エースが泣いても許されるのは。
「泣いていいのは、全国優勝したときだけだ」。
トップを目指すためには、泣いてはいけないと学んだのは14歳のときだった。
負けて泣いてはいけない。
一度でも負けたら、優勝することはできないのだから。
「一本取られても、絶対に下を向くな」。
これも当時教えられたことだった。
一本取られても、二本取り返せば勝てるのだから、早々に負けたような顔をしてはいけない。
もし負けてつないだとしても、気持ちだけは勝ったつもりで後ろに回さなければならない。
戦いの最中にある以上、途中で気持ちを折ってはいけない。
それがチームで戦うということだ。
野球の世界でも、エースが逆転を許してしまったときの反応がたびたび話題になる。
無表情のまま淡々と次の打者に向かう選手もいれば、つい天を仰ぎ見てしまうこともある。
普段は気丈に振る舞っている選手でも、場面によってはつい落胆が顔に出てしまうこともある。
エースの士気は、自然に全体へと広がっていく。
一度しぼんでしまった空気をもとに戻すのは難しい。
だからエースはどんなときでも、マウンドの上では歯を食いしばっていなければならない。
ああ、きっと今泣きたいんだろうなと思う。
白球がスタンドに吸い込まれていく姿を見送るしかない姿に、涙が透けて見える。
何度も苦しい場面をしのぎながら、なんとか守り抜いてきたスコアボードに、ゆっくりと点が加算される瞬間。
マウンドに立つピッチャーの気持ちを思うと、胸が押しつぶされそうになる。
2時間耐えて投げ続けてきても、勝負が決まるのは一瞬だ。
たった一球で、天国と地獄が決まる。
エースは膝を折ってはいけない。
でもこの日だけは、誰もが泣き崩れるエースを責めなかった。
あの日の斉藤和巳は、「膝をつくことが許されるエース」そのものだった。
遡ること14年。
当時の私はプロ野球どころかまだ高校野球にもハマる前で、クライマクッスシリーズという言葉すらも知らなかった。
ただ九州人として、ホークスが勝った負けたの情報が入ってきていたことだけはうっすら覚えている。
そんな私でも、「斉藤和巳のあのシーン」は見るだけで泣きそうになる切ない写真だ。
しかしいざリアルタイム速報で当時と同じ時間を過ごしてみて、あの一瞬の重みをより一層感じることになった。
中4日というタイトな間隔で登板した勝負の一戦。
「負けないエース」にかけられた期待は大きかった。
中盤まではいいペースで投げていたものの、途中から疲労もあってか徐々に雲行きが怪しくなってくる。
8回には球数が百球を超え、さすがに9回は交代させるだろうか、と当時誰もが考えたはずである。
しかし斉藤和巳は9回裏もマウンドに上がった。
0-0で迎えた9回裏。
これが意味するところは、たとえ無失点で切り抜けても延長戦に入るということ。
さすがに延長戦までは投げられないことを考えると、胴上げ投手になれる可能性は潰えたということだ。
それでも9回までは自分が守り抜く。
そんなエースの覚悟を誰もが感じていた。
しかしそんな意気込みも虚しく、先頭打者をであっさり四球によって出塁させてしまう。
さらに運の悪いことに、打順はクリーンナップへと続いていく。
二番の小笠原を敬遠し、ゲッツー狙いでセギノールとの勝負に出た。
両ファンが固唾を飲んで見守る中、ストライク、ボール…とカウントが埋まっていく。
そして点灯した3つめのストライク。
これで2つめのアウトだ。
どんな結末が訪れるか知っているはずなのに、つい肩でふう、と息を吐いてしまう。
わかっていても抑えてくれと願ってしまうのは、野球ファンの性なのだ。
2アウトまで追い込み、残るバッターはあと一人。
あれ、もしかして9回裏は抑えるんだったっけな。
そんな考えがふと頭をよぎった瞬間、速報に「サヨナラタイムリー」の文字が並ぶ。
ああそうだ、内野に飛んだ打球をなんとか捕球したものの、セカンドへの送球が間に合わなくて、サヨナラになったんだった。
こうして、和巳はマウンドに崩れ落ちた。
胴上げに湧き立つ日ハムナインの姿をバックに、和巳は膝をついたまま一歩も歩けなくなっていた。
あの伝説のシーンが思わず頭に浮かぶ。
全力を出し切って、負けた。
彼は、マウンドで泣いても許された数少ない選手だった。
エースとしてすべてを背負い、9回2アウトまで無失点に抑え、最後まで投げ切った。
あれからたくさんの大一番を見守ってきたけれど、ここまで劇的な負け方をした選手はいなかった。
いまだに「悲劇のエース」として記憶されていることが、その証拠でもある。
エースは泣いてはいけない。
戦っている間は心が折れてもいけないし、役割を放棄することもできない。
それでも極限の中で死力を尽くしたときだけ、弱さを曝け出すことが許される。
あの試合はきっと、勝っても負けても泣いていた。
和巳が限界以上の力を振り絞って最後までマウンドに立っていたことを、誰もが理解していたはずだからだ。
勝負の世界は残酷だ。
でも何年経っても思い出し、その姿に感動して涙を流せるのは、勝敗ではなくそこに至るプロセスが本気のぶつかり合いだったからだ。
まだプロ野球ファンになる前の出来事だったにも関わらず今の私を感動させたのは、その姿がかっこよさに溢れていたからだ。
負けても色あせないエースのプライドは、十何年もの時を超えてまた私たちの胸をうつ。
あのときの和巳ちゃんへ。
14年越しのファンレターを贈りたい。
現役引退してからもまだ、色々な所で取り上げてもらう事がある。 「感謝」でしかない。
引退してから…
この試合の負けを…
心から受け入れられたかもしれん。
(中略)
この試合が無ければ…
もしかすると…
今の自分はおらんかもしれん。
伝わりづらいかもしれんけど…
伝え方が下手なのかもしれんけど…
心から感謝の気持ちしかない。
(オフィシャルインスタグラムより)
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