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"男子、一生の仕事"へのあこがれ

ここ最近ハマりにハマって、会う人みんなに勧めまくっている「天地明察」。
連日夜ふかしして読み進めてしまいちょっと寝不足ですが、その後悔すら吹き飛ばしてしまう面白さでした。

時は元禄文化栄える四代将軍家綱の御代。
父から受け継いだ碁打ち衆のお役目をもって城に仕えながらも、寝食を忘れるほど熱心に算術へ打ち込む渋川春海に課せられた改暦という一大プロジェクトを描いた作品です。

時代設定こそ江戸の世ですが、現代の言葉に近い親しみやすい文体なので歴史物が苦手な人にもおすすめの一冊。

なにより登場人物が全員一生懸命で魅力的なのがポイントです。
さながら江戸時代版・プロジェクトXといったところでしょうか。

題材は改暦事業を軸にした人間模様ですが、その核となるのは人生を賭けて成し遂げたいもの、すなわち"男子、一生の仕事"です。

主な登場人物は全員と言っていいほど、確固たる己の一生の事業をもっています。

特に北極出地を共にした建部と伊藤の、老境に入っても少年の様にキラキラと目を輝かせながら天体観測する描写は「うらやましい」の一言。

後半のキーマンである会津藩藩主・保科正之も徳川の世を盤石にするという壮大な事業に我が身を投じ、最後まで民と徳川のために滅私の心で働いた人物です。

さらに春海が長年算学のライバルとして意識しつづけた天才・関考和、碁の天才でありながら春海の碁の資質に憧れて勝負を欲しつづける道悦など、己の道をこれと決めて突き詰めるキャラクターが数多くでてきます。

春海自身も周りの登場人物からの評価を見るに人のうらやむような才能をもっているのですが、本人は自分の生きる道が定まらず悩み続けます。

そもそも"春海"という名前は勝手に本人が名乗りはじめた名前で、伊勢物語にでてくる短歌からとったと言われています。

雁鳴きて 菊の花咲く 秋はあれど
春の海辺に すみよしの浜

この短歌だけ読むと
「確かに綺麗で素敵な歌だけど、なんでわざわざこの歌から名前をとったんだろう…?」
と感じてしまいますが、実はこの「天地明察」という作品の核になる意味が込められているのです。

以下は作中より引用した短歌の説明です。

雁が鳴き、菊の花が咲き誇る優雅な秋はあれども、自分だけの春の海辺に"住み吉"たる浜が欲しい。
それは単に居場所というだけではない。
己にしか成せない行いがあって初めて成り立つ、人生の浜辺である

"秋"という季節には実りのイメージがあると思います。

春海は偉大なる父から「安井算哲」という名前を継承し、頼れる義兄に支えられてきたことで、自分ではなく他人が耕した実りを享受する立場でした。

でもそんな与えられるだけの立場には"飽き"てしまう。

与えられた地位や立場は、そこに収まるだけなら自分でなくてもいくらでも替えがきくからです。

それでは自分の人生を生きているとはいえない。

だからこそ自分の手で成し遂げたいもの、己にしか成し遂げられないもの、そんな新しい到来を感じさせる春の海辺が欲しいと願ったのだと思います。

悩むことなく自分の天命を悟ることができるのはほんの一握りの天才だけで、ほとんどの人が春海と同じように道に悩み、迷うもの。

だからこそ読み進めるうちに主人公である春海に思わず感情移入し、応援せずにはいられなくなってしまうのではないでしょうか。

そんな春海が、自分の突き詰めたいことを確信する印象的なシーンがあります。

算術の天才・関の稿本(書籍になる前の下書き、備忘録のようなもの)をはじめて手にした時、春海を襲った猛烈な恐怖と嫉妬。

これまで仕事である碁に対しては飄々として悔しさなど感じたことがなかった春海が、はじめて算術の天才に出会って感情を揺さぶられる場面です。

算術だけだった。これほどの感情をもたらすのはそれしかなかった。"飽きない"ということは、そういうことなのだ。だから怖かった。あるのは歓びや感動だけではない。きっとその反対の感情にも襲われる。悲痛や憤怒さえ抱く。己の足りなさ至らなさを嘆き呪う。達したい境地に届かないことを激しく怨む。名人たちはそうした思いすら乗り越えて勝つ。それが勝利だった。

好きなこと、やりたいことを突き詰めるというと幸せなことだと思いがちですが、同時に強烈な負の感情も生まれるものだと思います。

それでも、すべてを飲み込んで乗り越えて、達したい境地を目指していかねばならない。

この「悔しさを感じるもの」こそがこの世で自分に課せられ、また自分が邁進していくべきものなのかもしれません。

自分がやりたいこと、本当に好きなものがわからなくなってしまったときに思い出したい場面です。

***

人生を賭けてやり遂げたいことがなくたって、幸せな人生はたくさんあります。

むしろ自分のやりたいことが確立されすぎていると、家庭をもつことだったり余暇を楽しむことだったり、世間一般で幸せとされていることからは遠のいてしまいがちです。

でも私はフランソワーズ・サガンのこの考え方が大好きです。

「たとえ悲しくて悔しくて眠れない夜があったとしても、一方で嬉しくて楽しくて眠れない日もある人生を、 私は選びたい。」

私が私として生まれてきたからには、世間で幸せだとされている価値観なんてとっぱらって、私にしか感じられない幸せをめいっぱい感じて一生を終わりたい。

"男子、一生の仕事"に目を輝かせて取り組む男性は素敵だし大好きだけど、それを影で支えるより、私も"己の一生の仕事"に人生を賭けて取り組みたい。

改めてそう思わずにはいられない作品でした。

江戸時代に生まれたかったという憧れと、"己の一生の仕事"に取り組める環境が整っている現代に生まれた感謝とが複雑に入り混じった読後感のある天地明察。
ぜひたくさんの人に読んでいただきたいなと思います。

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