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量を増やすことではなく環境も考えた「質」で貢献する時代に

「富士酢」で知られる明治26年創業の飯尾醸造は天橋立で有名な京都・宮津にあります。のどかな風景が広がるこの町で、1964(昭和39)年から農薬をいっさい使わないで育てた新米から米酢を作り続けています。今回のインタビューはそんな飯尾醸造の5代目、飯尾彰浩さんに30年後を伺います。飯尾さんは酢の醸造家であり、酢をテーマにさまざまな仕掛けをするクリエイターという印象を受けます。飯尾さんの考える食の未来を、実際に醸造所を案内していただきながら聞きました。

飯尾醸造の酢の製造方法

飯尾彰浩
1975年生まれ。東京農業大学大学院を修了後、コカ・コーラにて社員教育、マーケティングに従事。2004年、実家である京都・宮津の「飯尾醸造」に入社。地元の古民家を改装したイタリアンレストラン「aceto」のオーナーほか、「江戸前シャリ研究所」所長、「手巻キング」などさまざまな顔を持つ。

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完全無農薬の米造りと静置発酵。
これがうちの「価値」です

――(蔵の片隅にあった米が入った瓶を見ながら)これは何ですか?

富士酢米の量

飯尾 1リットルの酢を作るのに使用する米の量です。JAS規格で「米酢」と表示してよいとされる米の量は40g程度なのですが、私たちの蔵では、「純米富士酢」では5倍の200gを、「富士酢プレミアム」になると8倍の320gの米を使っています。簡単にいえば米を麹で発酵させてまず「酢もともろみ」と呼ばれる酒を造り、それに酢酸菌を加えて酢にするわけです。

――こうやってみると、40gという米の量は発酵には少ない気がします。

飯尾 この米の量だけで発酵させるのは無理です。発酵させるための糖分が足りない。米だけから酢をつくるには最低でも120gのお米が必要です。それに満たないものには、醸造用アルコールや各種の穀類を添加して造られています。そうしないと価格はなかなか抑えられないですからね。

――飯尾さんのところはその米も全部無農薬なんですよね。

飯尾 そうです。苗も、我々の手で種もみから発芽させた無農薬のものです。年間で使う米は60トンで、そのうちの3%だけ自分たちの田んぼで作っています。あとの97%は契約農家にお願いしています。自分たちの田んぼは手植えですが、農家の方にそこまで強いるのはできないので、苗を植え付ける機械や苗を植え付ける黒紙も無償でお貸ししています。

――黒紙?

飯尾 黒いビニールがかかった畑を見たことはないですか? 雑草が生えるのを防ぐのですが、ここではそれを紙にしているんです。紙が溶けるまで1か月半は雑草が生えないので農薬を使わなくていいし、土に還るので環境にもやさしい。農家さんにはうちのやり方をやってもらうわけですから、その分、買取価格を高くしています。農家さんへの負担はなるべくなくし、二人三脚でやっていこうという考えです。

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蔵に貼ってあった雑草よけの黒紙写真。そこに苗を植え付けていく。

「無農薬米づくりの取り組みと新しい農法」

――農家さんにはノーリスクで、ということですね。

飯尾 はい。自然相手の農家の仕事は本当に大変ですからね。後継者不足もいわれているし。製品の原料となる大切なものの価格を叩いてはダメでしょう。労苦に対して少しでも報わなくてはいけないと思うし、それを付加価値としてどう販売していくかが自分たちの仕事です。

――9月、10月に米を収穫するとして、酢造りはいつ頃から始まるんでしょうか?

飯尾 その年にとれた新米を使い、1月から4月の頭までかけて、1年分の酢の生産に必要な「酢もともろみ」つまり酒をつくります。精米から麹づくり、酒母づくり、そしてもろみの仕込みで、杜氏や蔵人が泊まり込みながら、1か月以上かけてつくっていきます。麹づくり1回の工程で45時間かかるので、ひと晩はかならず泊まらなければならない。1本仕込むのにひと月ほどかかり、それを何本ものタンク分だけつくるわけですね。

――日本酒の醸造と同じですね。

飯尾 基本的には同じです。日本酒の場合では麹からつくるのはごく当たり前の光景ですが、酢やみりん、しょうゆ、味噌といった調味料の麹はほとんど機械装置でつくられています。お酢屋で酒蔵を持っているのは全国でうちくらいだと思います。そして、タンクに酒が入ったら、酢酸菌を加えていきます。

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――タンクに藁をかけているのは保温のためですね? だいたい何度くらいでしょうか?

飯尾 39~40℃くらいです。研究時の至適温度でいうと酢酸発酵は30℃くらいなんですが、うちの酢酸菌は江戸っ子気質のようで熱めの湯が好きなんです(笑)。

――酢酸菌って売っているものなんですか?

