「批評家」という仕事への誤解

一般的に、批評家と実務家は真逆の対象として語られることが多い。そして大抵の場合、批評家は実務家のような苦労をすることなく好き勝手にものを言って暮らしている人、というイメージで語られがちだ。

さらにいえば、大学教授や研究者に対して「自分が実務家としてやってみたらいいのでは」という意見を耳にすることもある。

こうした言説に触れるたび、「考える」という知的労働の地位はまだまだ確立されていないのだなと思う。

「批評の神様」と呼ばれた小林秀雄は、批評家という仕事に対してこんな言葉を残している。

批評家というものは、他人をとやかくいうのが上手な人間と世人は決めてかかりたがるが、実際には、自分を批評するのが一番得意でなければ、批評商売もなかなかうまくゆかないのである。(小林秀雄「読書について」)

この「自分を批評する」行為、すなわち自省こそがその人の知性を形作るのだと私は思う。自省なき言説には人を動かすほどの重みはない。

ここ最近20世紀後半に書かれた思想哲学の類を読んでいるのだけど、そのどれもが「自省」をテーマに据えているように思う。オルテガの「大衆の反逆」、ハンナ・アーレントの「全体主義の起源」、バーツラフ・ハヴェルの「力なきものたちの力」、そしてガンディーの「獄中からの手紙」。

そのどれもが、ともすると大衆に迎合してしまいがちな自分を戒める意味も込めて書かれたもののように感じた。

古今東西の名著を見ても、無責任な他者批判のみで評価されたものはほとんどない。現在まで続く名著はすべて自己批判的な側面を持ち、内省の表現として文章に起こされたものが多い。

書くことは人を内省的にさせる。真っ白な原稿用紙は内面を映す鏡であり、否が応でも自分自身と向き合わざるを得ないからだ。

ではなぜ現代において「批評家」が無責任に他者の言動にあれこれコメントする人であるというイメージが定着したかというと、テレビにおけるコメンテーターの役割が大きいのではないかと私は考えている。

テレビのコメンテーターは、言葉を発する際に原稿用紙に向き合う批評家ほど熟考することが許されない。さらに無料で誰もが見られるものであるがゆえに、「正しいこと」よりも「共感できること」を求める人の割合が高く、視聴者の感情に寄り添う「共感型」のコメントがメインになりがちだ。

こうして、出来事の背景や別の観点を入れることなく無責任に視聴者の感情だけを代弁する存在としての「批評家」のイメージが固まってしまったのではないかと思う。

誤った批評家のイメージはSNSの登場によってさらに加速し、一般人でも簡単にコメンテーターの真似事ができる時代になってしまった。

冒頭の批評家と実務家の対比における批評家への冷ややかな目線は、こうした無責任な発言への反発が根底にあるように思われる。実際、信念を持って何かに取り組んでいる人にとっては、背景を理解せずに出来事の表面だけ見て話題として消費されていくのは我慢ならないことである。

しかし本来批評家が担う役割とは、こうした複雑な背景を抽象化したり別の視点を与えたりして人に新しい捉え方の枠組みを提示することなのではないかと私は考えている。

そして言論によって読み手の意識を変えることは、実務家がモノやサービスを通じて世の中を変えようとしていることと同じくらい価値のあるものだと思う。新しいコンセプトや枠組みの発見は、資本主義から少し距離をとった方が長期的視点で考えられる節もある。「稼いだお金の金額で評価する」という考え方だけでは測れないものが世の中にはたくさんある。

知的労働を評価するとは、単にホワイトカラー層の年収やIT企業の時価総額で測れるものではない。世の中にインパクトをもたらす思考の枠組みを表現する手法として、企業経営が向いているか執筆/講演が向いているかというやり方の違いでしかない。

批評家への態度と同じく、経済/経営学の教授やMBA講師に対して「その知識を使って自分でビジネスをやればいいのでは」という声を見かけることもある。年商10億円の会社をひとつ作るよりも年商100億円の会社が複数生まれるきっかけを作る方が社会的価値が高い場合があるということを理解せずに大学を卒業してしまうのはとてももったいないことのような気がする。

とはいえ最近は30代で一度大学(院)に戻って勉強しなおしたいという人も増えてきたので、私たちの世代が社会の中核を担う頃にはアカデミックとビジネスの垣根はもっとゆるやかになっていくのだろうけれど。

行動する人を讃えることは重要だ。
しかし本来、何かを批評したり思想家として大きなコンセプトを提示することもまたひとつの「行動」である。

批評という行動が悪いのではなく、批評の仕方が問題なのだ。

世の中を本当の意味で前進させるためにも、批評家という仕事が正しく評価され、質の高い批評が世の中に流通することを願わずにはいられない。



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