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他人に興味ないくらいで、ちょうどいい。

私はもともとあまり人に興味がないタイプ。

だけど最近ますます他人への興味関心が薄くなっていて、結果非常に生きやすいので、今日はそのことについて書こうと思う。

なんだかもう冷血漢なの?(※女です)みたいな書き出しになってしまったので、ここから挽回していく!


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まず前提として、他人に興味がないからといって、大人としての最低限の礼儀とかマナーを忘れているわけではないし、むしろ意識している。

家族や親戚の付き合いもするし、数は少ないけど友達もいるし、会社のメンバーのことだって、とても大事だ。

決して心が凍てついているわけではない。

だけど、興味は薄い。

は?なにそれ?
訳わかんないんですけど?



…と、過去の私なら思うだろう。

こんな私でも人のことが気になって気になって仕方がなかった時期はあって、やれ他人と自分を比べて一喜一憂してみたり、相手の落ち度やいまいちな部分を必死に見つけては内心批判してみたり、それはもう忙しかった。

なぜそんなことになっていたか?

それは、単に暇だったからだ。


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過去の私も、決してやることがなかったわけじゃなく、むしろ独身時代は仕事に忙殺されていたし、出産後は息子の世話に追われて言わずもがな。

だけど、暇だった。

心が暇だったのだ。

つまり、没頭できるもの・夢中になれるもの・自分の持てる時間を最大限投入したいと思えるもの…

そういったものに、出会えていなかった。

目の前にやることはたくさんあるのに、夢中になれるものはない。

身体はとても忙しいのに、心の中では暇を持て余している。

今思えば、とっても不健全な状態だった。



今の私は、仕事がとても楽しくて没頭していると言ってもいい。

仕事を一生懸命やる分、プライベートではゆっくり休んだり家族との時間を楽しんだりするので、メリハリもつくようになった。

その結果、「心のエネルギー」が変に他人に向くことがなく、仕事と自分の生活に集中し、他人への興味関心を失いながらも人間関係が悪くなることはなく、むしろ良好だ。

思えば、他人に興味をなくすことで孤独になってしまうんじゃないかという恐怖心もあった気がするが、全くもってそんなことはなかった。


SNS時代、現代人は他人に興味を持ちすぎだ。

日本人は協調性を重んじる(=他者に興味を持つ)文化だから話がややこしくなってしまうけど、他人に興味などないくらいでちょうどいい。

ひとりになってしまうことなんてないし、むしろ同類の人との繋がりができ、お互い精神的に自立しているからとても心地が良い。

もし、ひとさまのことをああだこうだと言いたくなったら、自分のことに集中できているかを疑ってみようと思う。

「心のエネルギー」が自分に向けば、もっともっと良い人生が待っているに違いない。

#振り返りnote #私の仕事 #人間関係


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