2022/09/02
BGM: Eric Clapton "Tears in Heaven"
今日は遅番だった。図書館に行き、アーネスト・ヘミングウェイの短編集『何を見ても何かを思い出す』を借りる。実を言うと私はヘミングウェイの短編の魅力が若い頃はよくわかっていなかった。ありがちな話だが、彼の短編を読んで「これなら自分にも書ける」と思ってしまったのだった。文学のことも、人生を生きるということもまったくわかっていなかった頃の恥ずかしい話だ。今になって高見浩の洒脱な訳で読むヘミングウェイは実に沁みる。彼の短編を本格的に楽しめるということは、それだけ私が大人になったということかなと思った。エリック・クラプトンのアンプラグド盤を聞きながら読んだ。
『何を見ても何かを思い出す』を読み、ヘミングウェイは実に優れた「観察者」だと思った。ヘミングウェイに関しては、ご多分に漏れず私も誤解していて「マッチョなヒーロー」というイメージが頭にあったのだけど、ここで見られるヘミングウェイはむしろ実に繊細な感受性を備えた、鋭い目を持った人間として立ち現れる。ヘミングウェイ自身が全身で捉えた外部の光景が絞り込まれた言葉で記述されており、それらは読むだけで生々しくこちらに事態を伝えてくる。マッチョだなんてとんでもない。そんな粗暴さはどこにもないと思った。
自分自身の心の中で動く感情に対して自覚的であること、そしてその動きをつぶさに書き留めること。ヘミングウェイが試みているのはそうしたことではないかと思う。ならば(いやもちろん、おこがましいのだが)私もそうして自分の中で動く感情を捉えて書き留める試みをやってみたいとも思った。繊細さ、そしてそれがもたらすある種の弱さについて、私は昔ずっと恥ずかしいと思っていたのだけれど、それでもここまで冷徹に自分の感情の動きを書き留めると、それはひとつの力となって読者を動かしうるものなのかもしれない、とも思うのだった。ヘミングウェイの作品をもっとじっくり読み込むことが必要みたいだ。
夜、休憩時間に考えた。自分の人生のゴールはどこだろう? 自分は何をしたいと思っているのだろう? 目的はどこなのか……私はただ、毎日仕事をして本を読んで、英語でこうした文章を書いていてそれが楽しいと思っているから続けているのだが、ならそれがすでに答えなのだろうか……そう考え込んでいくと苦しくなった。しかし仕事に戻って、エリック・クラプトン「ティアーズ・イン・ヘヴン」を口ずさみながら身体を動かしているとそんな苦しみも忘れて楽しむことができた。身体を動かすことはそんな風にして、考えすぎる私を思考の深淵からこちらに連れ戻してくれる。それが仕事の醍醐味なのかもしれないな、と思った。
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