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◆みみの話。

こんにちは。ろす。です。
今日はみみの話をします。なぜかといえば、みみがそろそろ天国に行ってしまいそうだからです。

うつ病になってからというもの、あまり物覚えがよくなくて。
たしか、15年前くらいの私の誕生日に、みみに出会った。県内の動物愛護センターの譲渡会に出るわんこたちと触れ合えるというので行って来て、そこで一目惚れしたのがみみだった。あの時は旦那氏も愛犬を失ったばかりで次の犬を飼う飼わないで悩んでいたようだけど…。
真っ黒な体に、手足としっぽの先が白くて。胸とお腹も白くて、その色が乗っていた愛車にそっくりで。それでこの子がいいなって。その翌週の譲渡会で引き取ってきた。

みみには色んな事で支えてもらった。
東日本大震災も乗り越えた。名前は亡くなったお義母さんがつけてくれた。そのお義母さんを先に失った。次に、母方の祖母が急逝した。もう治療の術がないとお医者さんに言われたときに泣き崩れた母を、今でも覚えている。追いかけるように母がALSに疾患していることが分かり、闘病の末延命治療を望まなかったので他界した。そのあとすぐに、父方の祖母も脳内出血で他界した。私はたて続けに母という存在をすべて失った。その間も、みみはそばにいてくれた。
祖父から受け継いでいたソアラも、全員の危篤時に一緒に病院へ行ってくれた。

お義母さんのお見舞いに一緒に行った時のみみ

お義母さんの一時退院時に親戚が誤って脱走させてしまったこともあった。愛護センターで引き取った犬だったからか、人間が嫌いですぐ噛むし吠えるし、懐いてる人だって片手で足りるくらいしかいなかった。知らない人がたくさん来てびっくりしたんだと思う。夏の暑い日で、熱中症になってないか気が気でなくて、夜遅くまで探してみつからなくて、泣き明かした夜もあった。奇跡的にみみは深夜に自分で帰ってきた。

ぎん(二女)が来た時も優しくしてくれて二匹は仲良く過ごすことができた。ひろ(三女)に厳しかったのは、ぎんの居場所を守ろうとしてくれたんだと思う。優しい良い子。ぎんもひろも豆柴で、同じブリーダーさんのところからきているけど…父親が一緒なのが原因なのか、仲が悪い。

あざとすぎる

そんなみみが、ここのところずっと死の淵にいる。水と安定剤だけで、もう8日は生きている。不思議なことに、水だけで生きている。
何年か前に腎臓疾患にかかってからはずっと腎臓の薬を飲んでいて、2年前の初夏に眼振の発作を起こし、毎日点滴するのに病院へ通った。ン十万という金額がみるみる消えてさすがにもう無理かと思われたが、がりがりに痩せはしたものの自力で歩けるくらいには回復した。去年の年末に2度目の眼振の発作があって、そこからは自力で立つこともご飯を食べる事も出来なくなった。
次はドライバーで口を薄らこじ開けて、どろどろにしたごはんを流し込む生活だった。食事もふたりがかりで1時間くらいかかった。うんちもおしっこも自力ではできないので、排せつを促すようになった。特におしっこは難しかった。膀胱圧迫の仕方が私は上手く出来ず、旦那氏が上手かったのでそれで乗り切った。
1週間前からは、ごはんをあげようとすると暴れるようになり、発作も短い間に何度も起こすのでごはんをやるのを断念した。今は発作が起これば安定剤をやり、寝て過ごしている。発作の時に泡を吹くので、あご下から首の内側までは胃液で毛も抜け落ちてる。今は定期的に首にきれいなタオルを巻いてやってるけど、痛々しい。
薬は半分で3時間いかないくらい、1錠で5時間程度寝てくれる。その日によって調整するものの、夕飯時の安定剤が切れるのがだいたい22時前で、その時に1錠あげて深夜3時に一度目を覚ます。再度薬を飲ませてそこから朝まで寝て過ごす。寝てる間は苦しくないようで、すやすや寝ている。
苦しいよりは、苦しくない方がいいだろうという夫婦二人で決めた判断。
ふつうはごはん食べなくなって2-3日でだいたいの犬が命を落とすと聞いていたのに、8日も頑張るとは思わなかった。今では10日くらいは生きそうな気がしているけど、急変したり薬の効きが悪くて目が覚めたりするのでできるだけそばにいるようにしてる。
それでも旦那氏も私も寝不足なのと毎日神経すり減らしながらの綱渡りで結構しんどい。私は先日母の七回忌と祖母の十三回忌の法事で泣いて鬱傾向にあるのもあって、最期まで一緒に居たい気持ちも独りで逝かせたくない気持ちも強いのに、もうどうにでもなってしまえと寝逃げしてしまいたくなる。
でも朝に起きて生きているだけでほっとして泣く。もうどうしていいかわからない。気持ちがぐちゃぐちゃだ。
1000日続いたモーニングページも、ずっとそんなことを書いている。心の整理なんて何も出来やしない。書いてる途中でもみみが気になって集中出来ない。去年末から続いている日記もずっと「今日もみみは頑張って生きた」ばっかりだ。できるだけ日常を過ごそうと朝の20分程度の散歩を始めても、何も変わらない。みみが大切だからこそ寄り添いたいのに。どの選択をしても後悔するくせに、それを全部投げ出したくなる。

正直、もう自分のことがよくわからない。希死念慮すらある。葛藤して看取るくらいならいっそのこと、と思う。これがいつまで続くか分からない、先が見えないのが一番怖い。介護生活の末に無理心中してしまう気もわかってしまう。みみに規定量以上の安定剤を飲ませて、私もあるだけ薬飲んで、みみを抱きしめたまま一緒に寝てしまいたいとよく思うようになった。どうせ私は処方箋全部飲んでも死ねないから、目覚めたときには全部終わってればいい。
でも怖くてできない。みみの最期を決めてしまうことが怖くて、私は今日も安定剤を飲ませて見守るしかできない。これが1か月、1年続くとしても。

本当にみみを失った時、私は正気を保てるんだろうか。


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