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お金持ちになる人、ならない人の違い

プロ野球引退後、コンサルタントとして様々な企業の経営に関わり、多くの人をコーチングしてきた著者が、「超富裕層」の方々にもたくさん会ってきた体験からわかった、「お金持ちになる人、ならない人」の違いを、『降伏論 「できない自分」を受け入れる』高森勇旗 著、日経BP 2023年から紹介します。
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野村総合研究所の調査では、純金融資産保有額が1億円以上5億円未満の世帯を富裕層としているそうだ。ちなみに、これが5億円以上になると、「超富裕層」という呼び名に変わる。
彼らは一見すると、“いわゆるお金持ち”には全く見えない。上品で派手ではないものを好み、無駄遣いをせず、何かをひけらかすことはまずない。
代わりに、時間を大切にし、約束を守り、ボランティア活動に興味を持つ。
 
私は、「お金持ちになりたいです!」という人とかなりたくさんお会いしてきた。そして、重要な質問「稼いだお金を、何に使いたいんですか?」をした。
この答えこそ、その人の持つ“お金持ち”のイメージを現していて、回答はいくつかに分類される。
①    「ただ稼ぎたいのであって、何に使いたいかは特に決めていない」(何も決めてないがとにかくお金持ちになりたい人)
②    「いいところに住んで、良い車に乗って、美味しいものを食べたい」(漠然と生活の質を上げようとしている人)
③    「1億円の家に住んで、ベンツに乗りたい」(具体的に生活の質を上げようとしている人)
④    「旅行に行ったり、欲しかった高級時計を買いたい」(娯楽や、物欲を満たそうとしている人)
①    ~④の回答をする人の多くは、“お金持ち”になりたいのではなく、お金を“使いたい”のだ。
 
お金持ちになりたいのではなく、お金を“使いたい”人の多くは、お金を使うことで“優越感”を得ている。これは非常に強い快楽を伴い、一時的に強烈な満足感を得ることができる。ただ、この快楽はすぐにもとに戻り、“より強い”快楽を求めて、更に多くのお金を使うことを求める。
彼らはお金持ちになりたいのではなく、お金持ちと“思われたい”のだ。
私は、このグループに属する人たちを、資本主義と承認欲求の罠にかかった“大量消費者”と呼ぶようにしている。
 
一方、真の意味で“お金持ち”になるグループの回答は、上記とは回答が異なる。このグループの回答は、「投資の資金の元手にしたい」といった、いわゆる“レバレッジ”をかける方に意識が向いている。
彼らの多くは、お金が“増える”ことよりも、“減る”ことを極端に嫌がる。だからこそ、何も生み出さない消費(たとえばブランド物のアクセサリー)にはほとんど目もくれないかわりに、長期的に利益を生み出すものには惜しみなく資金を投入する。
そんな彼らに、「何のためにお金を増やすのか?」と問いかけてみると、驚くべきことに、ほとんどが同じような回答をする。
「“お金”から自由になるために」
「“お金”によって阻まれる人生から開放されるため」
「選択肢を多く持てるようにしておくため」
といったものだ。彼らは、何かの物を手に入れるためではなく、自分の状態のためにお金を増やす。
 
・お金持ちは、「体験」に惜しみなくお金を使う 
お金持ちになる多くの人は、刺激的な体験、面白い人との出会い、新しい考え方を得るためなら、お金を惜しまない。
彼らは、それらの体験によって自らの視野が広がり、それが自らをより働かせることを知っている。“自分に投資する”ことが、最も利回りが良いことを知っているのだ。
 
ある日、超富裕層の方と一緒に銀座の高級クラブに飲みに行った。このとき一緒にいたもう一人の方が、高級なシャンパンを飲もうと提案をした。その時、すかさず超富裕層の彼は言った。
「この飲み代は皆で割り勘だけど、そのシャンパン、お前の奢りなら飲んでもいいぞ。お前の見栄は、お前だけで張ってくれ」一点のウソもない、紛れもない正論である。彼にとって、高級シャンパンが一本空いたところで痛くも痒くもない料金だ。
しかし、彼には明確なルールがある。ただ、銀座の高級クラブで堂々と切り出すことはかなり難しい。豪快に笑いながら、何の躊躇もなく言ってのける彼の凄さを目の当たりにし、私は超富裕層がいかにして成り上がるかの一端を見た気がした。
真のお金持ちは、一時的に自分の欲求を満たす消費や、見えや優越感のためのお金は使わない。
 
・富裕層 VS. 豊かさ
ここまで述べてきた“富裕層”が、本当の意味での豊かさを兼ね備えているかはまた別の話である。
心の豊かさは、銀行口座の残高で決まる訳ではない。
確かに、お金によって解決する問題は多い。しかし同時に、お金によって生じる問題も数多くある。
銀行講座の残高が多いときは人におおらかに接することができ、少なくなるとそうでなくなる人は、残高に左右された人生といえる。それは、あなた自身の人生でも、あなた自身の性格でもなく、ただただ口座の残高に振り回されている人生と言えるだろう。
結果は、ただの結果である。それは、あなた自身ではない。
結果とは正面から向き合うが、その結果に左右されて、自分の在り方がグラグラ動いていてはいけない。
口座の残高が少なかろうと多かろうと、どのような態度で生きるかは、あなた自身に決定権がある。
あなたが、豊か(being rich)に生きると決めてしまえば、あなたから出てくる行動(doing)は、すべて豊か(rich)な行動になる。それは結果として豊か(rich)な結果を引き寄せる。
 
どのように生きるかは、状況がそれを決定するのではなく、いつもあなた自身が決定するのだ。
 
・どのように生きるかを宣言する
“愛する”という言葉がある。“愛する”というのは、どういう行為のことを指すのだろうか。何かプレゼントを買ってあげること。料理を作ってあげること。近くにいて寄り添ってあげること。それらの行為は、愛といえば愛かもしれないが、それがすべてではない。愛は、ある特定の行為ではない。
愛は宣言であり、その姿勢のことを指している。愛には、条件を必要としない。 
「君は若くてスタイルが良い。学歴も申し分ないし、両親の経済状況も悪くない。だから、愛しています」などと言われた途端に百年の恋も覚めるだろう。条件付きの愛は、条件に対する評価であり、愛ではない。
「~が、~であれば、~である」という、条件や状況に自分の人生の舵を握らせてはいけない。
たとえどのような条件、状況であろうとも、自分がどのように生きるかは、自分が決める。
あなたの銀行口座の残高がいくらなのかは、ただの条件であり、状況である。
たとえ残高が1000円だとしても、残高が1000円なだけで、そこに“貧乏”という世界観をくっつける必要はない。胸を張って、堂々と豊かな態度を選択し、人生を生きれば良い。
 
状況は、あなたの生き方に何の影響も与えない。状況によって影響を受けるのは、いつもあなた自身である。正確に言うと、「状況から影響を受ける」と決めたのは、あなただ。残高が1000円であるという状況から、「貧乏である」という世界観を作り出し、「貧乏なように生きる」選択をしたのは、紛れもなく自分自身だ。
状況は、ただの状況であってあなた自身ではない。
 
あなたがどのように生きるか、誰として生きるかは、常にあなた自身が決めることができる。


 


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