好きな人の好きな人になりたいね。

noteは人に言いづらい、もしくは絶対に人には言わないと決めていることでも書けてしまうから恐ろしい。

3時前になっても一向に眠れる気配がしないから、今夜は私の初恋についてでも書こうと思う。

小学2年生のとき、クラス替えで初めて同じクラスになった。
普段は違う教室にいて、図工とか音楽とかそういうときに私がいる教室に来る子だった。
何度目かの席替えで、隣の席になった。
教科書を先生に言われた通りに開けないでずっとページを探してる子だった。

クラスの子や先生が言うには、毎日会って毎日自己紹介をし続けなければ、その前日にいくら仲よくなって話したとしても、顔や名前、話をしたことすらも忘れてしまう子らしかった。
私はそれを承知で、毎日彼に会いに行った。
たまに授業に遅刻したり戻るタイミングを失って彼の教室にずっといたりした。
その甲斐あってか、彼は私のことだけは名前で呼んでくれるようになって、連休明けの登校日にドキドキしながら挨拶しに行くと覚えてくれていて、この上なく幸せだった。

髪の毛がさらさらで、笑うとひまわりみたいで、明るくて、家に居場所がなかった私にとって、彼は文字通り生きる希望だった。

そこから3年間(2年間?)、なぜかずっと同じクラスで、途中からまともに登校できなくなった私の席はいつからか彼の隣に固定された。

居心地がよかった。

次第に私と彼は学校の登下校ルールを破って一緒に下校をすることが増えた(地区ごとに登校班があり、別の班へ行くことは禁止されていた。私たちは居住地区が離れていたので、ルールを守るなら、当然一緒に行動することはできないはずだった)。

そうしているうちに彼の送迎のために学校へ来るお母さんとも話すようになって、一度
「千代ちゃんの好きとあの子の好きは同じ温度で重なることはないと思うの。」
と言われたことがある。
私はそのとき、言葉の意味をなんとなく理解して、でも知らないフリをしていた。
もしかしなくても、私なら大丈夫だという確信に近い驕りがあった。

お互いにきょうだいがいて、同じ園に通っているということがわかってからは、お迎えについて行くと言って園の近くにある公園でずっとお喋りしていた。
一度、バレンタインも楽しむことができた。
彼からは手紙とトートバッグがお返しとしてやってきた。
そのときの記憶は宝物だ。

小学5年生の春休み、急に引越しが決まった。
完全に親の都合だった。
学校の誰にも、きちんとお別れができないまま引越した。
私の脳内は彼のことで埋め尽くされた。
寝ても覚めてもそのことばかり考えていた。
引越した先に顔のいい子はいたけれど、その誰にも特に興味がなかった。

あれから10年以上経つ。
3年ほど前まではつい昨日のことのように思い出して感傷に浸って、もう絶対に伝わらない思いの丈をメモに書き殴った夜もあった。
今も、名前をぜんぶ漢字で書ける自信がある。
でも、もう会いたいとか近況を知りたいとかは思わなくなった。
ある程度、自分のなかで折り合いが付けられたのだろう。
これだけの期間忘れられないでいたことに、私がいちばん驚いている。
そしてまた、私が夢中になるくらい人のことを好きになれて、それが敗れたとしたら、いつ立ち直ることができるかわからない。
今度は生涯忘れられなくなるような、
そんな予感がする。

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