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「書く」とは、納得の記録である

以前書いた「美女と野獣という、ディズニーの壮大な実験」という記事が、時間をあけて昨日Newspicksの総合トップに表示されていたようで、人生初の「バズる」という体験をしました。

実はちょうどその前日に「そろそろコンフォートゾーンから抜けるためにも、否定コメントがつくような記事を書くのが私の課題です」という話をしていたばかりだったので、あまりのタイムリーさに神の存在を感じずにはいられませんでした。笑

おかげさまで気づいたときには300近くPickされ、読みきれないほどたくさんのコメントをいただきました。

もともと負けん気の強い性格なので、否定的なコメントを見たらいちいち反論したくなるかな?と思っていましたが、意外にそんなこともなく、ひとつひとつ大切に読ませていただいています。

これは皮肉でもなんでもなく、否定的なコメントほど勉強になることがわかったからです。

それは、コメント内容の良し悪しではなく、表現方法の反面教師として。

例えばたくさんいただいたのは、「仮面ライダーやプリキュアも同じでしょ」という趣旨のコメントです。

もともと素敵だなと思っていた憧れの人たちは、「なるほど、そう考えると仮面ライダーも同じことなのかもしれないな」と、一度私の書いた内容を受けとめた上でのコメントが多かったように思います。

反対に、頭から「こんなの当たり前でしょ」という書き方をされている方の中には、以前から私が素敵だなと思っていた方は、残念ながら1人もいませんでした。

やはり成功している人は、そうした小さな積み重ねで必然的に成功しているのだなと思います。

だからといって、賛同コメントがほしいわけではありません。

映画を含めた、エンタメ業界の方々から直々につっこんだコメントをいただけたのは非常に勉強になりましたし、そうした業界の「当たり前」を知るきっかけを作れたことはとても嬉しく思っています。

ただ、せっかく「そういう見方もあったか!」と思うような内容でも、「そんなことも知らないなんて」という姿勢で書かれたコメントは相手に「この人とは仕事しにくそうだなぁ」と感じさせてしまうのだなと改めて気づいたのです。

いいことを言っているのに伝え方で損をする、というのは、頭ではわかっていてもなかなか我が身を振り返る機会はないものです。

とてもいい勉強をさせていただきました。

そして、自分としても意外だったのが、否定コメントへ反論したいと1mmも思わなかったこと。

少し前の私だったらガンガン噛みついていたと思うのですが、今は自然と「俺の行いは俺のもの、人の知ったことではない」と思えるようになりました。

この変化は何なんだろう?と自分を見つめてみた結果、最近の私のnoteは「自分の納得の記録」だから、何も感じないのだろうと気づきました。

例えば、noteを書きはじめたころは、人と同じことを書かないようにしなくちゃ、と常に気を張っていました。

特に、興味関心が近い人同士はキャッチアップしている情報も近いことが多いので、はからずも同じようなことを同じ日に書いてしまった!パクリだと思われる!と、過剰に気にしていた時期もありました。

しかし最近になって、自分が気づいたことや考えたことの記録として書くスタンスへ、自然と変化していることに気づきました。

結局同じことを言っていたとしても、私のアプローチと人のアプローチは違うもの。

WHYが同じでもWHATとなるプロダクトが異なるように、私の気付きや思考の変遷は、私のオリジナルとして堂々と発信していけばいいのだ、と思ったのです。

そもそも、完全にオリジナルなアイデアなんてありません。

私はよく書籍やweb記事の引用をしながら記事を書いていますが、自分がインプットしたものを咀嚼しておいて、ある瞬間に化学反応が起きて、そこではじめて記事やツイートというアウトプットにつながるものです。

ここで言う化学反応とは、つまり「腹落ち」のことです。

本を読んだり話を聞いてわかったつもりになっていても、ある日ふと「そういうことだったのか!」と自分のものになる瞬間が訪れます。

たとえば今回の美女と野獣の記事で言えば、書いていることは、おおむねコルクの佐渡島さんとキングコング西野さんの本に書いてあるようなことばかりです。

その二人の本を読めば理解できるようなことを、なぜわざわざ私が何時間もかけて記事にしなければならないのか。

それは、私が腹落ちしたから。ただそれだけです。

他の人がすでに書いたことだろうと、言い古されたことだろうと、「今」の私が気づいたことは、「今」記録として残しておく価値がある。

自分のものとして、自分の言葉で、自分のために書く。

それこそが、私がnoteを書き続ける理由なのだと思います。

そしてあくまで自分の納得の記録として捉えているからこそ、「そんなことも知らないなんて」と言われたところで、「だって、私は今気づいたんだもの」という心境になるのだと思います。

批判するのは簡単です。世の中に、完璧なものなんてありませんから。

でも、批判して一瞬感じられた優越感は、すぐに消え去ってあとには何も残りません。

逆に素敵な人たちは、「自分の分野に置き換えたらどうなるのか?」「さらにVRやARが発達したら?」「映画館の未来は?」と、自分自身の納得の記録としてコメントされている方が多かったように思います。

批判して優越感に浸るより、自分が納得した記録を蓄積する意識でコメントする方が、自分の力になるというのは誰でもわかることです。

こうした日々の蓄積が後から大きな差になって、自分に返ってくるのだなぁと思います。

潰しあうのではなく、高め合うために。

まずは自分の言葉づかいから見直していこうと思った、はじめてのバズり経験でした。

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(Photo by tomoko morishige)

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