ドラマ感想 - 泥濘の食卓

きょんこ(齊藤京子)となのかちゃん(原菜乃華)が出てるだとお!?だったら観るしかないじゃないか!

そんな些細なきっかけだったが、なかなかの傑作だった。20 代そこそこの女の子が、妻子持ちの初老オッサンに恋して不倫に浸かるという、ドラマではよくある内容。しかし、物語はむしろ斬新で、ありがちな展開を予想させながら裏切るという、実にニヤリとさせる構成で、その速度は二次関数的に跳ね上がり、一気に最終回まで駆け抜けた。

きょんこの演技力は、これまでのドラマで理解していたつもりだったが、ここへ来てまた一段階か二段階は向上した。驚くべきは、なのかちゃんの役どころとその演技。

嫉妬に狂いストーキングや直接攻撃、さらには自傷行為までに及ぶ忙しさだったが、こっちが引くぐらいの驚異的な表現力。

デビュー直後に主役を立て続けに任されると、こういう役は事務所も本人も敬遠したくなると思うのだが、そういった躊躇をまったく感じさせない、俳優としての本気が見えた。

そして、これまでの「不倫もの」はもちろん、恋愛ドラマ全般まで比較対象を広げてもおよそ見当たらない、きょんこ演じる主人公の純粋で献身的な行動には驚かされた。

それは不倫相手の男に留まらず、精神的に追い詰められ日々の生活すらままならなかったその妻にまで及び、あろうことか支援団体を装い、家事を手伝い食卓を囲むまでに至る。

いわゆる豪華なドラマではないが、物語の展開の斬新さを、主人公の稀有な性格や特質が支えており、数年後に見直したくなるほど印象的な作品に仕上がっていた。

[土曜ナイトドラマ『泥濘の食卓』|テレビ朝日]
https://www.tv-asahi.co.jp/nukarumi/?fbclid=IwAR0R0LJY0Q30ZUGXWqWEK1-itmdbw0yAWoA67sjHZo23473qmrkcVLji-ro

惜しむらくは、登場人物の心情のほぼ全てが台詞あるいはナレーションで表現され、あまり考えなくとも筋が分かる、昨今すっかり定石となってしまった、分かりやす「すぎる」作りになっていたこと。

先の展開は読めないように構成が工夫されていたが、こういう作りでは登場人物の性格・性質・人となりは視聴者によって解釈が分かれるはことはなく、ほぼ一つに収斂してしまう。さらに、集中力を働かせて観るという、ドラマの楽しみの何割かは確実に奪われている。地上波の、30 分の深夜ドラマなので致し方ないのかもしれないが、実に残念だ。

物語性など皆無で、頭からっぽで楽しめる、ただ分かりやすい刺激だけで構成された作品ばかりが跋扈する昨今。制作者から、「もはやドラマは、"物語" を楽しむためのコンテンツではない」と突き付けられているようだ。

それはこの国の制作者や配給者が、顧客たる視聴者を育ててこなかったせいではないだろうか。もう、多くの視聴者は作品を観ても何も考えず、その世界に没入することもなく、観た後に反芻することもない。そんな機能など、最初から持ち合わせていないのではないか、と思えてならない。

この国のエンタテインメントは、さらに軽く薄く淡くペラく浅い、ただ分かりやすい刺激だけのものに加速する。

「めんどくさい」
「タイパ最優先」
「予め、面白いと分かっているものしか観ない」
そういった、作品を楽しむ意志も能力も資格もない視聴者だらけの社会。

ほかの誰でもない、この国の多数がそう望んだことなのだ。

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