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熱は、東北にある 4日目 ~巨構の町~ 

 東横インは綺麗で、リーズナブルで、朝食が美味しく、駅に近く、およそ欠点が無いホテルである。しかしどこに行っても同じ快適さなので、旅先で泊まると若干の敗北感がある。しかしその快適さと無料朝食バイキングに人類は抗えないのだ。さて、東北旅行記、4日目です。

これの続きです。おそらく文字数過去最大です。


北へ向かう人の群れは

 青森県には2つの大きな半島がある。まさかり型の下北半島と、そのまさかりに今にも割られそうになっている薪のようなでっぱり、津軽半島である。今回向かうのは薪の方だ。下北半島はまさかり半島という愛称があるのに津軽半島は特徴がなくて可哀想だが、魅力度では決して劣っていない。

さっそく寄り道。平舘灯台というらしい

 朝7時半、ホテルでT氏と合流して車に乗り込み、北上を始める。一時間ほど走って海岸沿いに出ると、道の駅と綺麗な灯台があったので立ち寄ってみた。こういう白くてシュッとした灯台は絶壁や尖った岬にあるイメージなので、波も穏やかな平たい砂浜にあると若干違和感がある。どうやらこのあたりは陸奥湾の入口で下北半島と津軽半島の間が一番狭くなっている所なので、こうした立派な灯台があるようだ。

東横インで朝死ぬほど食ったろ

 道の駅では小さいホタテを揚げたものが売っていた。300円ほどでたくさん入っている。灯台のたもとにあるベンチで3人で分けて食べたが、揚げたてなのかホクホクでとても美味い。律儀に分けて食べたのは最初のうちで、最後は奪い合うように食べた。

祀りたがる国民性

 さらに北上を続け、やって来たのは青函トンネル入口である。我々は大学で土木工学に触れた人間なので、光に集まる蛾のようにトンネルや橋に誘引される。世界有数の長さとはいえ入口はいたって普通のトンネルだが、周囲には神社があったり展望台があったりで、観光客がちらほらいる。

ハヤブサほどのスピードはない

 展望台で少し待っていると北海道に向かう新幹線が通り過ぎた。猛スピードで、と言いたいが、実は青函トンネル内は130km/hほどしか出せないので地元関西を走る新快速と変わらない速度である。知識というものは時に感動を薄れさせる。

ごらんこれが竜飛観光

午前9時ごろ竜飛岬の目前、青函トンネル記念館に到着した。目指していたのは岬そのものよりはこの記念館がメインと言っていい。

西のユニバ、東のディズニー、北のトンネル記念館

ここは単に博物館というだけではなく、トンネル工事に実際に使われていた斜坑を専用のケーブルカー「もぐら号」で下るという、日本でここだけのアトラクションが体験できるスポットである。ディズニーランドやUSJにまったく引けを取らない魅力的な施設である。

小さいころよく行ってた科学館の雰囲気
こういう所は何歳になっても楽しい

 ケーブルカーに乗るには整理券が必要だが、思ったより人が多かったので1時間後の便になった。先にトンネルの工事の博物館をする。館内は全体的に一昔前の雰囲気があるが、トンネル貫通までの経過や工法などが詳しく説明されていて土木学生としてはこの時点ですでに結構楽しい。博物館を見終わったものの整理券の時間までまだ30分弱あったので一旦記念館を出て車で灯台に向かう。

竜飛岬灯台

 某名曲に「ご覧あれが竜飛岬」と歌われているように日本を代表する北のはずれの一つのはずだが、思っていた以上にかなり人が多い。土曜日ということもあるだろうが、ねぶたの経済効果はここまで及んでいるらしい。素晴らしいことである。

紫陽花が咲き乱れていた

灯台から反対方向を眺める。こっちの方が殺風景な最果ての風情がある気がする。記念館で観た写真ではトンネルを掘っていた当時、この場所にかなりの規模の団地があり5000人ほどが住んでいたそうだ。歌の寂寥感に引き摺られがちだが案外ずっと賑わいのある土地である。