飯尾 うちでずっと受け継がれているものです。シート状になった酢酸菌の膜があって、これをタンクに入れた酒の表面に置いて、そのまま静かにしておきます。これを静置発酵といいます。多くのメーカーは「全面発酵」といって、酢酸菌を入れたら酒に空気を送り込んで1日で発酵を終わらせてしまいますが、「静置発酵」は80~120日間ほどの時間をゆっくりとかけて、アルコール分を自然に酢にかえていきます。ゆっくりと時間をかけることで、酢酸と水が調和しますし、発酵によるうま味も出てきて、まろやかな味わいの酢ができあがります。

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酢もともろみに張った酢酸菌の膜

――すべて手作りなんですね。ここで機械化というと・・・

飯尾 瓶詰めだけです。ベルトコンベアーにのせて自動的に処理をしていきます。衛生面、安全面でいうと、消費者の目も厳しくなってきているし、人間の力に頼るチェックだけではなかなか厳しい時代になってきたので、ここは機械化ですね。機械化によって事務的な余裕は出てきました。それ以外は基本的には無農薬だし、手作りです。

アレルギー患者にも安心で
ヴィーガンにも対応できる酢

――それにしても、無農薬の米を基準の何倍もの量をたっぷり使い、製造には手間も時間もかかるし。そのモチベーションはどこからくるんでしょうか。

飯尾 私は5代目ですから、中継ぎをきっちりやろうという気持ちですかね。まずは昔からの酢造りの伝統をここで絶やしてはいけないと思うし、質を下げてもいけない。スターターでもクローザーでもなくて、ゴールがない状態で働けることがおもしろいです。祖父が米造りに力を入れて、父が受け継いで良質の酢ができあがっているわけですが、実は、父がつくった酢で、どうしてもネガティブな香気成分が出てきてしまうことがあったんです。丁寧に時間をかけてつくろうとすると、出てきてしまう成分、それをたとえばAとしましょう。全面発酵なら少ないのですが、静置発酵だとAがたくさん出てしまうんです。そのAを克服するために、私は父に大学で研究するように言われました(笑)。父はAを消そうとしていた。でも研究してみた結果、Aを消すのではなく、それをBまたはC、Dといったほかの香気成分でマスキングすればさらに上質な味わいになることがわかりました。それもごくナチュラルな方法で。企業秘密なのでこれ以上は言えませんが、こうした、基本的な製造方法は守りつつ、質の向上をめざす姿勢は必要だと思っています。

――機械化を進めるなどして生産量を増やそうとは思いませんか?

飯尾 思いません。といいますか、今のやり方を守るなら生産量は増やせないです。うちは営業担当もいなければ、有料広告も打ちません。最低限、これだけは売りたいというところと、これ以上売れたら困るというレンジがすごく狭いですから、需要と供給のバランスを的確に捉えて今を維持していくことが、結果的に商品を10年後、20年後、30年後の未来につながることだと思っています。生産量を増やして売る方法は大手に任せ、うちの場合は「飯尾醸造ならでは」の差別化した商品をつくることのほうが大切です。ただ、うちの酢のことをもっと好きになってもらいたいとは思っています。料理にもたくさん使ってもらいたいです。欧米のシェフたちがうちの酢を使ってくれているんですよ。ワインヴィネガーは酸のアタックが強いですが、「富士酢」の特にプレミアムなどは酸が非常にやわらかくてうま味があるので、これまでと違った料理に使えると言ってくださって。

富士酢偏愛者のためのレストランマップ。ドバイやパリなどものっている。

――生産量を増やさないと売り上げは横ばいになるのではないですか?

飯尾 スタッフの数は増えているんですが、売り上げも利益も増えています。それは全体の1/4を占める通販が大きいですね。前は9割を問屋さんにおろしていて、1000円のものを500円でおろさなければいけなかった。でも通販だと1000円のものを1000円で買ってもらえるわけです。通販は今後、増えていくと思います。通販はお客さまの顔も見えるので、変なことをしてしまうことの抑止力にもなります。値上げも我慢できますね(笑)。

――完全無農薬が支持されているわけですから、無農薬も今後守っていくわけですね。

飯尾 もちろん。無農薬でやっていると、反農薬主義だと思われてしまうことがあるのですが、あまり過敏には思っていないです。農薬の危険性を訴えて買ってもらおうと思っているわけではないです。農薬も改良が進んで昔ほどの危険性は少ないですからね。上手に使えばいいのだろうと思います。とはいえ、私は使わない。それは、祖父の代からはじめた製法を受け継ぎたいという思いからです。それで結果的に、化学物質過敏症の方やアトピーの方々など、うちのお酢でないと食べられないという人たちが支持してくれています。そういう人たちのためにも、無農薬は守っていかなくてはいけないと思っています。ベースとなる製品があって、そこにアレンジを加えながら酢のおいしさ、料理に使うおもしろさが広がっていけばいいと思いますね。

――そういえば、花粉症に酢が効くというデータを聞いたことがあります。

飯尾 キユーピーの研究データがあります。昔から酢は健康にいいと言われていますからね。あと、お客様のなかにヴィーガンの方も増えてきています。ヴィーガンは今後増えていくでしょう。そうした人たちは環境への意識も高いので、うちみたいなつくり方をしている酢に対しての理解も深いです。

伝統と質を守りながらの改良と
サステナブルな試み

――商品にはたくさんのラインナップがありますが、これ、飯尾さんがつくられたのですか?

