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コンビニはなぜ「ユニバーサル」であるべきなのか

#ローソンPBに思う 」に寄せられた意見を読んでいて、「ユニバーサルデザイン」にまつわる言及が多いことに気づきました。
視覚に困難のある人やお年寄りはもちろん、普段は不便を感じなくても今回のパッケージを見づらいと感じた人たちにとってやさしいデザインではない。
そうした意見を目にしてはじめて、不便を感じる人たちがいることに気づいた人も多いのではないかと思います。

しかし「そもそもユニバーサルデザインとは何なのか?」「何をもってユニバーサルデザインとするのか?」「どのくらいの規模になったら遵守しなければならないのか?」など、詳しいことを知らない人も多いのではないでしょうか。

今後ますます高齢化する日本社会において、ユニバーサルデザインはとても重要なテーマであり、ローソンPBの問題だけに矮小化してよいテーマではないと私は考えています。

とはいえ、私自身はまったく専門外の分野であるため、自分なりに勉強しながら「コンビニに求められる公共性とは何なのか」について考えさせられたので、私のまなびをまとめておきたいと思います。

そもそもローソンPBは「ユニバーサルデザイン」の問題なのか?

まず、ユニバーサルデザインとは1980年代にロナルド・メイスによって提唱された概念で、「年齢や能力、状況などにかかわらず、デザインの最初から、できるだけ多くの人が利用可能にすること」を基本コンセプトとしています。

ユニバーサルデザインには7つの原則があり、そこに紐づく28のガイドラインが定められています。

▼ノースカロライナ州立大学ユニバーサルデザインセンターの原文ページ

ガイドラインを読むとわかるように、ユニバーサルデザインはその製品自体の「使いやすさ」にまつわる考え方です。
たとえばパッケージでいえば、単に探しやすいだけではなく、封の切りやすさや注ぎやすさ、パッケージによって怪我をするリスクを減らすことなど、買った後のことまで考える必要があります。

一方で、今回のパッケージ問題で言及されているのは判別しさすさ、つまり「アクセシビリティ」の問題なのではないかと私は考えています。

両者の概念は重なるところも多分にありますが、アクセシビリティはより「アクセスしやすさ」、つまり必要な情報に誰もがアクセスできることに重きをおく概念です。

日本パッケージデザイン協会のHPでも、ユニバーサルデザインと並んでアクセシビリティに関する法令やガイドラインが紹介されています。

たとえばJIS規格において「高齢者・障害者配慮設計指針−視覚表示物− 色光の年代別輝度コントラストの求め方」が公開されており、一般的な視力をもつ人を対象とした「見やすさ」が定義されています。
なお文字サイズに関しては「高齢者・障害者配慮設計指針−視覚表示物− 日本語文字の最小可読文字サイズ推定方法」という規格もあります。

見やすさにまつわる議論は、こうした規格やガイドラインと照らし合わせながら進める必要があると私は考えています。

こうしたガイドラインに照らし合わせると、ローソンの新PBが「見づらい」ものであることは専門家の誰もが指摘しています。

しかし世の中には、ユニバーサルデザインもアクセシビリティもまったく考慮されていない商品が溢れています。

それらの商品が糾弾されることなく、今回ローソンだけがこれだけの批難を浴びている理由を紐解く必要があるのではないかと私は考えています。

なぜコンビニに「ユニバーサルデザイン」が求められるのか

そもそもコンビニにおけるユニバーサルデザインの問題を論じるならば、ローソンのみならずほぼすべてのコンビニのパッケージを改善する必要があります。
たとえば明瞭な商品写真はほとんどの人にとって「わかりやすい」デザインですが、アクセシビリティのガイドラインに則るならば原色に原色を重ねてはいけません。
使用可能なフォントや文字の大きさも制限されます。

現状のコンビニのパッケージは、アクセシビリティの観点から見ればローソンに限らず他の店舗もほとんど対応できていないというのが現状なのです。

その上でローソンのリニューアルによって「ユニバーサルデザイン」の議論につながったのは、リニューアルによって30点が0点になった、つまり「大きくマイナスになってしまった」ためではないかと私は考えています。

そもそも、パッケージやロゴのリニューアルでは少なからずユーザーからの反発が起きます。
人は変化に対してストレスを感じる生き物であり、特に愛着を持つものが変わることに強い不満を感じるからです。
Instagramのロゴ変更が大きな反響を巻き起こしたことも記憶に新しいですが、接触回数の多いデザインの変更はユーザーにマイナス感情を与えるため、各社ともに変更時には丁寧なユーザコミュニケーションを行っているのです。

さらに今回のローソンの場合は、こうした変更のストレスに加えてもともと低かったアクセシビリティが大幅に下がったため、不満の声が多く上がったのではないかと私は推察しています。