地の底へ

 記念館に戻った。列に並んでしばらく待つと奥に通された。いよいよもぐら号とご対面である。この橙色のかわいい車両に乗り込んで海面下140mまで向かう。

Q. 男子ってこういうのが好きなんでしょ
A. Yes

 いかつすぎる見た目の鋼鉄製の扉が開いて奥に長いトンネルが見え、もぐら号はゆっくりとレールを下り始めた。かっこよすぎる。アトラクションの始まり方が完全に夢の国クオリティなのよ。

本州最北の満員電車

 トンネルの入口からして何だかサイバーパンク的な世界観のある光景でワクワクするが、人が多すぎるのでとにかく暑い。本州最北端の専用鋼索線とかいう肩書きからして超マニアックな乗り物であるにも関わらず、もぐら号は補助席までフル稼働で息苦しさは都心の通勤電車並みである。気分はサイバーパンクというよりサウナである。

穴の中なのに開放感がある

ケーブルカーの最下部に到達。もぐら号から出た途端、とても涼しい空気に体を包まれ、まるで天国のようだった。ここは海面下140mだが。

ありえない角度で上に曲がる線路

 坑道っていいよねという写真。土木を学ぶとこういう異様な傾斜とカーブの線路があるだけで興奮する変態になる。(※諸説あり、反例:M氏) どうやらこの線路は先ほどのもぐら号の線路と繋がっているようだが、ケーブルカーはケーブルで引っ張って動かすので基本的にあまり急カーブはできないはず。どうやってこの線路を使うんだろう、と考えるだけで変態は楽しいのである。

一家に一台欲しいかわいさ

 地下にはトンネル工事で使っていた色々な機材が保存されている。掘削の機械から運搬用のトロッコなどもある。このちっちゃいブルドーザーのようなやつかわいい。何かの外観を褒める際の語彙として、カッコイイか、カワイイしか使ってない気がする。

この奥に新幹線が走る

 坑道はもちろん現役の青函トンネルと繋がっている。10年ほど前まではここに竜飛海底駅という臨時駅があり、何と海底から列車に乗ることができた。北海道側にも吉岡海底駅というのがあり、昔時刻表を見ては行ってみたいなあと思っていたのを思い出した。

ロープ切れたときの想像はしない方がいい

 帰りはもぐら号の最後尾に座ることができた。ライトが遠くまで続いていて気の遠くなるような光景でかなり怖い。しかし、全線がトンネルの中にあるケーブルカーはたぶんここと富山のアルペンルートだけなのでなかなか見られる光景ではない。

 地上にたどり着いた。黄色い回転灯が回り、門が厳かに閉まっていった。全体を通してとても良い体験だった。皆さんも津軽に来た際はぜひ。(とおすすめしたかったのだが、9月にもぐら号の台車が壊れて現在運休中だそうです。我々が通った後はぺんぺん草も残らない…)

年がら年中〜、冬景色〜♪

 博物館を出てほど近い津軽海峡冬景色の歌詞が彫られた石碑を見に来た。歌碑の前の自爆ボタンみたいな赤いボタンを押すと、てれれれーーん、ともの悲しい旋律が流れる仕様になっていて観光客に人気である。おかげで岬には四六時中冬景色が流れている。

 さて、竜飛にはもう一つ見どころがある。階段国道である。日本で唯一、階段のある歩道が国道に指定されているという、これまたマニアックな名所だ。北のはずれには土木系マニアホイホイが多数存在する。

おにぎり(専門用語)付きの階段

 階段国道は歌碑のすぐ裏手から続いている。実は私は3年ほど前、竜飛を訪れ、この階段を下ったことがある。正確に言うと、バスで階段の上の竜飛バス停まで訪れた後、そのバスがJRの駅まで戻る前に階段下の集落を経由する際のわずかな時間差を利用し、階段国道を駆け下りて乗ってきたそのバスで帰るというアホの所業を為した。その時はどうしても計画上時間に余裕がなく、歌碑のボタンを押したのに前奏すらまともに聴いている余裕がないほどの強行軍であった。今回、ちゃんと来れて心から良かったと思う。

