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第55回 第4逸話『カリュプソ』から逸れて『死者たち』

 前回ブルームの独白の中で出てきたグレタ・コンロイとは、ジェイムズ・ジョイス著の短編集『ダブリン市民』の中の一編『死者たち』の主人公の名前です。グレタと『ユリ』の主人公ブルーム夫妻は友人同士という設定です。

 『死者たち』は1987年に映画化されています。

ザ・デッド/「ダブリン市民」より 

 監督は名匠ジョン・ヒューストン(『チャイナ・タウン』という映画では、映画史上でも最も最低な悪役の一人に数えられるノア・クロス役で凄まじい演技を見せてくれています)。
脚色は息子のトニー・ヒューストン、主人公グレタ役に娘アンジェリカ・ヒューストン。

 この映画の存在は結構前から知っていました。ジェイムズ・ジョイス作の映像作品としては、たぶんで一番有名なはずです。
でも私は未見でした。原作も未読でした。原作が収録されいる短編集『ダブリン市民』は、5、6年前に買ったのにです。
 で、昨日読みました。文字も大きくて80ページくらい、サクッと読めました。

 あらすじを。
舞台1904年のダブリン(『ユリシーズと』同じ!)のクリスマスの夜(だから『ユリ』の約半年後)。ある上流階級の屋敷で、今年も恒例の舞踏会が催される。それに出席する親族、友人たちそれぞれの悲喜交々が描かれ、そして最後に主人公グレタの悲しい過去が顕になる…、というもの。

 まずジョイス作の原作本の方ですが、読後の率直な感想は
「なるほど、これは映像化を考えるのも頷けるな」という物でした。
ちゃんと物語になっているのです。ちゃんと導入部がりあり、あーだこーだーの小ドラマがあり、ちゃんと結末を迎えるのです。
確かに映画向きと言えます。短編なので脚色も楽です。

 で、読了後個人的に一つ残念なことがありました。
予定していた映画『ザ・デッド/「ダブリン市民」より』の映画鑑賞が難しくなったのです。

というのも、以前アマゾンで中古DVDを販売していたのは知っていたのですが、その時は六千円ぐらいして「うわ、結構するな」って躊躇してたんです。それが数日前には、それもどこかの意地悪な(嘘嘘!)趣味が良い誰かさんに買われていて、6月現在一万二千円になっていました!
「流石にそりゃ無理だわ」ってことで諦めました。配信を探しましたが見当たらず、念のため近所の某レンタル・ショップへ行ってみました。検索してみると「取り扱いなし」と記載…。
こうなったら余計に観たくなってしまうのが人情です。


 そんな喪失感の中、「とりあえずユーチューブでトレーラーでも見っか」と検索してみたら、本編がアップされていました。87分全編映像です。

 なんやねん⁉︎

 これは著作権切れ? まさか違法アップ…?

 少し後ろめたかったけど、観ちゃいました。
日本語字幕なんてありません。かろうじて英語字幕がありました(もちろん! 私は英語が基本読めません)。

 机の上には『ダブリン市民』を置き、準備OK。
再生をポチッ。

 まずオープニングの、なんか弦楽器の音色がすごくいい。映画ラストの切なさを早くも暗示している。
 

続いて、「Dublin 1904」の字幕に思わず「おぉ!」となる。

 本編。原作の導入部と同じ、ケイト&ジュリア姉妹が住むお屋敷で催されている舞踏会に、次々出席者が訪れる。しばらくすると主人公ガブリエルとグレタのコンロイ夫妻も到着。
まず遅れたことを夫が詫び、
その後…、

 ”〜マイ・ワイフ…〜スリー・アワーズ〜…ドレス〜” とか言ってる。
これは原作にある「妻はドレス・アップに3時間かかる、お忘れかい?」だと思われます(このセリフは『ユリシーズ』4話にてブルームの独白”グレタは何を着ていた?”を想起させます。て言うかこのコンレイ夫妻はブルーム夫妻と顔見知りだと言うことなので、この舞踏会に出席していてもおかしくないかも。)。

 その直後ガブリエルが女中のリリーに硬貨を渡し、「いけませんわ」「クリスマスだよクリスマス」というシーンもあり、これも原作に忠実です。

 ちなみに原作者ジョイスは、グレタ・コンロイのモデルを自身の妻ノラ・ジョイスとしました。映画の方のグレタ・コンロイも、どことなくノラに似ています。
もしかして意識した演出なのかもしれません。

 そのあと、なんかふにゃふにゃしたおじさんが出てきます。この人は原作にあるフレディという酔っぱらいだというのはすぐわかります。

 その後も、姉妹の養女メアリ・ジェインが突然場違いなピアノを弾き出し、聴衆はドン引き。
ミス・アイヴァースがガブリエルに「あの新聞の投稿、あなた? G・Cってイニシャル」
「それで?」
「この西ブリトン人!(イギリス贔屓アイルランド人。当時は支配者国イギリスからの独立運動が間近)」
と罵ったり、同じくミス・アイヴァースが帰り際に、英語ではなくわざわざアイルランド語で「バナ・ハト・リブ(さよなら)」と言ってみたり、映画全体かなり原作に忠実です。
多分大方は理解できたのでは?

 と思っていたら、ミスタ・グレースという人が突然立ち上がり、紙切れを取り出したかと思うと詩を朗読し始めました。
原作にはそんなシーンはないし、そもそもミスタ・グレースという人もいません。
なんか気になって調べてみたら、あっという間に答えが出てきました。 やはり映画オリジナルのシーンでした。詠んでる詩は『Donal Og』というタイトルで、8世紀ごろにアイルランド語で書かれた詩だそうです。
 わざわざこのシーンを追加したのは、詩の内容が映画ラストで語られるグレタの思い出に重なるからでしょう。

 あそうそう忘れるところだった。私がこの映画を見たいと思ったもう一つの理由に、1904年のダブリンの街並みや人の暮らしを確認したいというものがありました。

 結論から言って、よくわかりませんでした(なんやねん)。
まず映画の上映時間は作品内時間とほぼ一緒、カメラは屋敷からほとんど出ません。舞台時刻は夜です。後半外に出ますが、自動車はなく馬車でした。昼間は路面電車が走ってるらしいです、これに写真が載っていました。あ、そうだ、2話でスティーブンが職場に行く時乗ったのは汽車です。石炭で走るやつ。
通りには一定間隔に街灯が立っていて、じゃあ電気が通っているのかな。でも見ようによっちゃガス燈に見える。うん多分ガス燈(根拠はないが)。

 そして屋内。ここん家は特別お金持ちの家なので、一概には言えませんが、夜も明るかった。それが電気なのかガスなのかわかりません。ですが、なんかステンドグラスみたいなやつがあったけど、すりガラスの中の灯りがなんかゆらゆら揺れているんです。ひょっとして火? 蝋燭が中に仕込んであるのかもしれません。

 一気に飛んで、ラストも良かったです。抑えた演出、静かなもの悲しさの中グレタに悲恋が語られる。
 そして冒頭でかかった弦楽器の曲が再び。
映画館とかで見たら泣いてたかも。

 ジョイスもこんな分かりやすい、今風に言えばエモいやつも書けるんだな。

 …とまあこんな感じで、原作さえ読んでたら、英語がわからない私のようなもんでもそこそこ楽しめる映画でした。



 なんかこの記事、バカ見たくないかい?



 

Aヒューストンの演技は、ノラを意識したのかもしれない。

※で、この悲恋もやはり元ネタは若きノラ・ジョイスの恋物語です。お相手はマイケル・フィーリーと言う青年で、ノラとの交際中にチフスにより若くして亡くなりました。





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