さらにもうひとつ、これだけ「見やすさ」への言及が多かった理由はコンビニが纏う「公共性」の要素も大きいと思われます。

今回の件についてデザイナーの山本郁也さんとお話させていただいた際、「コンビニは "公共"を担うべきなのか?」という議論になりました。

山本さんはNPO法人soarのアクセシビリティ対応の監修をはじめ、ユニバーサルデザインやアクセシビリティの知識を活用しながらも、ただ便利でわかりやすいというだけではない、感性に訴えるデザインとの両立に取り組んでいるデザイナーです。

(▲上記のsoarのアクセシビリティポリシーはとてもわかりやすいのでおすすめです)

今回のリニューアルがあくまで一私企業の施策である以上、公共性 "のみ"で語るのではなく、今後のビジョンを含めたより大きな視野で論じるべきなのではないか、というのが山本さんとの対話で私が感じたことです。

私企業にどこまで「公共性」を求めるか?

たしかに、現代社会においてコンビニは強い公共性を帯びた施設です。
1日の中でコンビニに立ち寄らない日はないほど利便性の高い場所であり、様々なバックグラウンドを持つ人が利用するお店でもあります。

Twitterでも、「ナチュラルローソンや成城石井のパッケージなら問題なかった」「コンビニという公共の場に合うデザインではない」といった意見がたくさんありました。

つまり今回の問題は、単なるパッケージデザインの話ではなく、公共性の高い企業が果たすべき責任とは何かを問うと同時に、いち私企業がどこまで公共性を担うべきかの議論でもあると私は考えています。

なぜならば、コンビニ各社は国有ではなくあくまで自由な商業活動を保証された私企業だからです。

たとえば交通インフラを担うJRや生活のライフラインを担う電力会社は国や地方自治体が株式の一部を保有しており、株主として行政が口を出す権限を持っていることからも公共性の高い存在であることがわかります。

山本さんによると、たとえば下記の法律のように「公共施設」と定められるような場所は一定以上のユニバーサルデザインやアクセシビリティ基準を満たすことを求められる場合もあるそうです。

しかし多くのコンビニはこうした法律の範囲に入っておらず、ユニバーサルデザインへの対応はあくまで「努力義務」であることがほとんどとのこと。
※店舗の大きさや自治体独自の条例によって一部例外があります

コンビニのみならず、地方のインフラでもあるイオングループや私たちの生活に欠かせないAmazonなどの企業はすべて私企業であり、どこまで公共の福祉に寄与するかは彼らの事業戦略として考えられるべきことなのです。

もちろん企業規模が大きくなれば顧客の対象範囲も広がるため、戦略としてユニバーサルやダイバーシティを取り入れる必要が出てきます。
しかしそれはあくまで戦略上有利かどうかで判断されるものであり、法によって公共施設と定められていない企業に対する強制力はないのが現在の状況であるといえます。

コンビニを公共施設と定めるべきか?コンビニ以外の選択肢を増やすべきか?

こうした視点から考えると、コンビニにおけるユニバーサルデザインの議論は

・法的にコンビニを公共施設として定める
・コンビニ各社で共有のガイドラインを策定する
・コンビニの公共性を下げる(=コンビニ以外の選択肢を増やす)

といった視点が浮かび上がってきます。

私は海外に行くたびに日本のコンビニの特殊性を強く感じるのですが、ここまでコンビニが公共性を帯びている国は日本だけなのではないかと思います。
さらにいえば、小売企業がここまで公共性の高い場所として認識されていること自体が非常に珍しい現象です。

スーパーやドラッグストアも公共性の高い業態ではありますが、ひとつの企業がこれだけの店舗数で展開し、さらに公共料金の支払いや荷物の受け取りなど複数の役割をもつ店舗はほとんど例がありません。

そういった意味でも日本におけるコンビニの立場は独特であり、消費者にとっては「半官半民」に近い公共性を帯びた場所だと認識されているといえます。

であるならば、認識と実態を合わせるために法的に「公共施設」と定めるべきではないか、という議論も必要だと私は考えています。

以前コンビニにおける青年誌の撤去も大きな話題となりましたが、これもコンビニにおける公共性の定義が曖昧であるために混乱を引き起こした例だと思います。

生活実態としてコンビニはもはや無視できないレベルの公共性を帯びており、取扱商品や店舗デザインに関する行政指導の強制力を高める必要があるのではないか。

「ユニバーサルデザイン」を語るのであれば、その場所の公共性の定義から始めるべきだと私は考えています。

法律で定めるところまでいかずとも、コンビニ大手で共通ガイドラインを策定するのもひとつの手だと思います。

ガイドライン策定にはそれなりにコストもかかる上に、各企業の基準がバラバラだと不公平感が生まれる要因にもなります。
各社が協力して共通ガイドラインを作ることができれば、コストも低く抑えられる上に業界の約束ごととして共通認識を作ることもできます。

もちろん各社の事情があるので調整コストはかかってしまいますが、「コンビニ」の存在自体を前に進めるためには、各社が協力して基準を作ることも重要なのではないかと思います。