国道を下る人々

 階段を下るT氏とM氏の写真。なんでこんな写真があるかというと、私は階段を降りず、車で先回りしたからである。たしかに階段は非常に懐かしく、また来れたんだなあという感慨はあった。しかし、まあ、その、国道マークが付いている以外はただの高低差が70mもある小奇麗な階段なので、わざわざ往復する気にはならず、私は階段を降りる二人を迎えに車を崖下の集落まで回送する役を担ったのだ。心から良かった、とかどの口が言うのか。車道しか勝たんわい。

津軽半島夏景色

 竜飛を後にし、津軽半島の西側を南下する。この付近はかなり景色が良い素敵なドライブコースとしてるるぶに載っていたが、また濃霧に遭遇した。

津軽半島霧景色…

 うーん良い景色だなァァァ!!! 霧や雲で景色が見えないときは自分だけは良い景色が見えていると思い込むのが一番である。何を言っているのか分からない。

津軽半島の先っぽはかなり険峻な地形

 坂を下りきって海沿いに出ると、霧は抜け、津軽半島の最北部がきれいに見渡せた。景色を見られない呪いは標高300m以上限定で済んでいるようだ。

しじみ数十個分のちから

 しじみで有名な十三湖のほとりに差し掛かる。ならば、ということでしじみラーメンの店を調べて食べてみることにした。おばあさんが運んできた器を見てまず驚いたのはにんじんが入っていることだったが、それより特筆すべきはしじみの量である。待つ間何となく思っていた「しじみは最近減少して高騰していると聞くから、せいぜい数個しか使ってないだろう」などと失礼な考えは見事に裏切られ、食べても食べても無くならない。しじみは一つ一つが大きくて食べ応えがあり、出汁も濃厚でラーメンとしてもとても美味しい。過去食べた塩ラーメンの中で一番だと思った。北国にそぐわぬ猛暑、エアコンの無い店内、という熱々のラーメンを食べるには絶望的に向かない日だったが、それでもお釣りが来る味だった。

レイク・サーティーン

 十三湖のほとりを走る。湖岸の風景はとても風光明媚で、どこか懐かしさを覚える。琵琶湖岸で育ったからかもしれない。岸辺に立つしじみの密漁監視用のものものしい櫓を見なかったことにすれば、こんなに清々しい光景はないだろう。

爽快なドライブ日和ですことよ

 この日津軽半島を巡ることに決めたマニアックな理由がもう一つある。それが津軽鉄道の撮影である。津軽鉄道、通称津鉄は古い車両や設備を大事に使っていることで知られ、特に冬季のストーブ列車で有名だが、それ用の旧型車両は夏にはあまり動くことはない。しかし今回、祭りの期間限定でその客車列車が走るという。今まで何度か津鉄に乗ったり撮ったりして、すっかりその風情の虜になっている私とT氏には垂涎ものの情報であった。
 決戦に備え、鉄オタどもは何も分からない一般人のM氏に運転を交代してもらって車の中で撮影地の相談やカメラの設定など臨戦態勢を整えた。そして一つ目の撮影地に向かった。

のどかさで鼻血出そう

 津軽ののどかな風景の中を、小さくて茶色い機関車が古ぼけた客車を引っ張って走ってきた。(以降、鉄分の急激な摂取でテンションが降り切れているので読み飛ばそう。)こんなに可愛らしい列車があるか。神がレールの上走っている。いったい昭和何年なんだここは。津鉄最高!津鉄最高!お前も津鉄最高と言いなさい!

