自分の中の怒りという感情が恐ろしくなってしまいました。

怒ってはいけない私

そして、「私は怒ってはいけない、怒りにつながる感情を持ってはいけない」というマイルールが完成し、それによってさらに怒りをため込み、我慢を強いて爆発が起こるというスパイラルに陥りました。

その頃ちらほらと「アンガーマネジメント」なる用語を見かけて、これだ!と思った私は、一人いそいそと講座に申し込みます。
その結果。講師の先生から事前登録時のメールアドレスにご連絡をいただくほどの生徒になっていました。
何かが漏れ出していたんだと思います(;´・ω・)

皆さん知ってました?怒りって私みたく長々と続く感情じゃないんですって。長期化するとそれは怨みのようなものに進化してしまうらしいのです。それって怖い。私が「人間関係をぶち壊す悪者だ」と思っていたのは、そういう怨みのようなものでした。

負の感情をため込んだ結果

どうしてためこんでしまうんだろう。
そう考えた時、はじめに浮かんだのがずっと顔色を窺っていた両親。そして怒鳴りつけたり嫌がらせをする上司。最後にマイルールでした。両親や上司は自分でどうしようもできないので、マイルールについて考えてみようと思います。

マイルールによると、私は怒ってはいけないし、怒りにつながるような負の感情を持ってはいけないのでした。
そこで多分、良くない出来事(=傷ついたこと・失敗したことなど)や、その時抱いた良くない感情(=悲しい・悔しい・妬ましい・羨ましいなど)をなかったことにするためにすべてに蓋をするようになっていたのです。消化して排出するわけでもないので、常にいっぱいいっぱいのどす黒い熟成させた何かが心を占領してしまう羽目になっていました。そりゃ、怨念になっても仕方がないと私は思いました。自分の感情がわからなくなっても仕方ないとも思いました。そして、この状況をどうにかしないといけないと思っていたころ、どうにかしなければ立ち行かない状況がやってきます。

複雑性PTSDが判明する

それが病気です。心身からのSOS発信。それが複雑性PTSDだと診断してくれたドクター、また、そこにつなげてくれたカウンセラーさんには今でも感謝してもしきれません。それがなければ、きっと今でもさらなる苦しみの中にいたと思うからです。私はそういった医療関係者に恵まれたので、服薬や心理療法をフル活用して治療に挑みました。初めの方はとってもつらかったです。いわゆる暴露療法がメインでしたので、つらかったこと苦しかったこと、あの心の中のドロドロが詰まったツボを一つずつ開けてはそれを適正に処理していく作業をするのですから・・・。一時的にパニック発作が酷くなった時期もあります。なかなか目に見えるものではないので、支えてくれる人も必要だし、支える人の理解も必要です。自分自身もそうですが、医師、臨床心理士、支援者である夫が私自身を各方面から支えてくれて成立した治療です。結構重たい病気だと思います、複雑性PTSD。

でも、両親には理解してもらえなかったし、仮病だという職場の人もいました。私自身が「もうわからない人はどうでもいい。みんなだいっきらいだ!!」くらいの重症だったから逆に良かったのかもしれません。そうじゃないと、元々HSPやACだったりする自分より他人を気にして開き直れないですから。ある意味で必要な流れだったのかもしれないと今は思います。

こんな私にも友達がいる奇跡

ここまでで察していただけると思いますが、私の人間関係の構築はこんな状態で構築されたものなので、私の周りに残ってくれている人は、一緒に病気と向き合ってくれるくらい寛大な人たちばかりです。中には、私が話している途中にその時の感情を思い出して怒り狂っても、それを笑いながらいなしてくれる、さらには一緒にその消化を手伝ってくれるという強者もいます(笑) ある意味で、どんな自分であっても「ありのままの自分」でいれば、自分自身を好意的に理解してくれる人がちゃんといてくれるんだなっていう自戒的経験となっています。逆を返すと、偽物の自分で生きていると、偽物の自分を好意的に理解してくれる人がいるわけだから、あとあときっと苦しくなっちゃいますよね。

あ・・・。だからといって感情をぶちまけることがいいと言っているわけではなのでご注意を。

私が言いたいのは、そんな状態でも「大丈夫だよ」と寄り添ってくれる人も中に入るのだから、あなたがただでさえ感じやすく、生きづらさを抱えているのなら、せめて周りにいてくれる人たちくらい心休まる、素のままの笑顔でいられる相手にいてほしいじゃないですか。そういう意味では、良いところも悪いところも見てそれでもいいよって言ってくれる人と生きていけたらいいなぁと思うのです。そうすれば、きっと自分にも自分の周りにいる人にも優しい生き方が出来るんだろうなぁと思うから。
私の場合、散々きっと迷惑をかけてきた人生です。ここから先くらいは、少しずつでも優しさで返していく生き方が出来たらいいなと思っているのです。あ・・・。これが私の思う豊かな人生かもしれません。

まとめ

怒りや負の感情をそのままため込むと恐ろしいことになりそうなのは想像してもらえたんじゃないかなと思います。そして、これを読んでいる方にはそうなる前に消化されることをお勧めします。ため込みすぎてしまっている方は、専門家に相談してみてください。是非に。
私もあなたも優しく在れる世界が訪れますように。

今回私の主観を垂れ流しましたが、それでもお付き合いくださりありがとう。私の何かが誰かの役に立てたらいいな・・・。
どんな心理療法うけたかとか、自分で練習したこととか、自分でやってみてるワークとか役に立つかな・・・?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?