インナーチャイルドと私と仕事
私が見ていた夢の中のインナーチャイルド1
いつだったか、よく夢の中で3歳くらいの私ばかりを見る時期があって、そして決まって私は大きな木の向こうにある大きな鳥かごの中で、膝を抱えて座ってた。
扉はあいているのに、大人の私がそこへ入っていっても、ここからは出られないんだって3歳の私は言う。大人の私はいつも子供の私の手を引いて、そこから離れるために空を飛んで逃げていく。そしていつの間にか追っ手に囲まれて目の前のエレベーターに飛び乗って、そのエレベーターが真っ逆さまに落ちていくっていう夢。
夢の中のインナーチャイルド2
その夢が治まった後は、子供の私が大人の私の話を聞き入れてくれて、自分の足で鳥かごから出てきて、外はこんなにひろかったんだねって笑って、急に昼間の明るさになったそこで嬉しそうに走り回る夢。でも、一通り遊んだら、眠くなったって言ってまた鳥かごへ帰っていく夢。また来てね、ばいばいって終わってた気がする。結局鳥かごからは離れられないんだなって思った記憶がある。
夢の中のインナーチャイルド3
そして、そのあとは、空っぽの鳥かごを大人の私が見にいく夢だった。あれ?もういなくなったんだなって。出してあげたいってあれだけ思っていたのに、大人の私は「子供の私がいなくなってて寂しい」って思う夢だった。
インナーチャイルドが消えた日
ここに書くのはとても恥ずかしいけれど、今の旦那と出会って今の大人の私が子供のように振舞うことがとても増えて、その頃から最後の夢を見るようになった。多分、インナーチャイルドがインナーチャイルドとして存在しなくなったんだって自分では認識していて。やっとある意味での解離がおさまったんだって思って嬉しかった。
多分、私はつらいことを全部その子に渡したまま、あの鳥かごの中に閉じ込めていて自分を保っていたんだと思う。だからこそ、つらいことをまた自分の中に戻したことで、芋づる式に思い出すことが増えて、いわゆるフラッシュバックで体調を崩すようになったのもこの頃から。大人になってからの酷いトラウマは自分の中でまた蓋をしていて、そのあとになってからまた大きな負の連鎖を迎えるんだけど・・・。
丸ごとの自分になれた理由
多分、全部ひっくるめて治療ができたのが今回の一連の通院でだと思う。それまでは治療しようがなかったのもあるだろうし。
解離状態を解消できたのは、初めて自分を丸ごと受け止めてくれる、どんな自分でもそのまま受け止めてくれる人に出会って、この人なら安心だって、自分の安全な居場所を見つけたからなんだろうなって、ふんわり思っていて。そういう意味では、あくまでも私の場合だけれど、誰かに傷付けられてしまった心の傷は、結局のところ拠り所となってくれる誰かによって回復していくものなのかもしれない。どれだけ人が怖くなっても。やっぱり人間は一人では生きていけないのかなって自問自答した。
やっぱり誰かが必要で。
やっぱり一人では心細くて。
やっぱりどこか居場所が欲しくて。
やっぱりだれかに必要とされたくて。
やっぱりどうにか生きていたくて。
生きていくなら
生きていくなら、これまで自分の中にぽっかりとあいていた穴を少しずつでも満たしながら生きていきたい。そんな風に思うから、私は生きる意味や自分の存在意義や、傷ついた人を同じような思いをしている人を少しでも楽にできる仕事がしたいとか思うのかもしれない。
自分勝手で偽善的な生き方なのかもしれないけど
生きていくって大変だね。でも。色々あるけどそこに自分の意志があれば、人生も意味があるものになるのかもしれない。なんか、自分のために誰かを助けたいと思っているようなそんな気持ちはとても偽善的で、ネガティブな気持ちになってしまったりもしたけど。自分が持っている能力や資質や経験が誰かのためになるなら、やっぱり使わないのはもったいないと思うし、悪用するよりも絶対に役立てたいって心から思うから。
そんな風に生きてる自分でも合格だよってことにしようと思う。
私の生きる道、こっちでいいかな?
こっちでいいのかなって最近多分最後のブレのようなものがあって、実際このnoteの記事も書ききれなかったんだけど、自分が覚えている頭の中の鳥かごを絵にしたら、今日のこの記事がするすると出てきてくれた。
私の働く場所で私自身は悩んでいたんだけど、私の働く場所はこれまで働いてきたような場所ではなくて、今日書いた絵や記事の体験や、思考ではなく感覚を大事にしたことだったり、それを誰かのために使うことだったりするんじゃないかなって・・・。その方向へ進んでいっていいよね?ってこの記事を書きながら自分に自問自答してる。
後悔してみてもいいよね?私やってみてもいいよね?って私が私に問う今週だったのかもしれない。
どんな形かいつから始めるのかわからないけど。
それでも気持ち的には少しずつこっちかな?って思う方向へ進んでみてるつもりです。違和感を覚えることもあるけど、そのときは立ち止まってみて納得いくまでやってみてっていうのを今は繰り返せたらって思っています。
noteで少しずつ繋がれている方々からは、いつも少し背中を押してもらっている気持ちでいます。
ありがとうございます。