2024/02/10 BGM: Boards Of Canada - Happy Cycling
インドネシアの知人の訃報から2日が経った。だけどぼくにはまだ、自分の心持ちが陰鬱な状態から着実に回復できているのかわからないままでいる。まだ本を楽しみとして読めるような状態ではないのは確かで、だから鎮魂歌とともにこの沈んだ心持ちとじっくり向き合う必要を感じる。これについて急ぐ必要はないようだ。少しずつ、堅実に歩み続ける必要がある。
鎮魂歌。たしかに、いきなり避けようもなく訪れる別れはつらいものだ。そしてそんな別れは、否応なしにぼくの無力さを思い知らされる。村上春樹を引用するまでもなく、死の前にぼくは無力だ。でも、まだぼくは井伏鱒二に倣った「さよならだけが人生だ」と悟ることはできない。それがすべてだ。ああ、こんな物言いが不遜に過ぎるなら恥ずかしいし堪忍してほしいとも思うが……でもぼくはこんな感じで訪れたさまざまな致命的な「永訣」から生まれた芸術を想起する。これまでの人生においてぼくが楽しんできたものだ。そしてぼく自身が「ぼくの鎮魂歌・レクイエム」をその知人、あるいは他の友だちに捧げられないものかなとも思った。さまざまな宝物を授けてくれた友だちに対して、いわば返礼として。
さまざまな仕事・作品を思い出す。いろんな著者・アーティストが精魂込めて作り上げた彼らの魂の鎮魂歌……その1つとして、ぼくはひょんなことから堀江敏幸のエッセイを通して出会ったフィリップ・フォレスト『さりながら』という本を思い出す。ぼくらの人生はまあ、ありていに言えば短いものだ。でも、この本は同じく語る。人生は豊かな、深い味わいを持ちえたものであると(この本はベストセラーというわけではないようだが、もし興味があり容易に読めるようなら読まれることをオススメしたい)。フィリップ・フォレストはフランスの日本文学の研究者で、彼の本はぼくに夏目漱石や小林一茶、大江健三郎といった人たちの素晴らしさを教えてくれてきた。実に面白い人物だ。
今日は早番だった。仕事が終わったあと、グループホームに戻り夕食を取る。ロシアの友だちのビクトリアさんの誘いに乗っからせてもらい、オンラインミーティングで映画を観た。いろんなアイデアが思い浮かぶ。実を言うと、いまに至るもぼくはトルストイをまったく読んだことがないのだったーー理由は言えないが、まあ「老後」読めたらいいかなと思っていたとは言える。でも、映画はロシアという国(もちろんトルストイと、あとはドストエフスキーの国でもある)が豊かな文化の源を持つ国であることを教えている。まずトルストイの傑作『アンナ・カレーニナ』を読まないといけないみたいだ(が、完読するとはさすがに確約できない)。
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