『アイデアのつくりかた』再読

前回の記事、
「『卒業設計コンセプトメイキング』再読」では、
『アイデアのつくりかた』に出てくる好きな言葉を書いた。

前回の記事↓↓↓

ずっと、また読み直そうと思っていたので、
『アイデアのつくりかた』も再読する。


ふと思い出した昔の体験

ざっと、振り返ると言いたいことはこんな感じ。


アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせである。
それを作り出す才能は
(たぶんこの「才能」は先天的という意味ではない)
事物の関連性を見つけ出すことによって高められる。


それはコントロール可能なプロセスを含んでいて、

  1. データ集め

  2. データの咀嚼

  3. データの組み合わせ (無意識活動)

  4. ユーレカ(発見!)の瞬間 (無意識活動)

  5. アイデアのチェック

という流れ。詳しいことはここには書かない。
(読書記録アプリ「ブクログ」に書いてます。
 人によっては感想orメモを公開してて、おすすめ。
 ちなみに自分は公開してません。)

1、2と5のプロセスは意識的に行うものだけど、
3、4のプロセスは無意識的なものらしい。

3、4の無意識活動は必要不可欠の段階だけど、
なにかする訳でもない。
勝手にはたらくのを待つ。

そして、想像力や感情を刺激するものに心を移す。
例えば音楽、劇場、映画など。


そういえば、似たような状況で
ユーレカを体験したことを思い出した。

中学の時、自分の県内ではレベルの高かった
専門学校の入試問題、数学の図形の問題。
図形って、ひらめくかどうかが肝だったりする。

英語を教えている担任から、
「お願いがあって、これを解いて欲しい」と言われた。
自分が受験したわけじゃなかったけど、
クラスメイトが受験して、解けなかった問題用紙を
学校に持ってきたらしかった。

休み時間を使って頑張って考えたのだけど、
いまいち解法が浮かばなくて、
一旦持ち帰ることになった。

帰り道に歩いていたら、
別に帰り道もその問題のことを
ずっと考えていたわけじゃかったけど、
ふと解法が思い浮かんだ。

その時初めて、
「降ってくる」みたいなことを体験したと思う。

帰り道のどこで思い浮かんだか、
その場所も覚えている。
いつも通りの田んぼ道。
学校から出てすぐのローソンを曲がって、
ニュータウンの方に向かって、
数十メートル歩いたところ。
(わかる人はたぶんわかる)

これが想像力や感情を刺激する場所
だったかどうかは不明だ。
刺激があるとしたら、
狭い道路を猛スピードで走るトラックか、
田んぼから飛び出してくる虫やカエルぐらい。
(物理的刺激)


その後から今までにも
そんな経験があったかもしれないけど、
強烈に覚えているのはその出来事かな。


なにかアイデアを生み出したいとき、
最初はひたすらにリサーチする、
情報を集めて知識のベースをつくることは
めっちゃ大事なことな気がする。

アイデアとは既存の要素の組み合わせであるから、
知識のベースが多いほど、
いろんな組み合わせが生まれ、アイデアが生まれる。

本の中で万華鏡にたとえられていたのが
かなりしっくりきた。

万華鏡の中の欠片(知識)を集めて、
ただひたすらに集めて、
何も考えずに回転させる。
(組み合わせができるのを待つ。)
欠片同士が常に新しい位置関係をつくる。
アイデアは、その動きの一瞬におとずれる、
一つのパターンにすぎない。


「普通を目指す」ことは、積極的な美徳

巻末の解説で
物理学者の竹内均さんが書いていたことも
意外に印象に残った。

要は、
「人には人生の大目標があるから、
 どうでもよい日常に時間や労力を浪費しないことが大切。
 その意味で、「中庸」は、
 人生の大目標に全力を集中するための積極的な美徳だ。」

みたいなことを言っている。

「中庸」という言葉の意味をよく知らなかったから調べた。
「極端な生き方をしない、普通」ということらしい。


そして、直ちに仕事を始めよ、とも言われた。
言われたというか、書いてあるのだけど、
まるで自分が言われているかのような気がした。

方法論や道具は、
理想の人生を実現するためにあるものであって、
方法論や道具に凝りすぎることは本末転倒だ。

建築設計においても同じことが言えるかも?
なんて思ったりした。
手法なんてなんでも良くて、
それによって良い建築ができて何かが解決したり
社会がより良い方向に進んだりすれば
それで良いんじゃないかとか。





でも最近はすごく思考法に興味がある。
自分の武器、考え方の軸を探していきたい。

だから、もう少しだけ
「直ちに仕事」を遅らせていきたい。


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