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「結婚はいいぞ」と、まわりはみんな言うけれど。

挑発的なタイトルをつけてみたけれど、いうほど私はまわりに結婚しろと言われたりしないなと思う。

それはたぶんまわりから見て『結婚しなくてもそこそこ楽しくやっていけそう』と思われているからだろうし、『結婚しろと言ったところで人の言うことなんて聞かない』とみんながわかっているからだろう。

私のまわりの人たちの私への理解力は天下一品である。

それはさておき、ほとんどのアラサー未婚の人たちは、まわりから結婚がいいもので、目指すべきものだと刷り込まれ、さりとてお相手のある話は努力でどうにかなるものではなく、『彼に結婚しようと言わせるための3つのコツ』のような記事を読んではため息をついている。

結婚そのものは素晴らしいものだと思うけれど、意に介さない相手を無理矢理説得して結婚という体裁をとることは本来の『結婚』の範疇に入るのだろうか。

私が結婚をいいものだと思うのは、より上位の概念として『家族』があるからだ。

それは単なる血のつながりではなく、安心と信頼のある人間関係であればすべてを家族と呼んでもいいのではないかと思う。

逆に、安心と信頼がなければ結婚していようと、一緒に住んでいようと本当の意味での家族とはいえない。

結婚は、人が健康的に生きるための安心と信頼の装置としての『家族』を得るためのひとつの手段でしかないと私は思う。

だから、結婚はたしかにいいものだけれども、あくまで家族という存在が素晴らしいのであって、結婚という記号を手に入れたからといって幸せになれるものではない。

ではどうすれば安心と信頼を得られるのかというと、自ら素直な感情を開示していくしかないと私は思う。

人は素直さと本音にふれたとき、自分自身も安心してさらけ出すことができるものだ。

だからこそ先に自己開示してしまって、不用意に偽らないこと。

一方で、お互いの孤独を尊重し、不用意に踏み込みすぎないこと。

その絶妙な距離感が、家族を家族たらしめていくのだろうと思う。

岡潔のエッセイに、こんな言葉がある。

「真のつながりは、これを一度疑いそれをより強く否定する、という形式で、確かめたりはしません。それが心の紐帯です」

つながりは、ただそこに『ある』と何の確証もなしに感じられることである。

私はこのつながりをもってして、結婚や家族とはいいものだなあと思うのです。

▼P.S. クリームソーダも誠にいいものであります。


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