【整形と彼氏】そのとき、わたしは彼を捨てた。理想の自分になるために。
整形したという事実は一生付き纏う。
こんにちは、りこです。
今回は「整形と彼氏(旦那)」について。
これは本当に人それぞれの事情や関係性があるので一概に答えが出ない問題だし、ある意味永遠のテーマなのかなって思います。
あくまで一個人の体験ですが、これが誰かのお役に立てたりこういう考え方もあるんだって思っていただければ嬉しいです。
その頃の整形とわたし。
整形が生き甲斐だった。
こんな顔じゃ生きていけない。
整形は、そんなわたしの唯一の希望の光であり魔法でした。
次はどこを弄ろうか考えてる時間が好きだった。
アップデートして少しでも綺麗になっていくことがたまらなく幸せでした。
ダウンタイムが終わったときの、あのコンプレックスが消え去ってゆく晴れやかな瞬間の中毒でした。
ただその頃はまだ今のように整形が一般的じゃなくて。
やっぱり風当たりは強かったし、理解してくれる人も本当に少なかった。
そんな中で出会った彼に、わたしはやっぱり整形済だなんて言えなかった。
といってもその時カスタム済だったのは目と鼻くらいだし、別に言わなくてもいいやという感覚でした。
「昔の写真と顔違くない?」
「痩せたら二重になったんだよねー。垢抜けたでしょあはは」
それから昔の写真は処分しました。
昔の顔を知る人間とは接触を断ちました。
そうしてわたしに過去はなくなりました。
この手術をしないと死ぬ。
そんなときに、流行りだした輪郭整形。
オルチャン、少女時代、韓国美容…
どうして韓国の女の子たちはこんなに美しいの?
それを突き詰め、辿り着いた韓国の美容整形外科。
まだまだ情報が少なかったあの頃。それでもわたしはその整形した女性たちの造形の美しさに目を奪われ、穴が開くほど見つめ、夢に出てくるくらい毎日彼女たちになりたいと恋焦がれました。
どうしたらこんなに美しくなれるんだろう。
鏡に映る、ゴツゴツした大きな顔。
これがわたしなんだ。
今迄こんな不細工な顔でのうのうと生きてきたなんて。
恥ずかしい。
そのうち、この顔で人前に出るのも嫌になりました。
綺麗だったら、もっと自信を持てるのに。
気付けば、輪郭整形はわたしの生きる唯一の手段となっていました。
「整形したお前はもうお前じゃない」
「整形したいの」
輪郭手術は、命の危険と長いダウンタイムそして大きな容貌の変化をもたらします。
さすがに、彼に打ち明けないわけにはいきませんでした。
「どこをしたいの?充分だよ。俺は今のお前を好きになったんだし、それ以上何もする必要ないよ」
その好きになったわたしは、整形を重ねた上でこうなったんだよ。
きっと整形してなかったら、好きになってくれるどころか出会いすらしてなったよね。
整形したから、人の目を見て話せるようになったんだよ。今のわたしがいるんだよ。
「お願いだから、理解して。整形させて。この整形しないとほんとうに生きていけない」
何度も何度も喧嘩しました。
「お前は、親からもらった身体を何だと思ってるんだ。五体満足に生んでくれただけで感謝しろ。顔を変えることは生んでくれた親や今のお前を受け入れてくれる人間に対しての冒涜だ。整形したらお前はもうお前じゃない」
じゃあどうして親はわたしのことをもっと綺麗に生んでくれなかったの?
こんな顔で生きていくことが辛いのは立派な生きづらさじゃないの?
病気になったらお医者さんに治してもらうのは普通なのに、わたしのコンプレックスを治すのはどうしてダメなの?
