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病院きらいになりそう。

手術をした。
中学生のころからずっと血圧が高かった。
19歳、通勤中に駅で倒れたことをきっかけに二次性高血圧を疑われ、精査を続けてきた。

去年の春から秋にかけて、体調が悪化した。
腎臓の動脈がかなり狭くなっているらしく、近いうちにカテーテル検査・バルーン拡張術(手術)をすることに。
血管に管を通すということで、どうするのかと思っていたら手首から通せるらしい。
通院が本格化し、週5勤務ができなくなったため、好きで入った職場を辞めた。

とはいえ働かねばご飯が食べられない。
失業保険はぎりぎり期間がたりなかった。
契約社員で商業施設の受付をした。

受付の仕事は体力をさほど必要とされず、人もよくて最高だった。
手術のことを面接でも話したからか、配慮してもらえた。

数日前には母がこちらへ出向いてきてくれて、自分の不安に気づかされた。

手術は局所麻酔で行われ、痛み止めのパッチを事前に貼られた。
でも痛いもんは痛かった。
医者は医者どうしで体内の様子を器具で観察して施術の具体策を練るし、事前に流れを聞いてはいたけど今どこの段階にあるのか全くわからなくて常に不安だった。
周りの人に訊こうにも、それなりに距離があったので声をかけづらかった。
自覚しない不安もそうとうあったのだと思う。
無事にカテーテルが血管内を通って目的地にたどりつき、バルーンを膨らませるためのウィーンという機械の作動音を聞いて、パニックに陥った(実際には膨らませた後)。
うっすら呼吸がしづらくなって、あぁこのまま眠れるのかなと思ったら過呼吸みたいになった。
なにがしんどいのかもわからないまま、ただ苦しかった。
このときは周りにいた人々が声をかけてくれたり経過の説明をしてくれたりしたので、ほどなくして落ち着きを取り戻すことができた。
手術は無事に終わった。

術後、台から車いすへ移る時、身体を起こすとぼんやりした。
そして、強烈な尿意に襲われた。
看護師さんなどにその旨を伝えてお手洗いに連れて行ってもらう。
しかし、その道中で手術に使った手首が腫れてきた、一度先生に診てもらわねば、となり、お手洗いは中断された。
間もなくして担当医が手首を見て、止血空気圧を少し強くして去って行った。
お手洗いに到着する頃、今度は強烈な眠気に襲われていた。
さぁ便座に移ろうというところで、意識が遠のいた。

その後、目が覚めたら病室にいて、窓の外は暗くなっていた。

頭はすっきりして、お腹もすいている。
ただひとつ、利き手が不自由であること以外は、いたっていつも通りの自分だった。

看護師さんが目覚めを確認しに来て、その後荷物などをもってきてくれた。
そのなかには、ビニール袋に包まれた靴下や下着の姿も。

23歳、成人後初の失禁である。

なにかしんどいとき、この一節を見て何度でも笑ってほしい。
不可抗力といえど、恥ずかしかった。

翌朝には止血も完了して退院することができた。

手術から2日後にはシャワーを浴びることも解禁された。

手首の回復には2週間ほどかかり、1ヶ月も経てば普通に使えるようになった。
痛みを感じずに眠れる快適さは何物にも代えがたい。


基本的に、病院を嫌いだと思ったことはない。
嫌いな医者も特にいない。
ただ、今回に関しては嫌いになる、と思った(それだけ負荷があった)。
造影剤が入ってくる感覚も、カテーテルが体内に入ってきたときのワイヤーがこすれ合うみたいな感覚も、正直もう二度と体験したくない。
今までも高血圧を促進させるようなことは極力避けてきたけれど、それはこれからも続けるつもりだ。
すっかり普通の血圧となった今の身体は軽い。
この身体を手放すわけにはいかないのだ、この先を生きていくためには、尚更。




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