自分史①出生から幼稚園時代
1971年(昭和46年)2月26日午前2時くらいに鹿児島県国分市(現霧島市)で生まれる。
母親が出産のために帰省して私を産んだ。
その頃は、父親が滋賀県草津市の工場で働いていて、本籍はもともと草津市であった。(今の本籍は現住所の霧島市)
その頃覚えているのは、工場隣接の社宅で近くで遊んでいた私は、
高さ3メールくらいから小さい川に落ちて、工場のお兄さんに助けられたそうです。土もあり水位もほとんどないところなで大事に至らなかった笑
幼稚園に上がると同時に、親父の転勤で島根県益田市に移住。
入るところがなくて、天使幼稚園というカトリック系でした。
小さな教会でお祈りがあり、「素直で良い子になりますように」の
言葉を覚えている。
そのお祈りの原点が今の私の「素直さ」である笑
後、エピソードは、夏休みにお泊りがあり、スイカを食べさせてもらったが、「まずい」という印象を覚えている。その頃からスイカ系青くささは苦手である笑
参観日に折り紙の授業で、くじらを折るとき、ついていけなくて泣いたのを覚えている。私は昔から指が固く不器用な人でした。
(現在は指のストレッチを続けてかなり柔らかくなている。原始人は手を使って道具を使いこなせるようになって頭が発達した説。トラウマだった人前で話せない私が、現在は流暢に話せるようになったのは指を柔らかくしたからかも笑)
イベントで尻相撲大会があり、優勝、そのあと外国人男性の園長先生か教頭先生?と勝負し、わざと勝たせてもらった。
運動会で棒を使った演技で、みんなの代表で台の上でリーダーで演技
来賓の方に「なぜ、あの子(津曲)はみんなと反対の動作なんだ?」
が空耳に聞こえて来たのを覚えている(対面だから動作が反対になるのは当たりだ笑)HSP気質はその頃からあったようだ。
クリスマスイベントの劇ので主役に抜擢されたが、練習のとき、先生がみんなを集めて説教、私個人に怒っていたわけではなかったが、
ションベンが我慢できなくて、勇気のない私は「トイレに行きたい」と言えず
その場でおもらし笑
劇発表当日、隣のクラスの主役が風邪かなんかで休み。
急きょ、私が隣のクラスの主役も代役。もちろん先生が台本をみて私に教えながらクラス2分の主役を無事にやった。スーパー幼稚園児であった?
とはいえ、気がちっちゃくて繊細、おふくろが迎えにくるを勘違して、送迎バスにのらず、母親が迎えに来ないので、一人で家まで帰ろうとして、犬のおまわりさんを歌って歩いていたら、そのまま交番に保護された事件笑
勇気があるのか気がちっさいのかよくわからん幼稚園児でした。
ただし、この頃から孤立感を感じて、仲のよかった友達はなぜか覚えていません。友達はこの頃からいなかったのかもしれません。
幼少からつい最近まで本当の友達、親友を呼べる人はいたのかな?
つまり、私はずっと孤立感を感じながら子ども時代を生きてきた人物です。