贅沢な悩みと幸福への引け目
"人は傷つく必要なんてない。絶対にない。"
シンプルだけど、強くて重い言葉。思わずかじりかけのパンを皿に戻し、食い入るように画面を見つめた。幸せに生きてきたことへの罪悪感と、傷ついた経験への憧れ。人に吐露することさえ憚られそうな、けれどきっと心の底では誰もが胸を掠めたことがあるであろう「幸せな人ならではの悩み」へのアンサーを、息を潜めながらじっと聞いた。
「おかえりモネ」は、傷と向き合う人たちの姿を描いたドラマだった。
東日本大震災を中心に据えながらも、登場人物ごとに震災で受けた「傷」も違えば、傷との向き合い方もそれぞれだ。たとえ共通の大きな出来事を共有していても、人の数だけ傷がある。被災以外の傷を抱えた登場人物たちの物語からも、「その人の傷はその人だけのもの」というメッセージが伝わってくる。
その中でも印象的だったのが、冒頭のセリフを発した菜津さんのセリフだった。
震災が大きなテーマになっているだけあって、登場人物たちの抱える傷は深く重たい。医療や災害など、命に関わる話も多かった。救えなかった後悔と、次こそは役に立ちたいという必死な気持ち。
誰もが傷を抱え、その傷と向き合い乗り越えるためにもがいている中で異彩を放っていたのが、主人公であるモネの同僚・神野マリアンヌ莉子だった。元気で明るく、向上心もコミュニケーション能力も高い「愛されるお天気お姉さん」。しかし彼女は、たいして傷つくこともなく愛されて生きてきたことをコンプレックスに感じていた。
辛い経験があったからこそ、やりたいことが明確で説得力もあるモネを羨ましく思ってしまう莉子。何の苦労もなくハッピーに生きてきたからダメなんだと落ち込む莉子の姿に共感した人も少なくないのではないだろうか。
特に芸術の分野では、苦労や傷が作品に昇華されるという考え方が根強い。「おかえりモネ」の中でも、音楽の道を諦めたモネの父が「影とか、傷とか、不幸とか、そういうの背負ってねえと本当の色気は出ねえって」と莉子に似たコンプレックスを抱えていたことを吐露する描写があった。
たしかに辛い経験を乗り越えてきた人が作り出すものは、受け手の傷に共鳴してより深く心に響く。傷の種類は違っても、悲しみや苦しみの感覚は共有できる。傷ついたからこそ生み出せるものもある。私自身、そんな傷から生まれた作品たちに何度も救われてきた。
けれど、と私は思うのだ。
傷が結果的に表現活動につながることはあっても、表現のために自分の幸福を後悔する必要はないのではないかと。幸せに歩んできた道は、それ自体が作品たりえるのではないかと。
内側に幸福をぎゅっと詰め込んだような上白石萌音ちゃんの笑顔を今期の朝ドラ「カムカムエヴリバディ」で毎朝見ていると、その思いはより一層強くなる。
上白石萌音ちゃんは、笑顔だけでなく生み出す文章までまぶしい。
悩んだり落ち込んだりした日の描写からは彼女の繊細な感性が垣間見えるが、やはり根底には柔らかく強い自己肯定感があると思った。
小さい頃から愛し愛されて、まっすぐ一生懸命に生きてきた人の文章だ、と。
彼女が莉子のように何の苦労もなくハッピーに生きてきたかどうかはわからない。
「生きてきて何もなかった人なんていないでしょ。何かしらの痛みはあるでしょ。自覚してるかしてないかは別として」
モネの同僚である内田くんのセリフを思い出す。芸能界で活躍している以上、一般人にはわからない悩みや苦労もたくさんあっただろう。でも、その傷さえも優しく包み込んで、まっすぐに生きてきた人なのだと思う。彼女の笑顔は、日向(ひなた)がよく似合う。
私自身は、ひねくれた部分も莉子に似た贅沢な悩みも、どちらも持ち合わせているように思う。人並みに傷ついてきた経験もあるし、そこから生み出したものもある。ひねくれた人や斜に構えた人のことも好きなのは、自分にもそういう部分があるからだと思う。
その一方で、「大した苦労もせずお気楽に生きてきたんだな」と引け目を感じるときもある。私の経験は結局「人並み」でしかないし、深い悲しみは想像することしかできない。悲しみや傷から何かを生み出すのは、私には難しい。
だから、幸福感を発している人に惹かれるのかもしれない。
まっすぐ健やかに生きてきた人の姿そのものが、「人は傷つく必要なんてない。絶対にない」というメッセージを纏っているから。表現者の傷に共鳴するのと同じくらい、私は表現者の幸福感に救われている。
私の大好きな人たちが、どうか今日も幸福でありますようにと祈る。傷つくことなく、笑って過ごせますように、満たされた気持ちで眠りにつけますように、と。
きっと誰もが同じように、誰かから幸せを願われている。だから、私たちは傷つく必要なんてない。幸せに引け目なんて感じることなく、まっすぐに生きていけばいい。
毎朝柔らかく笑う萌音ちゃんの姿を見るたびに、菜津さんの力強い言葉を思い出している。
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