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人は、人生に期待されただけの器しか持てない

「人は、その性格にあった事件にしか出会わない。」

城山三郎が引用していたこの小林秀雄の言葉は、日を追うごとに身に迫ってくる。

我が身に起こることは、いいことも悪いことも自分自身が引き寄せている。

そして人には、課せられた宿命の分だけの器がはじめから割り振られているのかもしれない、とも。

改めてそう思ったのは、先日のイベントでSHOWROOMの前田さんが「平日の睡眠時間は2時間」だと笑いながら話していたことがきっかけだった。

職業柄、社会の第一線で働く人たちと面する機会も多いのだけど、大半の人は本当に、物理的に、「寝ていない」。

「いつ寝てるんだろう」と思うあの人もこの人も、実際まったく寝ていないのだ。

寝ていないといえば落合さんが有名だけど、スカイマーク会長の佐山さんも平日はずっと5時間睡眠でそれ以外の時間は常に仕事をしている、という話も有名だ。

それ以外の人たちも、本番前ギリギリまで仮眠をとっていたり、夜中の3時に返事がきたと思ったら朝7時にはまた別の連絡がきていた、なんてこともよくある。

すごい、うらやましい、ああなりたい、という憧れる人たちの裏側は、決してキラキラなんかじゃない。

でも、だからといって彼らは辛そうなわけでもなく、むしろ嬉々として「これから」を語る。

医学的に見たら体に悪いことしかしていないはずだけど、今この瞬間は倒れることなく淡々と歩みを進めている。

その姿を見るたびに、神に選ばれるとはこういうことなのだろうな、と思う。

もちろん各々公にしていないだけでいろんな故障はあるのだろうけど、それを押してでもやりたいことに猛進し、一つ一つ成し遂げていく。

生まれながらの体の強さだけではなく、そこには何者かに突き動かされている人間の強さがある。

健康や生産性を考えたらもっと規則正しい生活をしないとパフォーマンスが出せないはずなのに、彼らはなぜ無尽蔵に働き続けられるのだろう。

そんなことを考えていて、ふと三島由紀夫の書いた「天人五衰」を思い出した。

「選ばれしもの」は、それとわかる身体的特徴を持っている。

豊饒の海四部作のうち、3巻までは一貫して「選ばれしもの」を主人公として書いた三島が、最後の最後で「贋物」を主軸に物語を書いたのは、彼自身も自分は選ばれなかった側の人間だという絶望を感じていたからなのかもしれない、と今改めて読み返してみてやっと理解できた気がした。

ヴィクトール・フランクルは『夜と霧』の中で
「人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである」
と言ったけれど、きっと私たちが人生から期待されているのと同じだけ、その期待にこたえるために必要な器も決まっているのだと私は思う。

努力で人はどこまでも成長する。ただし、器を越えるペースの努力は自己破壊を促進させる。

ここ最近ずっと「才能と努力」について考えていたのだけど、今のところの結論は、結局人は人生に求められた分だけしか努力できないものなのかもしれない、ということだ。

前述のイベントで睡眠時間が2時間という話をしたあと、前田さんはこう続けていた。

「でも、みんなが僕のように睡眠時間を削るべきだとは思っていません。使命があって、そのために命を燃やそうと思う人だけがそういう生活をすればいいと思う」

命を燃やしながら生きること。

それもまた、小林秀雄の言葉を借りれば、「人は、その性格にあった事件にしか出会わない」ということなのかもしれない。

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