何度も何度も、施術内容や自分の気持ちを説明し、時には泣きながら取っ組み合いをしたりして何とか理解を求めました。
「そうまでして男にモテたいのか」
違う、自分の為。
「一生嘘つくんだな。気持ち悪い。騙された旦那と子供が可哀相だから結婚だけはするなよ」
誰かを騙そうとしてるんじゃない。自分がこうなりたいだけ。
「どうせ将来崩れるよ」
将来じゃない、わたしは今、生きてるの。
話は平行線でした。
他人はいなくなるけど、自分の顔は一生一緒。
就職、将来設計、結婚、子供、仕事…
人は、大人になると様々な人生の岐路に立たされ、多くの選択肢の中から自分の生きる道を選び取り、そしてまた生きていきます。
その中で残るもの、別れるもの、捨てなければいけないもの…
何をどう頑張っても、幾ら両手で抱えようとしても、諦めなければいけないものは出てきてしまいます。
自分とまったく同じ人間なんていないから。
わたしは、自分が生きる為に彼という存在を諦めました。
自分が自分であることを選びました。
他人は一生一緒にいる確信はないけど、自分の顔は一生一緒だから。
なにを基準に判断すればいいかわからなかったけど、そのときのわたしのベクトルはそこにありました。
人生に正解なんてない。あるのはただここに存在する自分だけだと思って。
自分を愛する為に。
頬骨、エラ、顎を切りました。
高熱にうなされ、鼻と口からは大量の血が止まらない中、パンパンの顔でひとり過ごすダウンタイムはほんとうに辛かったし、心細かったです。
でも、今は満足しています。
わたしは、やってよかった。
顔の皮が弛んで筋肉の位置も不自然に落ちて、メンテナンスは大変だしチタンは入れっぱなしだし、これからリフトやらまた一生手術の連続だろうし将来きっと機能障害が出てくるかもしれない爆弾を抱えて生きているけど、それでもわたしは昔ののわたしより今のわたしのほうがずっと好きです。
別れを告げ疎遠になっていた彼とは、腫れが落ち着き再会しました。
「まだ受け入れられない。けど、表情が明るくなって考え方も前向きになったからよかったよ」
涙が止まりませんでした。
ただ自分を愛することができるようになる為に、少しでもこんな自分を好きになれるように、自信が持てるように。
そして自分という存在を受け入れてもらえるように。
それだけのことが、どんなに大変だったか。
でもそれでも、わたしに後悔はありません。
彼とは、しばらくまた距離を近づけることはできましたがやはり整形
する前と後では何かが違ったのか、他の理由で別れました。
今ではいい思い出です。
死ぬまで抱えていくリスク。
もちろん、わたしは整形を推進するわけではありません。
むしろ、やらなくていいのならやらないほうがいいと思います。
整形は魔法ではありません。
本来全く必要のない手術です。
一度切ったり傷ついた人間の細胞は、絶対に元には戻りません。
見た目は元通りになったとしても、内部組織は新しく生成されたものであり必ずどこか歪みが生まれます。
特に人間の顔は、ほんとうに細かい神経や細胞の集まりです。
そこにメスを入れるのがどういうことか、今一度考えてみてください。
人間の皮膚の限界を超えて入れたり切ったりすることは将来どのような影響があるか、修正不能となった場合はどうするか、そういったリスクも考えなければいけません。
そして、ほんとうに好きになった人がいたとしてその人が整形した過去を受け入れてくれるかどうか。
だいぶ一般的になってきたとはいえ、まだまだ整形することに関して風当たりの強い風潮は否めません。
将来子供が欲しいのなら、その点に関しても慎重に考えるべきだとは思います。
最後に、いわゆる「沼」。
整形は、一度では終わりません。
一箇所を弄ったら、さらにどこかやりたくなります。
そしてバランスを取ろうとしているうちに、どんどん次の施術をしたくなります。
美しい女性、流行りの顔、なりたいボディライン…
欲望は止まりません。どんどん新しい施術方法が現れ、誰かが綺麗になっていきます。
もっと綺麗になれる可能性が溢れる中、自分の中の落としどころを見つけるのは容易ではありません。
そして、限界。
頭蓋骨を削る整形はまだありません。
耳の位置、眼球の位置を動かす施術も場合によっては可能でしょうが現実的ではありません。
フルカスタムが終わった頃、きっと自分の骨格の伸びしろのなさに気づくでしょう。
そのとき、自分を受け入れられますか?
人間には戻らないという覚悟。
整形をする理由は、人によってほんとうに様々だと思います。
でも、それでもいろいろなものを犠牲にしながらもただ自分だけの美しさを求めるその姿はとても好きです。
死んでしまうかもしれないリスクを抱えながら、そのためだけの努力をもって美しい人工物となる刹那的な儚さ。
綺麗なその瞬間だけを切り取ったものを存在として体現しようとする矜持。
もう人間には戻らないという人生を賭けた覚悟。
もしかしたら整形の美しさは、造形美だけではなくふとした瞬間に消えてなくなってしまいそうな儚さとその裏にある強い努力と覚悟にあるのかも知れません。
でもそれは、きっとどんなに自分のことをわかってくれる人間でも、理解してくれるかどうかは不透明です。
整形と大事な人。
それは本来、全く性質の違うものなので天秤にかけるべきものではないのかもしれません。
それでもどちらかを選ばなくてはいけない局面に遭遇したとき、あなたが後悔のない選択ができますように。
悩ましいテーマではありますが、この経験が皆様の選択の手助けとなれば幸いです。
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