ドラマ感想 - さよならマエストロ 〜父と私のアパッシオナート〜

久しぶりに芦田愛菜が演技し、主題がクラシックだからというだけで観はじめたドラマ、「さよならマエストロ 〜父と私のアパッシオナート〜」。

正直な感想から言うと、凄まじく酷いドラマだった。

日曜劇場だから、ドラマとしての完成度は高い。主演の西島秀俊を筆頭に宮沢氷魚や新木優子などの人気俳優が脇を固め、石田ゆり子や玉山鉄二、西田敏行といった大物が集い、りんくまちゃん (久間田琳加) や當真あみといった話題性にも事欠かない。

海外帰りの指揮者が解散寸前の地元オーケストラを救うという設定は、2023 年のドラマ「リバーサルオーオケストラ」とそっくりだが、静岡県での長期ロケを活かした画作りや世界観の構築などは、さすがの日曜劇場、それを忘れさせるほどに完成度が高い。

5 年ぶりに日本に帰ってきた主人公 (西島秀俊) と娘 (芦田愛菜) の確執や、離婚を申し渡され別居している奥さん (石田ゆり子) との関係性など、幾重もの難題が織りなす展開も秀逸で、一話あたりの物語の密度や満足感も申し分ない。率直に言って、面白い。

それでもなお、この作品は酷い。

愛菜ちゃんとゆり子さまのために毎週がんばってみては、何度も挫けそうになった。何がというと、CG 別撮り合成の乱用である。

推測の域を出ないが、主人公役の西島秀俊はおそらく娘役の愛菜ちゃんをはじめ、あらゆる演者と別撮りである。おそらく、主要ロケ地の静岡にもほとんど行っていない。

別撮りの場合、制作者はそれを判らなくするために画角の変化や小技を挟み込むことが多い。バストアップの画で、向かい合う相手の肩と腕のみを映すのは基本、最近は胴体、腕、手をそれぞれ別のレイヤーとして処理し、別撮りなのに手を繋いでいる、物を受け渡ししているように見せる、なんてことも可能だ。

だがこれらも所詮 CG 合成で、ちょっと注意して見ればすぐにそれと気づく。合成している箇所とそうでない箇所はピンボケの程度が異なるし、光の当たり方によっては、人物の背景への溶け込みも不完全で、明らかに浮いて見える。

俳優は視聴者に違和感を与えないよう、同じ場所で撮影しているように必死で演技するのだが、余計に違和感となって現れる。日本のドラマ俳優は、架空の存在である、怪獣や巨大ロボットや異星人ではなく、実在する生身の人間相手であっても、別撮りで「目の前にいる」かのように見せる演技力を要求される。

制作者は、この国のエンタメを徹底的に破壊したいのかもしれない。どんなに物語の展開が良く俳優の演技が優れていても、別撮りと分かった瞬間に落胆興醒め不快に思い、全てがぶち壊しになる。

なぜなら、別撮り合成とは本来やらなくて良いことを誰かのエゴを優先した結果取り繕うための、視聴者への重大な裏切り行為だからだ。コロナ禍真っ最中ならいざ知らず、現状で別撮りを積極的に選択することで得られるものはコストぐらいで、失うものの方が多いはずだ。

それでも別撮りがここまで定着してしまったのは、視聴者のせいもあろう。倍速再生だネタバレ後視聴だと、そもそもドラマを楽しむ気概のある視聴者は、この国ではもはや絶滅危惧種とさえ感じる。多くの、鑑賞する能力を持たない「消費者」たちは、別撮りに気づく感覚を持ち合わせていないか、気づいても違和感を覚えないほど鈍いのだろう。

制作者が、ドラマの別撮りの乱用を止める理由はない。撮影時間も費用も抑えられ俳優も喜ぶのだから、今後も加速するに違いない。「おかしい」と言える雰囲気すら、もうないのだろう。

自分はせいぜい、「おかしい」と言い続けるとしよう。


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