良さの塊

 その後は列車を撮影しては車にすぐ戻り、追い越して再度撮影するという荒っぽい計画だったが、ペーパードライバーM氏の法令を遵守した華麗な運転によって成功を納め、お気に入りの写真を何枚か撮ることができた。ありがとうM氏。

何回来ても変わらないレトロな駅

 列車を追い続けて終点の津軽五所川原駅まで来た。車両も駅も何もかもレトロでいつまでもこのままでいてほしいと勝手に願っているが、やはり経営はかなり苦しいらしい。今回は撮影ばかりで入場券くらいしか買わなかったので、もっとグッズを買ってお金を落とすべきだったと反省している。また来た時には必ず。

♰嶽♰

 今日は今いる五所川原で立佞武多を見物するが、泊まるのは嶽温泉という温泉地の小島旅館という宿である。津軽地方がお祭りだらけで宿が軒並み満室か超高額な中、この小島旅館は朝食付きで7000円と良心的な価格で空室が残っていたのだ。どうせ高いなら温泉に泊まりたい私はこれ幸いと予約していたが一つ問題があった。嶽温泉の位置である。

遠っ

 嶽温泉は五所川原から見て、津軽平野の西側にそびえる壮麗な霊峰、津軽富士こと岩木山をはさんでちょうど反対側に位置する。車で約一時間となんとも遠い。しかも、祭りが終わるのは21時なのにチェックインは18時まで厳守ときた。ではどうするのか。
 簡単なことである。現在15時前、これから祭りが始まる18時までにチェックインを済ませてまた五所川原に戻れればよい。津軽富士一周タイムアタックである。

実は平成生まれの橋

 タイムアタックと言っているそばから観光地に寄る。鶴の舞橋というヒバ造りの歩道橋である。観光客はニコニコしながら渡ってるが、近くで見ると意外と高い上に材木の老朽化なのか何なのか橋脚が歪んでいる箇所が結構ある気がするんだが大丈夫かこの橋。

ご褒美のような景色、拷問のような暑さ

 橋からは岩木山が一望できる。岩手山とは違って独立峰であり、どこから見ても富士山型である。景色は良いのだが日差しがとんでもないので影の無い橋を渡るのは拷問に近い。ふらふらと駐車場に戻ると道の駅のような売店があったので、ビンのリンゴジュースを買った。温泉で飲もうという魂胆である。
 橋を出発してしばらくして宿に到着した。県道のくねくね坂を回避できる広域農道を発見したので思ってたよりも早く着いた。やっぱり広域農道しか勝たん。

嶽温泉到着

 宿に入るとケンコバ似のお兄さんが出迎えてくれた。部屋はほのかに硫黄の匂いがする綺麗な和室ではやくも優勝の予感がする。五所川原に戻る前にひとっ風呂浴びることにした。
 お風呂の写真は無いので感想だけ述べるが、ものすごく良いお湯だった。酸ヶ湯のように濃く白濁した硫黄泉なのだが、なぜかまろやかな感じがするの強酸性のお湯のピリッとした感覚が無く、いつまでも入っていたくなる。今まで入ってきた温泉の中で間違いなく最高レベルだった。

 ひとっ風呂あびてそろそろ五所川原へ戻る。と、その前に、来る途中からのぼりがたくさん立っていて気になっていた、「嶽きみ」と呼ばれるこの地域名産のとうもろこしを旅館の向かいの商店で買うことができた。

獄きみを買った商店
獄きみの写真を撮れよ

 店のおばあちゃんが茹でたのなら残ってる、と言ってラップにくるんで持ってきた嶽きみは、とんでもなく甘くて旨かった。温泉といい、獄きみといい、はやくも我々は嶽のとりこである。
 
ただ、入浴の代償として体臭がまたとんでもないことになってきた。車の中の男3人は皆異様なにおいである。体の傷は戦う男の勲章というように、体の硫黄臭は旅人の勲章ではないだろうか、などと意味不明の言い訳を心の中でしながら五所川原へと戻った。

