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最近の

COVID-19のしょぼ降るせいで、当面の発注撮影は無し、ちょいと撮影の話はあるものの、それがいつ撮影できるか分からない。仕事がなければ必然、家の中に目が向く、今まで家のことを任せっきりにしてきたこともあって(悔恨)、この際しっかりやろうと思う。子育て、家事。日中はずっと家族と一緒、たまに雑務、19時に晩ご飯を食べて、20時にはお風呂に入り、21時には子供を寝かしつける、そして8時に起床、リピート。労働はないものの、こういうのが人の本来の姿だったのではないだろうか?と、感染と先行きの不安に怯えながら、ずんやり考えています。あの自由な(だったような)日々は何処へ。1ヶ月前が、もう、パラレルワールドの様相。

失った夢だけが 美しく見えるのは何故かしら

過ぎ去った優しさも今は 甘い記憶

NOT WONKの加藤くんがtwitterで歌っていた聖子ちゃんの歌の歌詞が、やけにしみる。

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以前と変わらず、毎日、妻や自分の身の回りを撮っている。最近はフィルムだけではなく、デジカメでも撮り始めた。

現像所で久しぶりに写真家のKさんに会った。フィルムで撮影した作品の印象が強いKさんは、最近よく使っていると(僕が勝手に)思っていたcanonのデジカメではなく、nikonのデジカメ(らしきカメラ)を持っていた。

「ははぁん、最近はフィルムで作品は撮っていないんだな、デジタルでしかもnikonのデジカメなんだな、ここはひとつ、自分もそろそろフィルムではなく、デジカメで日々の写真を撮ってみるか。」

人に非常に影響されやすい僕は、次の日手持ちのカメラ何点かを売って、nikonのデジカメを購入、その次の日から、日々の写真をデジカメでも撮り始めた。仕事で使っているcanonのデジカメよりもトーンが落ち着いていて、日々の風景や静物を撮るには良いと思う。でもまだ、デジカメはどうも信用できないところがあるので、同じイメージをカラーフィルムでも撮影している。

日々の作品をデジカメで、というのは、Kさんからの影響だけではなく、つい最近、大好きなティルマンスの新しい写真集を購入して、ティルマンス熱が再燃したからでもある。

ティルマンスも写真集「Neue Welt」からデジタルに移行していて、その写真は少しグレイッシュで、トーンに感情がなく、クールで美しい。{WOLFGANG TILLMANS 使用カメラ デジカメ なに使ってる?}などの検索や緻密で雑な画像解析などを駆使して、ようやく英語のサイトでそれらしき情報を得た。どうやらcanonのデジカメを使っているらしい。レンズはきっと50mm。僕もティルマンスと同じcanonのデジカメを持っているけど、そもそものトーンが違う。これはどうしたものか、ひょっとしてピクチャースタイルの違いか?自分はいつもピクチャースタイルをスタンダードで撮影しているけど、ひょっとしたらティルマンスはニュートラルで撮ってたりするのかしらん、たぶん、、きっと、そうだ。という、脳内会議の自論結論に至りました。でも結局、Kさんとの出会い頭に負けてnikonの新しいデジカメを購入。それを毎日使っているわけです。

ティルマンスの写真が好きで、特にデジカメに移行したあたりから、より好きになった。デジカメになって写真がより自由になった気がする。ティルマンスの作品はプライベートなモチーフが多い。自分の半径5メートルあたりを撮り続けている印象、その中に政治的なモチーフも入ってくる、私と社会。私はコミニティーの中に、国の中に生きている、その中で自由に生き、時に抵抗する。

ティルマンス作品で僕が一番印象深いモチーフは、静物だ。一見すると醜くかったり、その辺によくある物、それらを瑞々しく写す、それは美しい。

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ずっと家にいると、静物の写真も多くなってくる。静物はいい。撮るそこに感情はなく、撮っている時間に静謐が流れる。最近、静物写真を意識するようになったのは、TOMOさんのyoutubeをみてからだ。

https://www.youtube.com/watch?v=K_HltY35QW8&t=17s

この動画に感動し、TOMOさんに教えてもらってVICEのスティルライフ号をe-bayで購入。荒木経惟、Tim Barber、Richard Kern、David Lynch、Robert Mapplethorpe、 Ryan McGinley、Martin Parr、Jack Pierson、Terry Richardson、篠山紀信、Stephen Shore、Juergen Teller、Wolfgang Tillmans、などなど。名前を聞くだけでも興奮のラインナップ。生活の中で写真家の眼前に現れた、「物」達の写真、ユーモラスな作品が多い。ページを繰る毎に楽しくなる。今までも生活の中で「物」を撮っていたけれど、前より一層『「物」だ』、と意識しながら撮っている。

後になってみないと、その時撮った写真が何だったかは分からない。日々の写真は未来に向かって撮っている。

Kさんと現像所で会った時に持っていたカメラが、フィルムカメラだったと後日知ってびっくりしました、ぎゃふん。

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