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キミは何故会社を辞めたのか?#2「ITベンチャーB社編」

前回の私のリアルな退職理由は意外にも沢山の方から面白いと言ってもらえたので、その勢いで第二回に突入しちゃいます。

前回は結構固めな文体でしたが、皆さんのコメントで調子がでてくればちょうど読みやすい文体まで砕けていけそうな気がしますので、是非コメントもお願いします!

で、今回はB社のケースで掘り下げていこうと思います。「あれ、何でA社からじゃないの?」と思われたかもしれませんが、もともと時系列順ではないので、ご容赦くださいませ。


スーパーリベラルなB社

当時のB社はベンチャーの自由な空気が充満していて、若者が夢中で働く会社でした。何より良かったのは、なんの政治もなく、誰が言ったかより何を言ったかで議論ができるスーパーリベラルでめっちゃフェアな会社だったことです。
こんな会社で働けることは二度とないだろうと今でも思っています。お世辞ではありません。

入社の面接では
「どんな仕事をしたいですか?」
と聞かれ、ほとんど何の希望もなかったので、
「特に無いです」
という答えが脳裏をよぎったのですが、流石にそれじゃまずいと思い、

「そうですねえ、御社で一番難しい仕事をやらせてください」

と答えました。そう言った方がカッコいいだろうという理由でしたが、、、
そして社長との会食でも意気投合し、「じゃ、やりましょう」と酔った勢いでめでたく内定となりました。オファー面談でサインをする時に「それで何をするんでしたっけ?」と聞くくらい何をするかはどうでもよかったのです。
あと、選考には出てこなかったけどオファー面談に登場した若者の眼光がやけに鋭かったのが、強い印象として残っております。

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初日からクレームの嵐

初日から、自分に与えられた中古パソコンが「ボロい」とか、「コピーどうやってとるの?」とか気を遣わず言ってたら、その翌日には社長のところに「あいつは何様なんだ」というクレームのメールが何通も届いたらしい。

入社早々、社長から呼び出しをくらい、
「何様のつもり?」
と叱責を受けることになります。

思わず
「俺様ですが何か?」
と答えそうになるのをギリギリグッと堪え、
「何のことっすか?」
にとどめた当時の不遜な自分を褒めてあげたいです。
(その答えもあかんヤツだけど)

そして気づいたらあの眼光の鋭い若者が自分の上司ということになっておりました。

入社早々新規事業に取り掛かるのですが、協業先から
「あんなに感じの悪い男は新会社の社長にできない」
という謎の強力な圧力があり、責任者のはずなのに何故か代表取締役ではなく、平の取締役に就任することになります。

感じよくするのって本当に大事だよな、と思いますが、もう第一印象悪いキャラ固定化されていて今更変更するのは生物学的仕様上かなりの手戻りが発生するので厳しいらしいです。(涙)

第六感的プロジェクトマネジメント

当初システム開発をえんえんやることになりますが、ガチ文系商社マンだった自分には完全未体験ゾーンです。それでも優秀なエンジニア達が助っ人で参加してくれたり、NTTデータやIBMから上手いこと言って優秀な若者を引き抜いてきて、プロジェクトはなんとか進行していきます。
要件定義の会議はなぜか20人位いて、
「ワシいらんやろ」
と思いつつも一応参加しておりました。

しかしこれが眠いの何のって。ほぼ90%は目を瞑って下を向いておりました。国会中継でもよく見る絵です。

こいつは寝かしといてあげよう、というコンセンサスがあったかは知りませんが、2時間に1回、ばっと顔を上げて
「それ違うんじゃない?」
と発言すると大体何か問題があり、部下からは
「あいつは寝てても間違いがわかるらしい」
と変な切り口で少しリスペクトされることになったようです。

全国ネットでディスられる

ようやくサービスローンチを迎えました。
すぐに30%の利用率になる想定だったのが数%にしかならず
「これまた地獄ですか?」
という状況でした。

年下の上司には定例で毎週報告していました。とても頭がきれ、数字の記憶、ロジックの展開には一部の隙もありません。
「こいつ天才かいな」
と認めざるをえないんですが、負けを認めるみたいでそういうことは口に出しませんでした。

