「普通」を願う、呪いと愛
「ただ普通に、幸せになってほしい」。
その期待に応えられない苛立ちと反発を、誰もが一度は感じたことがあるだろう。普通であってくれと願われることは何も特別な才能や資質のある人だけのものではなくて、ごく当たり前の、それこそ「普通」のことである。
まだ若く、守られる側で、自分のことだけ考えていればいい時期には、その期待はただただ鬱陶しく、なぜ私の、私なりの幸せを祈ってくれないのかと不満に思う。自分の世間体のために私の未来を縛らないでほしい、と。
けれど家庭を持つ年齢になってみて気づく。普通を押し付けられることにあれだけ反発していた自分もまた、「守るべきもの」に対しては普通を願ってしまっていることに。
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