 五所川原市街中心部はすでに車両の通行が封鎖されており、我々は駐車場を開放している大きな商業施設に車を止めて、1kmほど歩いてねぷた会場へ向かうことにした。

五所川原立佞武多

 正直に言おう。私は五所川原立佞武多を侮っていた。青森県には青森、八戸、弘前と人口が15万人以上の3つの市が群雄割拠する中、五所川原は人口5万人そこそこの小さな町である。この日はそのすべての市で祭りが開催されているまさに青森お祭り戦国日和、だが日程的に我々が青森ねぶたに加えてこの旅行中に行ける県内の祭りはあと一か所。八戸例大祭、弘前ねぷた祭、五所川原立佞武多のうちどこに行くか、かなり迷って最終的に五所川原に決めたのは津軽半島を観光する上で比較的便利な立地だったという要素が大きい。失礼なことに、祭の規模はおおむね町の規模に比例するだろうと、あまり大きな期待はしない方が賢明か、とまで思っていた。
我々は何もわかっていなかったのである。

 佞武多の通る道の歩道に座りこんで祭りの始まりを待った。青森や盛岡と比べるとさすがに人は少なく、周囲の建物も低いためかどこかのんびりした雰囲気である。五所川原出身らしい吉幾三さんの立佞武多という曲が延々と流れるなかで祭がはじまった。

最初にやってきたねぷた

 最初に来たのはみんな大好きスサノオのねぶただった。青森のものと形はほとんど同じだが、やや小ぶりな大きさだ。囃子方や沿道の人々はみんな楽しげで地元の大事なお祭りという雰囲気がひしひしと伝わってくる。

作品名が本能寺なのがちょっと可哀想で面白い

 どのねぶたも完成度は高いのだが、やはり大きさはそれほどでもなく、また密度が低いのか次の集団がなかなかやってこない。ひまなので立佞武多はどのくらいの大きさなのだろうか、あの2階建てのビルくらいかなあ、とM氏と話す。前日に青森ねぶたを見てきたよそ者としては、非常に失礼ながら若干の物足りなさを感じはじめていた。

かわいい佞武多たちが先陣を切る

何台かねぶたを見送っているうちに日が沈みきってあたりは真っ暗になった。露店で買ったきゅうりなどを食べながら、そろそろお祭りも佳境か、などと思っているときだった。午後7時、それは現れた。

巨構の町

 巨大ヒーロー、巨大怪獣。「巨大」という言葉は架空の物語で使われることが多い気がする。ゴジラやウルトラマン、エヴァンゲリオン、最近だと進撃の巨人など、ある時は敵、ある時は味方として巨体が躍動する様子は、フィクションの醍醐味と言える。それだけに、巨大なものはいつも現実味がない。そしてこの場合も例外ではなかった。

ん?
え。
は?

 手前の建物越しに見える、電柱をゆうに超える大きさの、巨大発光物体。ゆったりと移動するそれを、立佞武多である、と認識した時、ほとんど呆れに近い驚愕と高揚感に襲われた。息を飲むという表現はこういう時のためにあるんだと思った。とんでもないものを見に来てしまった。

その日、(五所川原近郊の)人類は思い出した

 その大きさにはまるで現実感が無い。電信柱の1.5倍ほど、建物でいえば6階建てほどだろうか。笑えるほどの巨大さの光る影は、近づくにつれだんだんその強烈な色彩と表情が鮮明になってゆく。

素戔嗚尊

 立佞武多が目の前を通り過ぎる。すさまじい大きさと壮麗さ、とにかく感嘆の極みで語彙を失ってしまい、この写真を撮った後も首を90°上に向けて口をぽかんと開けたまま「すげえ…すげえな…」と呟き続けることしかできなかった。ただただ唖然とした。さらに驚くべきはこの大きさの佞武多が三台いるのである。

巨人の街

 立佞武多は1年に1台造られ、3年間お祭りの時に出てくるようなので例年同時に3体存在する。1体目の立佞武多、「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」に続いて、後ろに続くのは「暫(しばらく)」である。
 このあたりから、我々はずっとゲラゲラ笑ってた記憶がある。人間あまりにも異常な事象に遭遇すると笑うしかなくなるらしい。関西人的に言うと、ツッコミが追い付かないのである。

