"商品"は、思想のすべてを体現する
先日久しぶりに日経ビジネスを読んでいたら、資生堂初代社長のこんな言葉が載っていました。
「商品をもって、すべてを語らしめよ」
この一言によって、最近もやもやと考えていたことがストンと腑に落ちました。
私はもともと「言ったことよりやったことで評価する」ということを大切にしています。
「やりたい」という言葉には、昔からずっと温めてきた夢もあれば、会話の流れでふと思いついた軽いものまで、様々なグラデーションがあります。
しかし、実際にやるためには少なからず自分の時間を使って、本気で向き合う必要があります。そこには大きな差があるのです。
上記の通りやったことだけがすべてだと思っているので、「〜したい」という言葉はいつも話半分で聞くようにしていますし、自分自身に対しても、自分が決めた締め切りを守れないということはやりたいの優先順位が高くなかったのだな、と判断して別のやり方を考えるようにしています。
どんなに正しい戦略でも、理想的な仕組みでも、形にならなければ何の意味もない。
商品(=自分のやったこと)がすべてを語るものであるならば、作らなければ何も言っていないのと同じです。
さらに、その商品の価値は、作り手ががんばったから作られるものではありません。作り手が受け手のことを考え抜き、受け手に価値を感じてもらえるかたちに練り上げた結果がすべて詰まっているのが "商品"なのです。
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先日、BOOK LAB TOKYOで漫画版「君たちはどう生きるか」を出版された漫画家の羽賀さんをお招きして、トークライブを開催しました。
モデレーターとして製作秘話を伺いながら、ハッと気付かされたのは、読み手が気づかないようなところまでこだわって描き分けられていたということ。
例えば、おじさんが書いたノートを読む場面は漫画版では小説と同じようにそのまま文章が書いてあるのですが、そこに主人公のコペルくんの手が描いてあり、まるで自分自身がコペル君になったような気持ちで読み進めることができます。
作品中に複数回出てくるこのノートのシーンに描いてあるコペル君の手は、なんとページごとにすべて異なり、力の入れ方で読んでいるコペル君の感情が表されているのです。
これをトーク中に聞いた私は、モデレーターとしての仕事も忘れて思わず唸ってしまいました。
そもそも、そのページにコペル君の手をいれる必要はありません。「こうしたら読む人が楽しんでくれるかも」とう思いで描かれたものです。
そしていれるとしても、すべて同じ絵をコピーして書けばすむところを、あえて何ページ分も異なる手のカットを入れているのです。
最近、こういう言われないとわからないちょっとした気遣いに注目をしていて、同じくBOOK LAB TOKYOのイベントにきていただいた三谷 宏治さんの本も、ものすごく細かいこだわりをもって作られていることに感銘を受けました。
受け手がその工夫に気づかなかったとしても、無意識のうちに読みやすさや臨場感、面白さを感じているからこそ、いい本は隅々まで筆者の思想が体現されており、さらに作り手はその理由をひとつひとつ説明できるのだと思います。
コルクの佐渡島さんが編集者時代に羽賀さんを「きっといい漫画家になる」と見初めたのは、きちんとキャラクターごとの後ろ姿を描き分けようとした形跡を見つけたからだったとか。
キャラクターの表情や動きひとつひとつに理由をもち、1つのカットにたくさんの情報を詰め込むこと。イラストレーターと漫画家の違いは、1枚の絵に背景のストーリーがあるかどうかなのだそうです。
いかに「なんとなく」を排除して、理由をはっきり言語化するか。
それこそが、一流とそれ以外を分けるポイントのように思います。
私たちが何かを作るとき、完成までの間に無数の選択に迫られます。
選択のひとつひとつに理由をもち、それを言語化し、意志を持って選び取ること。
100の言葉を尽くして商品を語るより、商品そのもので自分の思想を体現したい。
私が日々自分のnoteを通して言葉と向き合っているのは、そうした思想を研ぎ澄ましていくためなのかもしれません
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(Photo by Kazuna.H)
ラブグラフの応援も込めて、表紙写真にラブグラファーさんの写真を使用させていただくことになりました!写真使ってもいいよーという方はご連絡ください:)
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