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飯尾醸造の商品のラインアップはこちら

飯尾 父親からのものもありますが、半分は私の代でやったことです(笑)。自分が食べたいと思うものを商品化しています。たとえば「しゃぶしゃぶに夢中」。しゃぶしゃぶのタレといえばポン酢とごまだれですが、そこに、第3のタレを酢でつくろうじゃないかと思って開発しました。粉山椒を入れていて、この粉山椒は大阪・堺の「やまつ辻田」さんから仕入れています。これで豚しゃぶを食べるとポン酢にもどれないです。すごく香りがよくて中毒性がある。だから、略して「しゃぶ中」と呼んでいるんですが、これはあまり大きい声では言えないですね(笑)。

――この「ピクル酢」もダジャレがきいていますね(笑)。

飯尾 これはフードロスを減らす試みから生まれた商品です。環境省によるフードロスをなくそうという提言がなされていて、家庭内のロスでもっとも多いのがごはんのような穀類より野菜だというデータを聞いたので、そこから考えました。「ピクル酢」はあまった野菜を袋に入れるだけで加熱調理も必要ない。小学生でもできます。瓶だとお酢をいっぱい入れなくてはならないですが、“ジップロック”だと少量でつくれます。野菜3に対して「ピクル酢」を1入れてひと晩経つと、野菜から浸透圧で水分が出てきます。結果的に少量でもピクルスができますし、この液もほかの料理に使えます。

環境省によるフードロスのサイト

――フードロスということで、国からの補助金をもらったんですか?

飯尾 そうしたものは一切もらっていません。酢で社会貢献できたらいいな、と。それだけです。いろいろ考えたり、活動したりするのが楽しいんですよ。「手巻キング」という手巻きずしをツールに日本人のおもてなしを普及させる活動や、「江戸前シャリ研究所」をつくって世界中からすし職人が宮津に集まる「世界シャリサミット」なども仕掛けてきました。また、「HANDRED」というユニットを組んで活動しているんですよ。「堀河屋野村(三ツ星醤油)」の野村圭佑さん、「鈴廣(かまぼこ)」の鈴木智博さん、「白扇酒造(伝統製法本みりん)」の加藤祐基さん、「丸八製茶場(加賀棒茶)」の丸谷誠慶さん、「宮坂醸造(真澄)」の宮坂勝彦さんそしてうちの6社でユニットを組んで活動してます。イベントをやったり、自分たちがすばらしいと思っている生産者に声をかけてデパートに出店したりしています。ハンドレッドつまり100年後の未来にも伝統的な技を伝えていこうという活動なんです。フードロスの試みはこれからさらに大きなテーマになりますね。たとえば「鈴廣」はかまぼこの原料となる魚の頭や内臓といった廃棄部分をドライにして畑の肥料にしたり、その肥料で大葉を作って、その大葉でかまぼこを作ったり、工場は自家発電だったりと、エシカルな取り組みをとても大事にしていて刺激になります。

――もしかして、ここはソーラー発電ですか?

飯尾 はい。ここで発電させているわけではなく、「ハチドリ電力」といって、風力やソーラーで電気を作っているところと契約しています。うちで使う電力の90~95%が再生可能エネルギーです。世界的な流れとして、原発や化石燃料は使わなくなってくるでしょう。無農薬でやっていますから、その意識として、そうしたエネルギー問題も間接的ですが取り組んでいたいですね。

ハチドリ電力のHP

――飯尾さんの話を聞いていると、どんどん自分がやりたいことをチャレンジされて。それが地球にもやさしくなっているというか。

飯尾 そうですね。無農薬の米で伝統的な方法で、となると、結果的に環境にやさしいことになっているのだと実感します。30年後の未来というと、人口が増えるし、食料が足りなくなるし、と、悲観的なことを言う人も多いのですが、私はそうは思いたくないです。食に関していえば、食に興味がある人と、まったく興味がない人の二極化はしていくと思います。でも、宇宙食みたいに1粒食べて満腹になるといったSFみたいなことにはならないでしょう。やっぱり皆、基本的にはおいしいものは食べたいわけですし。食におけるテクノロジーは、ゴミとして捨てられているものをいかに生かすか、という点でますますクローズアップされていくのではないでしょうか。手に入れた食材を100%使える時代がくると思います。タマネギのヘタだって食べる時代が来るのではないですかね。フードテクノロジーという未来の技術によって、いい意味で原始的なものに価値が出てくるようになると思っています。

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インタビュー・構成/土田美登世

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