澄み切った色のその先に散る

お笑いがとても好きだ。
落語、漫才、コントなどの板の上の芸から、バラエティ番組も好きだし、すべらない話やIPPONグランプリも好きだ。

毎年年末にテレ朝でM-1グランプリを放送していて、未だ見逃した事がない。毎年12月になると放送日を調べ、予定を入れないようにしている。

数年前、優勝候補としてM-1に出場していたが、ついに優勝できず出場資格の結成15年を超えてしまった和牛というコンビも好きだった。漫才コント形式で、M-1の制限時間4分の中に伏線を散りばめ、笑いと同時にカタルシスを感じる漫才だった。

彼らが来年3月末で解散するという、非常にショックな発表があった。

発表された解散理由はざっくり言えば、モチベーション、方向性の違いだろう。
片方の数度の遅刻を発端として、モチベーションの差が浮き彫りになってしまった。
それを埋めようとした叱咤激励が逆効果になり、漫才のクオリティにまで影響し、楽しかった漫才が苦しくなってしまった。というものだった。

片や舞台上での芸事を突き詰めたいという想いがあり、片や漫才以外の仕事も幅広くやりたいという想いがある。
M-1が終わってからの彼らを観る機会はそこまで多くなかったが、なんとなく理解できてしまう、それくらい彼らのベクトルは違っていたように感じる。

視聴者の自分にとっては、あの完成度の高い漫才が観れなくなる事は非常に残念だし、バラエティに出た時の2人も面白く視聴していたので、おそらく一緒に出る事はないんだろうという寂しさはある。

俳優も、ミュージシャンも芸人も作家も、他の人よりリスペクトしていると自負しているが、エンタメは娯楽だ。無くなってもいいものだ。だからこそ、究極を言えば無価値なものを誰かにとってお金に代え難い価値にできる事が素晴らしいと思う。
そしてそれは演者も同じだと思う。楽しくなければ、きっと続けられないんだろう。
M-1という目標で方向性の違いやアラが目立たなかっただけかもしれないし、1人でやれると自信がついた故の、方向性の主張かもしれない。
分からないし、分かりたいとも思わない。
視聴者にその権利はない。

バンドと同じで、亡くなっても漫才は残る。
きっと今後も彼らのネタを観て笑う事があるだろうし、1人で出ているテレビを観て、楽しむ事もある。
解散は残念だが、また笑わせてほしい。
それをいつまでも楽しみに待っている。

「遅刻は良くない」「コンビ間でパワハラとかないわ」など、ネットではどちらが悪いか決めたい人もいるようだが、コンビ間の事に首突っ込むバカは多分お笑い好きじゃない人だから無視すりゃいいんだがムカつく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?