 このサイズ感はどう伝えればいいのだろうか。後から調べると高さは約23mらしい。とりあえずオタク向けに言うと、最近お台場とか福岡に実物大のガンダムが立ってるが、あれより数メートルはでかい。奈良県民向けに言うと、大仏よりかなりでかい。

素盞鳴尊の後ろ姿

 振り返ると素戔嗚尊が交差点を右折するところだった。二階の窓に映る巨大な影。巨大怪獣映画でよく見かける構図を何気なく再現できてしまうの狂ってるな。

自力で月往復できそうなサイズの姫

 3体目は「かぐや」。青森からずっと隈取の迫力ある漢のねぶたばかり見てきたので、姫のねぶたというのは新鮮である。かぐやはコロナ前からある作品なのでお馴染みなのか、地元民のファンからかぐやだ~という歓声があがっていた。

華麗

 個人的にもたしかにかぐやのデザインはめちゃくちゃ格好いいと思う。髪と十二単の躍動感がすごい。今まで見たねぶた・ねぷたで一番好きかもしれない。

ちょっと小柄(電柱サイズ)

 かぐやが去ると、最後に地元の学生が作ったものだろうか、少し小型の佞武多がやってきた。さっきまでと比べて小型なだけで、それでも電柱くらいの大きさがある。作り甲斐がありそうでうらやましい。

にしてもかぐやデカすぎんだろ

 最後の山車が通りすぎたので立佞武多を追いかけることにした。運行速度はゆっくりなので、街路をショートカットすれば追い付ける。光ってる上に巨大すぎて建物越しに見えるので現在地が非常に分かりやすい。もらったパンフレットを見ると、立佞武多はどうやら五所川原立佞武多の館という市の施設に収納されるらしいのでそこに向かってみる。
って、え、収納する?あの大きさの物体を?

人口5万の町にある公共施設の大きさじゃない

 まじかよ。格納庫まであるとかもう巨大ロボットアニメの世界観そのものじゃねえかよ。現時点で第三新東京市に一番近い市だよ五所川原市、NERVもびっくりだよ。正直、このシーンが一番興奮した。

これは、趣味の世界だねぇ…

 補修のためなのか何なのか、跳ね上げ桟橋が3重にあっていて無駄にオタクを興奮させる構造をしている。あれシンジ君がゲンドウに「エヴァに乗れ、乗らないなら帰れ」って言われるスポットだろ、知ってるぞ。ちなみに佞武多の下はターンテーブルになっているので回転できる。設計に巨大ロボに造詣が深い人が関わっているに違いない。

なんでもかんでもでかいな

 やがて、立佞武多の灯りは消え、ついに巨大な狂乱は終了した(正確には終わったのは2日目なので翌日もあるんだが)。次来る時は館から出てくる瞬間も絶対に見たい。BGMは吉幾三もいいけど、ヤシマ作戦でもいい。

身長20mの男性ににらまれたことはありますか

 五所川原立佞武多はとんでもない祭だった。この旅行で一番印象に残った祭であり、心の底からまた行きたい、いや絶対に行かなければならないと思った。小さい町とか言ってすみませんでした….すごいとこだよ五所川原。

格納中の立佞武多(別日の写真)

 ちなみに格納庫こと立佞武多の館はいつでも入れる博物館になっていて、上部や真横から佞武多を間近に見られるようになっている。これは、どういうわけか後日また五所川原に来る機会があってその際に撮った写真で、それはもうすごい迫力だった。祭の詳細や立佞武多の構造やあれほどでかくなった経緯など解説も面白い。全部は書ききれないので五所川原に行く方はこちらもぜひ立ち寄ってほしい。

 祭りが終わった後は、興奮冷めやらぬまま夜道を嶽まで帰り、温泉に入って、冷やしていたリンゴジュースを飲んで寝た。津軽を味わいつくした濃密すぎる一日だった。旅行もいよいよ終盤戦である。

5日目に続く



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