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ポワゾンを食らわば、ポワソンと共に

 どうにも何かを成し遂げる体力を、未だ身に付けられていないように思う。より厳密に言えば体力というより気力という気がしないでもないが、気力の大部分は体力から生まれるはずなので、やはり体力が欠けているのだろう。

 小さな頃から、何かを諦める中で取捨選択を繰り返してきた。向かぬものを捨てることで何とか生き永らえてきたが、もうほとんど手元には何も残っていない。

 成すよりも成さぬことが多かったせいで、負け癖が染み付いてしまった。ギリギリで商学を修めてからは、Plan Delay Cancel Apologize からなる最悪のPDCAサイクルを回している。幾度となく逡巡し、幾度となく撤退する。

 もうそろそろ、向かぬものに向き合っていかねばならぬ頃合いだろう。


 最近は少し冷えて、燗酒にも手が伸びるようになった。節制の日々を送りつつも、瓶から徳利に移して温めてみると全てを飲み干してしまう。

(Quand) le vin est tiré, il faut le boire.
酒樽を開けたのなら、飲まねばならない。

 その場で飲んでしまわないと、態々温めたのが勿体ない。理性が緩んで酒を飲むというより、ここは酒を飲んでおいたほうがよいという道理がうちに表れる。


 今年の初物の秋刀魚はお世辞にも美味しいとは言えなかった。肝は苦みがひどく、身はどうしようもなく味気なかった。おまけに骨を喉に詰まらせた。

 それでも私は秋刀魚の無常の佳味を知っている。また秋が深まれば、店で手に取るだろうし、食卓にも並ぶだろう。買ったなら仕込まなければならないし、焼いたなら食わねばならない。

 しかし焼かねば食えないし、買わねば焼けることはない。


 積み上げたもの全てをぶち壊してしまえるほど私は若くない。かといって、全てに背を向けるほど老いてはいない。模糊とした一寸先の毒に怖気づいて全てを諦めてしまうのは、さすがにまだ早い。

 澱のような若さを掬い上げて、健やかさを内包してやることにする。うっすらと残る根源的な欲を満たせるように、纜を解く。避けてきた王道を背を丸めながら歩いてみる。何間進んだ先かもわからない光を掻き集めて、帰路には大漁旗を掲げていたい。

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