見出し画像

京都にて

京都で行われたお茶人が集まる催しに参加した。

内容はとても濃かった。
1日目は選択制の茶事や研修、茶の湯ゆかりの施設見学に加え、お師匠を囲んだ夕食会。翌日には複数の茶席を伺った。

実はイベント以前からプレ行事がいくつも行われたほか、オプショナル行事毎に参加者との事前顔合わせがオンラインにて行われた。全国から人が集まり規模が大きくグループ単位で行動をするので、当日の進行がスムーズにいくことが第一の目的なのだと思うが、文字通り参加者同士が事前に顔を合わせることも大きな目的だったようだ。というのも、各イベントで同じ場を共有するのはほんの数時間もないが、この先、数年後、数十年後かわからないけれど、お茶を続けているかぎりまたきっと再会する時が来るからだという。

この催しに参加し、「茶の湯が心から好き」という人たちと出会い、その想いを交わし合うことができて楽しかった。また、いろんなアプローチで茶の湯を盛り上げようとしている人の話を聞き、大いに刺激を受けた。相容れないことの多い「甘いもの」と「甘くないもの(お酒)」どちらも大好きな人が多くて面白かった。さらに、地域のリーダーを担う方が多かったからというのもあるかもしれないが、みんな行動的で好奇心が旺盛。親先生やその知り合いの先生方の快活さというのは、戦後から高度成長期をたくましく生きてきた先輩方に特有なものだと思っていたのだが、私たち若い世代にも持ち合わせているものであると実感した。
これはきっと、みんな日頃から栄養満点の抹茶を飲んでいるおかげに違いないね。

また、この流派が時代の流れを理解し、茶の湯の心を大切にしながら交流の輪をもっと外に広げようとしている方向性を確認でき、嬉しかった。

実のところ、私はおそらくキャンセル待ちが繰り上がったような感じでたまたま出てみないかと声をかけていただいた。当初から前のめりでいたわけではないので、お師匠方の茶室を拝見したり、全国のお茶繋がりができたら幸運だと思う程度の考えでしかなかった。
そんな中で各イベントごとに事前のオンラインでの顔合わせや案内がいろいろとあるものだから、正直そのようなものに参加するのが面倒で、実際、一部欠席してしまった。でも、どうやら他の多くの人たちはそうではないようで、このような機会をいただけるのは本当に幸運なことだ、と事前の顔合わせ時、画面越しに涙ぐむ人までいらっしゃった。

気軽に…とはいえ日が近づくほどに先生からの圧力はと大きくなり(他力)、今回のお茶席のために着物を新たに調達したり、茶の湯の本を読み返すなど、備えてきた。
実際、当日の茶席で完璧な振る舞いなんできるはずはなく、知識不足や反省することは今回も少なからずあったけれど、これはこれからの経験の積み重ねで改善できるかな。

最後に、若い茶人の催しに参加して感じたことをもうひとつ。
たとえ茶の湯の席で「然るべき」振る舞いができるようになったとしても、集いへの参加に対する心持の希薄さとか、移動の際、大雨警報で新幹線が遅延したり、東京駅の壮絶な人ごみの中に身を置くとき、どうしても心が乱れ、イライラし、自分本位になってしまう短気さについて情けなく感じた。

もちろんこの催しだけでなく、日々お茶で学ぶことを日常に活かし、軽いものを重く、重いものをふわっと軽くとらえられる心持、諸先輩方のような繊細だけれど図太く…いや、大らかな精神をこれからも養っていきたいと思う週末となった。

清めの雨を存分に浴びながら、京都にて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?