見出し画像

過去を書き換えて、母のご機嫌伺いはもう卒業

最近、また病み始めた。
「自分は嫌われているんじゃないか」とか、「自分って内面も外見もかわいくないな」とか、ぐるぐる後ろ向きなことばかり考えていた。

このままでは良いことが何も無いので、一旦、嫌な過去を書き出して解釈を変えてみようと思う。

過去の書き換えは、私の愛読書である「あなたの夢を叶えもん」という本で知った。
過去のトラウマは解釈を変えて消化しよう!みたいな。

それでは、さっそく過去を書き換えていく。


1.幼稚園の外遊びで仲間外れにされた

人生初の仲間外れ体験。 

遊具でごっこ遊びをしていた子達に混ざろうとしたら、「3人までだから来ないで」と言われた。
先着3名なんて聞いてないぞ。

結局、同じ社宅に住んでいた歳下の子達と遊んだ。

【書き換え】人脈の広さと思考回路が天才

この歳で学年を超えた人間関係持ってるの強すぎん?

しかも、「いじめられても学校だけが世界の全てじゃないから大丈夫」を誰にも教えられてないのに、自力で心得てた!

思い返してみると、この後の小学校や中学校でも外される度に他のツテを頼って何とかやり過ごしてきた。
完全ぼっちになったり、不登校になったりしたことはない。

私は人間関係の構築が意外と上手いのかも?
いや、きっと上手いのだ!


2.修学旅行の部屋長を押し付けられた

小学生の頃、突然、修学旅行の部屋の部屋長を指差しで決めることになった。
そして、部屋のみんなにハメられて私は部屋長にされた。
私以外のみんなが、私に変に少し笑いながら指を指してきたのだ。

部屋長が嫌だったというより、ハメられたことがみじめで嫌だった。

【書き換え】好かれていた故に

まず、本当にハメられたかどうかは分からない。
ハメられたとしても、
「私達の脳みそスッカスカだから、人の話の伝達とかマジ無理なんよー。だからここはしっかりした人をね!」という信頼を込めた意味だったのかもしれない。

それから、その中には、私と元々仲が良かったが、私が母の機嫌を伺って縁を切ってしまった子がいた。
だから、その子は「裏切られた」と感じて私のことをハメたかったのかもしれない。

それなら、私はその子から友達として好かれていたということだし、母のご機嫌伺いをする必要は無いと信じて良いのだ。


3.3人グループの2:1でいつも1側

いつも、私以外の2人の方が学校外での繋がりがあったり、並んで歩くときに私は真ん中になれなかったりした。
3人でいるときは、完全に追い出されることがないようにポジションの把握や行動の読みに気を取られていた。

この過程で「私は誰の1番や特別にもなれない」という感覚が育っていって、今の「恋愛=どうせ実らない」になっているのかもしれない。

【書き換え】2:1ではなく1.5:1.5

そもそも、グループの中には一応いることができた。
もし本当に嫌われていたら、グループの中に居続けることすら難しかっただろう。

だから、2:1ではなく1.5:1.5だったのかもしれない。
どちらとも深い関係になることはなく、かすかに0.5ずつだけ存在していたような。

やはり、学校だけの関係では0.5が限界だっと思う。

私はスマホを高校生になるまで買ってもらえず(LINEは母のアカウント)、遊びに行くときは母の機嫌を伺っていた。
母が常に家に居た(今も)し、母は頻繁に遊びに誘ってくる友達のことを「勉強計画を邪魔する悪友」と見なしていた。

それなら仕方ないじゃないか。

誰が友達の母親のアカウント宛てに恋バナを送る?
誰が遊びに誘っても乗ってくれない子を遊びに誘い続ける?

私が母の機嫌を伺うことをやめて、自分の物差しで行動すれば改善できそうだ。
今後の良い目標ができて良かった。

それから、ポジション取りに必死になって、人と向き合うことが疎かになっていたのかもしれない。
これも改善の余地があるところだ。


おしまい

これくらいで一旦終わりにする。

文章を作りながら、母のご機嫌伺いをやめるという前向きな目標が見えてきたから。

それから、私は意外と良いところがあると感じることができたから。

ただの反抗期の小娘の戯言に見えるかもしれない。
実際に、結局その程度のことかもしれない。
しかし、その程度のことだとしても大事なことだと今は思う。

反抗?といっても「うっせーなこの妖怪束縛BBA!」とか言うつもりは無いし。
言ったところで、こうしてnoteを書く時間がお説教で潰されるだけだし。

自我は芽生えるべき時期にしっかり芽生えさせたいものではないか!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?