顛末の記録
今の自分の感情はぐちゃぐちゃだ、と思った。
自分だけでは昇華できなくて、相手に意見を求めたら、相手の意見は私の気持ちとは全然違っていて。
私の中には、「起こった出来事」「よくわからない私の気持ち」「意見をくれた相手の感情」が入り乱れている。
これを少しずつ、紐解いていかなければならない。
私の感情を掬いだして、救ってあげなくてはいけない、迷子の私を。
忘れるには、大切な思い出を作りすぎてしまった。
昔を思い起こすには十分すぎるくらいの時間を過ごしてしまった。
幸せな解釈ですね、と後輩に言われたことがある、それを聞いても、私は止まれなかった。
人を好きになる、ってどうやるんだろう?
と、彼が私に聞いてきた。
私はこたえたかった、たくさん答えを持っていた。
もっと一緒にいたい、もっと楽しいことをしたい、もっとそばにいたい、その「もっと」という感情が恋愛の核なんじゃないか。とか。
それなのに、答えられなかった。
自分の感情が露呈して、この瞬間が壊れてしまうのが、とても恐ろしかった。
もっと相手を困らせていいんだよ。
と、彼が私に言ってきた。
私は彼を困らせたくなかった、でもたくさんの困らせてしまうであろう言葉をずっと飲み込み続けていた。
だから私は、困らせてしまえ!と、半ば自暴自棄のような気持で、メッセージを送った。
そのメッセージは今読んでもぐちゃぐちゃで、でもその時の自分の全てだった。
こんなようなことを伝えた気がする。
結論から言えば、私の思いは砕けて消えた。
そして、厳しい言葉が返ってきた。
(以下、実際の文章からニュアンスの抜粋)
たくさんの感情が、私の中で渦を巻いた、巻いている。
でも、わからない、つかめない。
悲しいのか、苦しいのか、怒っているのか、分からない。
どれも少しずつずれているような気がしてしまって、腑に落ちない、気持ち悪い感覚になる。
たくさんの人に話を聞いてもらった。
私だったらこういう返しをする、こういう気持ちになる、という意見をたくさんもらった。
でもそれは、私のこの揺らいだ気持ちのどれとも合致したものではなくて、ただ話を聞いてくれた人の1つの意見として私の中に蓄積されていった。
そして錯覚しそうになる、私もそういう気持ちだったかも。
でも、それは違う。
私は、誠実ではなかっただろうか。
甘えだっただろうか。
みんなは、そんなことない、と言ってくれる。
ある人は、相手こそ甘えている、厳しい言葉を言っても(私)が相手に対して怒らないってことに甘えているんだ!とぷりぷりしていた。
ある人は、相手こそ自分の気持ちばかりで、(私)がそれを受け取ってどう思うかきちんと考えられていないんじゃないの、とアドバイスをくれた。
ある人は、相手は(私)に罪の意識を必要以上に深く刻みつけようとしているように見えるな、と言っていた。
私はその頂いたすべてのアドバイスを、アドバイス、として受け取ろうと思った。
それは、相手と私のやり取りを俯瞰して見た人の意見であって、私の気持ちではない、と、そこをしっかり線引きしようと決めた。
そして、私が彼からのメッセージを受け取ってどう思ったか、どういう気持ちだったかを、しっかり記録しておこうと思った。
グレーを生きたい。
揺らぎを生きたい。
だから、あの時の言葉は私の全てで、私なりの誠実だった。
それが私の本心だ。
今回の出来事における、私の感情の核だと思う。
私の、この揺らぎに対する考えと、相手の、揺らぎを伝えるべきではないという考えがぶつかってしまっただけなんだろう。
きっとそうだ。
だから私は、悲しくもなければ苦しくもないし、怒ってもいないのかもしれない。
そうか、という、ただそうでしかありえなかったね、という、一種のあきらめのような感情になっているんだろう。
きっとこれから、私はたくさんの揺らいだ感情に出会うだろう。
そのたびに、今回のことを思い出して、揺らぎを揺らぎのまま相手の前に差しだることを恐ろしく思うだろう。
それでも私は、そういう正直な自分の気持ちを伝えて、その揺らぎを認めてくれて、それと共に生きていってくれる人と一緒にいたいと思う。
いつか私の揺らぎたちを受け止めてくれる人と出会えますように。
またね!
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