また、小売を専門とする立場としては、そもそもコンビニのPBに対して「他に選択肢がない人もいるのに」という意見が出てくることへの課題も感じています。

コンビニがここまで社会インフラになったのは、この20年ほどの話であり、それ以前はコンビニがない状態でも社会は円滑に回っていたはずです。
であるにも関わらず、上記のような意見がでてくるほど生活におけるコンビニ依存度が高まっていること、つまり消費におけるコンビニの寡占が進んでいること自体に問題があると思うのです。

前段にも書いた通り、コンビニはあくまで私企業です。
不採算店舗の閉鎖やサービス連携の終了は基本的にその企業の一存で決めることができます。
今回のPBデザインに限らず、もし一定数の人口を有しないエリアからは撤退するとか、Amazonの受け取りサービスはコスパが合わないので終了するといった決断に至ったとしても、誰も強制的に止めることはできません。

PBデザインよりも、こうしたインフラ機能を私企業が一手に担っていること自体が、地域経済の観点からも消費者の選択肢を確保する観点からも大きな問題ではないかと思います。

そしてこれだけ消費におけるコンビニ依存度が高まっているということは、それだけ私たちが普段の食生活においてコンビニに頼るライフスタイルに変化したことの表れでもあります。

コンビニにすべてを求めるのではなく、コンビニが掬い上げられなかった需要を満たす他の事業体が現れ、コンビニ以外の選択肢が増えていくことがゆたかな消費のあり方ではないかと私は思うのです。

「よりよいデザイン」を考えるために

一方で、現時点でコンビニが強い公共性を帯びていることは疑いようのない事実でもあります。
たとえ法律で定められていないとしても、これまで幅広い顧客層をターゲットにすることで成長してきた以上、様々な立場の顧客を想定して商品開発をすることは企業の社会的責任だと私は思います。

ただ、その基準をどこに置くかの議論が非常に曖昧であるようにも感じます。

山本さんも、ユニバーサルデザインやアクセシビリティへの配慮が必要としながらも「盲目的に基準に従うのではなく、買い物の楽しみやモノとしての魅力を含め、いろんなことを考えなくてはいけない」と話していました。

ガイドライン通りに作れば誰もが使いやすくなるかもしれないけれど、制約が多い分デザインの自由度は下がってしまう。
しかしデザインを優先すれば、誰かに不便を強いることになってしまう。

デザインのみならず、私たち自身も普段の仕事の中でこうしたバランスに常に悩んでいるはずです。
そしてちょうどいいバランスを探すことの難しさも、社会に出れば嫌というほど感じさせられます。

今回のローソンPBの問題は、「肯定派か否定派か」といった単純な構図ではなく、より大きな視野で論点を整理しながら語ることで、それぞれが自分の仕事に生かすことのできる学びを含んでいると私は感じています。

たとえば自分自身の仕事においてこれまでユニバーサルデザインやアクセシビリティを意識したことがどれだけあるでしょうか?

恥ずかしながら、私は今回の問題によってはじめて深く考えることになりました。
デザインのみならず、小売における寡占の問題や公共の定義についても、こうしたきっかけがなければ考えることはなかったと思います。

どんなに世の中で話題になったテーマも、一ヶ月もあればすっかり忘れられてしまいます。
おそらく今回のユニバーサルデザインの問題も、来月にはほとんどの人が忘れて別の問題に熱中していると思います。

しかしそうした「社会課題の消費」を繰り返すだけでは、社会を前に進めることはできません。

本当に問題意識を感じたテーマに関しては、感情に任せた発信をして溜飲を下げて終わりにするのではなく、複数の視点から考えて論点を整理し、それぞれが自分の仕事や日々の行動につなげていくべきだと私は思うのです。

今回まとめた内容は専門家ではない立場から私なりに調べたりインタビューをしたりして学んだことなので、考察として十分でない点も多々あると思います。
1人が調べて考えたり想像できる範囲には限界があるからです。

だからこそ、それぞれの立場から見える世界を共有しあい、対立ではなく対話によってよりよいものを生み出そうとすること、そこから得た学びをそれぞれが自分の仕事に生かしていくことが、世界を前進させるはずだと私は考えています。

「真摯に取り組んだ、"慎ましい仕事"が悪い政治の批判となる」
というヴァーツラフ・ハヴェルの有名な言葉があります。

よりよいもの、よりよい世界を作るのは私たちひとりひとりの「振る舞い」です。

知性をもって議論し、他者批判ではなく自省によって目の前の仕事を"慎ましく"変えていくことの力を、私は強く信じています。

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Retail Futurist / curator。「知性ある消費を作る」をミッションに掲げています。 将来は世界一の店舗メディアを作る予定。noteの有料マガジン「余談的小売文化論」とコミュニティマガジン「消費文化総研」もよろしくどうぞ!

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