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あおぞら



その日の朝はゴールデンレトリバーの夢を見た。


清々しいくらいの草原を走り回るゴールデンレトリバー
私は深く息を吸って、吐いた。
気持ち良い以外の言葉が見つからないくらい
澄んだ空気で鮮やかな青空でまさに快晴の日だった。


そこで、誰かが何かを言った。ような気がする。
それが、今の私の胸に非常に核心をついた
しかしそれは嫌な気持ちもなく、しっくりくる言葉。



目が覚めたら、涙が溢れていた。
と、同時に気付く。


ああ、ばあちゃんが亡くなったんだ。



驚くほどの感覚を覚えた朝だった。
ばあちゃんが亡くなったのだ。
と、夢から目覚めた私ははっきりと感じた。





お花屋さんをしていたばあちゃん
じいちゃんがこっそりお酒を飲んでいるのを
すぐ気付いては叱っていたばあちゃん
家に行くとたくさんのご飯を用意してくれてたばあちゃん
具だくさんのお雑煮、豚味噌などどのご飯も豪快で美味しかったばあちゃん
いっぱい食べて大きくなりいよ、と言われてたけど何ヶ月前の賞味期限切れも多かったばあちゃん
裕福ではないけれど、人の温かさを教えてくれたばあちゃん
仕事の大変さと楽しさを背中で教えてくれたばあちゃん


じいちゃんがいなくなり、少し寂しそうだったばあちゃん
お花屋さんをたたみ、いっぱい働いた分たくさん休んだばあちゃん
千鳥饅頭が大好きだったばあちゃん
お家で会うと、ずっと手を離さなかったばあちゃん
最後に会ったとき、認知が進んでてすっかり私の顔を忘れてしまってたばあちゃん
でも、私の名前を伝えるとすぐ思い出して
綺麗になったねえと手を離さなかったばあちゃん
そして最後の帰り際、私もそろそろ子ども出来るわあとなんだかやる気満々だったいつかの時代のばあちゃん






ふと、ばあちゃんが亡くなったとき
私はばあちゃんとの想い出あんまりないなあと思っていたけど
振り返ってみるとたくさんあったのでびびってる。



父が亡くなったとき、じいちゃんが亡くなったとき
そしてばあちゃんが亡くなったとき
私は一切泣けなかった。
(泣けないからといって悲しんでいないと思わないでほしい。)
(めちゃくちゃ悲しいでな。)



でも悲しいだけではない気持ちが溢れる。
最近ふと考えていたのだが、



不謹慎かもだが悲しい気持ちだけでなく「死んでたまるか」と小さい頃から思っていて。

それはきっと、亡くなった人をみてというか
その人と過ごした日々
その人から得た知識
その人と育んだ自分をここで終わらせてたまるか
という気持ちが強くなるんだろうなあと。


そこで、泣いてるだけではないこみ上げるものを
いつも自分の心の中にしまうので精一杯で
私は昔からすごく不器用なこともあり
泣くということは二の次にしているのだなあと
最近それがふと腑に落ちた感じですます。





タイトルは
夢でみた青空がとっても印象的だったのと
お葬式の日の行きの電車でブルーハーツの青空を聴いていたもんで。
(突然めちゃくちゃ聴きたくなった)
画像もたくさん空の写真をはりつけた。
(見出し写真曇り空やんというツッコミ受け付けてます)



ばあちゃん、今まで本当にありがとうね。
これからもどこかで見守っててね。
最後に話したいつの時代かわからんばあちゃんの子ども話も
これから気が向いたらまたどこかで話そうね~。
たくさん、苦しかっただろうし
たくさん、楽しかっただろうし
その分これからもどこかで思い思いに過ごしててね!
ゆっくり休んで下さい。



久しぶりにnote書いたなー。
あくまでも私の感じたことなので、何も批判しないでね。これが完璧の文章でもないので。
私の気持ちを忘れないためにも綴ってみました。



また今度、新年度の記事をあげますん。
(ほんまかよ)



ばあちゃんの故郷、奄美大島の海を添えて



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