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魯肉飯と五月のキウリ

 さらりと喉を通る茶色のきらめき。少し硬く炊かれた米が汁気を纏って流れ込んでくる。

 五月の末、魯肉飯を作った。ふと衝動が押し寄せてきたのだ。すっかり忙殺されて自炊もおざなりになっていたはずだが、時間をかけて煮込む過程を愛したくなった。


 ブロック肉を買ったのはいつぶりだろうか。独り身ではよほど余らせそうな量の肉塊を、うんと細かく切っていく。生姜や大蒜をそれよりも細かく刻む。このときばかりはチューブでは駄目なのだ。

 薬味や香辛料を低温で炒めたのちに、細かな肉に焼き目を付ける。ありったけの料理酒を注いで、ザラメを溶かす。揚げ玉ねぎや椎茸、干し海老やオイスターソース、思いつくだけの旨みを混ぜ込んだら、ひたすらに煮込む。

 台所に折りたたみ椅子を持ち込んで、煮えるのを待つ。火の番をしながら、文庫本を繰る。この時間が愛おしくてたまらない。連日カレー作りに勤しんでいた学生時代が懐かしい。

 短編を三つほど読み終えると、とろみのついた煮汁が芳香を放つ。待ちかねたように炊飯器が鳴る。しばしの蒸らしの間に、漬物を用意する。夢見心地で米をよそい、麦酒を注ぐ。


 匙を手に取り、ひと口。暴力的な旨みが全身にめぐり、思わず目を見開く。鏡のような水田への感動も薄れ、寝惚け眼で車を走らせるような模糊とした日々を鋭く切り裂いた。

 疲れからか、脂が胃の底に溜まるのが早い。茶碗の上の高菜や沢庵は、肉にすっかり負けてしまった。麦酒で喉を潤し、浅漬の胡瓜に手を伸ばす。

 胡瓜の青さがすっと、忙しなさでがらんどうの心のうちに木霊する。押し殺していた寂しさが込み上げて、虚しくなる。しばらく友人にも会ってないし、旅に出ることさえもままならない。無鉄砲な楽しさも、いつしか消えてしまった。

 高校生の頃、部活終わりに貪った家系ラーメンはカタメコイメオオメだった。夢のような9連符を唱える心身の健やかさはもう残っていなかった。定食屋一つとっても、もはや大盛りを宣言することはない。

 それでも、茶碗一杯の幸せは今でも私を包み込んでくれる。この権利だけは、死ぬまで手放せない。

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