そして社内サービスの連携で「お願いします」とこちらから頭を下げて協力してもらう、といった社内調整も意地になってしませんでした。
その上司も会社の主力サービスの一部機能を最速で実現するためさっさと外注してしまい、その機能を開発したかったこちらは後で知るという事もありました。
お互い胸襟を開かないというのはまさにあれだったかと思います。

チームは毎日終電まで働き、まぁ赤字なので、褒められもせず、全体的に陰鬱なムードが漂っていた頃、社長のところに半年ほど密着取材陣が張り付いて、うちのチームも何度か撮影されることになりました。
その特集番組のオンエアを
「写っとるかな〜」
とドキドキしながら見ていたのですが、絶好調のB社にも調子の出ない部門があり社長宅で慰労されるというシーンでなんとうちのチームが登場しちゃうんです。
もうね、翌日取引先から
「オタクのサービス大丈夫なの?」
という電話までかかってきて、全国ネットで辱めをうけるとはこのことでした。

またB社は生粋のベンチャーで赤字の苦労を身に染みて知っていたことから、赤字の事業部長はみんな月例報告で謝るという慣例がありました。
うちのチームのサービスは数年赤字継続が前提条件なので、私は意地でも謝らんというスタンスでした。
それは自分のプライドもありましたが、
「チームのみんなを代表して謝ったらみんなに申し訳ない」
と思ったからでもありました。

まぁでも大概頭を下げない悪い癖は現在も継続しています。noteでは謝れます、本当にすいませんです。

0.5秒で辞めます!

まぁ赤字なので自分の給料はともかく、部下の給料もそうそう上がりません。それでも1年半ほど経過して、ローンチしたサービスから徐々に収益が上がるようになり、少しづつ部下の待遇も改善できるようになりました。
苦労はしつつも、2年経つ頃には単月黒字化しました。

部下の中で最後まで上がらなかった、おじさん営業マンの給与も上げて、気がつけば、残すは自分だけになっていました。

元々、B社の給与水準から大きく上回る条件で入社していたので、ここまで2年間一円も上がっておりませんでした。

インフラ系ビジネスは初期投下資本が大きく、なかなか水面に顔出すことはできませんが、一旦黒字化すれば、後は順調に上昇していくのがセオリーですので、「まぁ、よくやった」と思っていたわけです。

そして満を持して半年に一度の年俸交渉の場に臨むのです。

そこで上司からでた提示額は

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「ステイ」
でした。

0.5秒後に
「じゃあ辞めるわ」
と答えました。

そんなに低い水準でもなかったので、お金に困っていた訳でもありません。そこまでお金が欲しかったわけでもありません。

しかしステイというのは、

「君の働きは君の給料に見合わないよ。払いすぎているから感謝してくれてもいいよ。」

と言われているような気がしたのです。
実際には、予算がないとか、他の人はもっと低いのでそっちを調整したいとか、様々な要因があり、そんなひどい評価ではなかったのかもしれません。それでも数年間粉骨砕身でやってきた者には侮辱されたように感じたのです。

そして私の辞職後、その事業は一時数百億円のValuationとなり、最終的に売却されることになります。
それは勝手な自己都合で辞めた自分ではなく、その後事業を大きくしてくれた人たちのお陰です。彼らに感謝しかありません。

どうするべきだったのか?

これが私の退職理由です。

最近までずっと、自分が悪い訳ではないと思っていました。
しかしながら、そもそもその上司ともっと信頼関係が築けていれば、その場で辞めるとは言わなかったと思います。

年下の上司との関係をうまく築けなかった、部下である自分にも過失はあったと思います。

そもそも、仕事に年齢の上下は関係ないのですから、そんなことは気にせず、シンプルにお願いすることはお願いできる関係を築くべきだったんです。
実際に彼の方が何倍も優秀で、素晴らしい実績を出していたのですから、それを素直にその人の前で認めればよかったのです。
部下の方から距離をおいていいことは何もありません。
距離を縮めるのは部下の方からやるべきなのです。


次回、外資企業M&Aの修羅場となるキミは何故会社を辞めたのか?#3「ウルトラクイズ的D社編」こちらから


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